第26話 まるでただの生徒のように2


 マシューに対して資料が足りません攻撃を激しく主張して得た学力調査の紙を、ラビィはじっと見つめた。初等部から幾度も行われたイベントであったが、大半、ラビィはその結果を投げ捨てていた。まあ、つまりは低空飛行をしていた。勉強をする体力もなければ、余裕もなかった。すれすれどころか、地面に激突する勢いで、学院を欠席することも多かった。ちなみに、この調査の結果は実名とともに張り出され、順位はしっかりと確認することができる。貴族とは順位付けが好きな生き物なのだろう。



 そして学力調査と言う名ではあるが、内容は魔力についての実地試験も含まれている。貴族同士の魔力の総量がわかるような行為はご法度であるから、あくまでもテストの内容は魔力の操作に限られるのだが。



 とは言え、なんだかんだと言いながらも自身の実力を誇示したいと考えるのは仕方のないことで、これから暑くなれば、その暑さを吹き飛ばすためという名目で、学院では魔力の使用も許可した交流試合も開かれる。





 まあとにかく、目下は学力調査だ。中庭までの道を歩き、背後にサイがついていることを確認する。相変わらずじわじわと距離が近くなっている。ぴたりと止まった。それから普段とは行き先を変えてみた。



 外に出るはずが、学舎の中を進んでいく。もちろんサイはついてくる。利用したことはないが、ラビィも魔法学院の生徒だ。使用する権利はもちろんある、ということで図書室に乗り込んでみた。適当な本を探って、椅子に座る。公爵家のラビィの部屋の椅子よりも材質は劣るが、使い込まれていて座りやすい。本を開いてみると、図書室の端で、サイは困惑していた。かわいそう。



 それからしばらく考えるそぶりをして、通路を塞いでいるわけにもいかないと思ったらしいが、本の近くに立つこともできず、壁を探して巨体をうろつかせて、うまいポジションを見つけることができずに、居心地悪く口元を引き結んで困っていた。



「……あの、サ……ナルスホル様」



 心の中の呼び名で呼んでしまいそうになったが、ラビィと彼がまともに会話したのは、バルドがラビィに面会をしに来た、あのときくらいだ。顔は毎日見ているため、そんな気はあまりしないが。ラビィが声をかけると、無骨な顔つきをゆっくりとラビィに向けた。「お座りになったらどうですか?」 見ていられなかったので、恐る恐る声をかけた。



 サイは灰色の瞳で、じっとテーブルを見つめて、静かに椅子に座った。ラビィの反対、そして端の席に。遠い。「あの、隣で結構ですが」 監視していることはとっくの昔に知っているし、正直いい加減気になる。



 サイはラビィの言葉を聞いて、またしばらく思案した。そしてゆっくりと、彼女の隣の椅子をひいた。並んで座ると、背の高さと分厚さに圧倒される。サイの名は伊達ではない。改めて本棚から引き抜いた本に目を向けると、圧倒的なまでの存在感がラビィに覆いかぶさっていた。慌てて振り返ってみたが、ただサイが、不思議に本を覗き込んでいただけだ。鍛え抜かれた筋肉の圧力だったとは驚いた。



 互いにしばらく見つめ合って、「……その」 沈黙を破ったのは、意外なことにサイだった。「今日は、中庭には行かれないのですか」 相変わらずの低音ボイスだった。いい声だ、と感心しつつも、逆に、なぜいつも中庭に行くのですかと問いかけないところに思いやりを感じた。いや、執拗なまでに池の水と戯れ続けるラビィの姿を見て、きいてはいけない何かを悟っているのか。



「試験がありますから」



 嘘をついても仕方がない。サイは瞳を細めて、ラビィの手元の本の題名を読み込んでいた。どれも、聖女に関するものだ。




 今回だけは、真面目に受けてみようと思った。


 決して気まぐれだとか、そんなわけでもなく、条件が当てはまっているからだ。サイがいて、ネルラに邪魔されることもなく、今現在体力もある。その上、ラビィの逃亡が成功したとして、貴族ではなくただの一般市民として生きていくことになるだろう。そうすると、こういった勉強をする機会は、今後一生訪れなくなる。



 どんな知識が、この先の人生を助けるかはわからない。その上今回の問題の作成者はマシューだ。彼の聖女愛好は留まるところを知らないから、一般教養として、聖女に関するものは多く記載されるはず。聖女を知ることは、ネルラへの対策になるのではないかと考えたのだ。



「……ちょっとした暇つぶしをしようとしてみただけです。何か文句でも?」



 とりあえず、真面目に勉強をします、というには設定的にはおかしいので、無理やりツンとした言い方をしてみた。けれどもサイは特に表情を変えることなく、「いえ、何も」 相変わらず端的な返事をする男である。ふん、とラビィは鼻から息を吐き出して、つっけんどんなふりをした。それから熱心に本を読み込んだ。



 そもそも、聖女とは一体なんなのか。初代の聖女も、ネルラと同じく、隷従の魔法を持っていたのか。開けど開けど、そんな記載はどこにもなく、ただ聖女の力が、今も国を守っていると、それだけだ。



 ――――以前、違和感を得たことがある。



 今となっては、ラビィはゲームの知識として、隷従の魔法を詳しく理解しているが、ネルラに手綱を握られていた頃、ラビィも必死で情報を探ったのだ。なのに得られた知識は、禁忌の魔法であり、操られているものの胸元には印があると、その程度のことで、解除の方法が使用者の魔力よりも、かけられたものの魔力が膨れ上がったときか、それとも死ぬか。その2つしかないだなんて、どこにも書いていなかった。



 魔力の総量を他者に知られてはいけない。この約束事は、まるで隷従の魔法対策のようにも思える。魔力が増える光の日も、逆に減る影の日も、家族を除き知られてはいけないものだ。それも今ではおざなりになりがちで、守りはするものの、それほど重要視されているわけではない。


 まるで誰からも忘れ去られてしまったようなちぐはぐさであると、馬車に揺られながら学院に行っている最中に、ふと思い浮かんだことだった。



 一心不乱に調べて本を開いている最中、『あなたに贈ります』と書かれた手紙が入っていると気づいたときには、慌ててページを閉じた。誰だ、逢瀬やら恋文やらを楽しんでいる人間は。真面目に図書室を利用している人間はあまりおらず、持て余した空間には、歴代の生徒名簿まで眠っていた。もちろん、許可がなければ見ることのできない鍵付きであったが。



 やはり手詰まりに終わりそうだ、とラビィは重たいため息をついた。ちなみにその間、サイは静かに座って、ラビィの挙動を見つめていた。皇子から命令されているとは言え、真面目な男だ、と改めての印象だ。



 本来なら、彼はこんなところにいるべき人間ではない。ナルスホル家と言えば、ラビィのヒースフェン家より位は低いものの、この国にはなくてはならない家柄とされている。王家から絶大な信頼を得て、その代わりに、彼らは王家に力を貸す。サイはバルドの影であるが、それは決して薄暗い闇ではない。ラビィのような、と自分で言いたくなるところが虚しいのだが。



 沈黙が辛い、と思わないのは、ここ最近、沈黙を通り越して、始終無言の監視ならぬストーキングをされていたせいだろうか。逆に近くにいてくれた方が安心する。とかなんとか考えながら、せめて試験に役立つ内容であれと祈りつつ本をめくっている最中、サイが何か言葉を出そうとしたのか、ぱくぱくと口が動いて、それから息を飲み込んだ。なんだったんだ。また何かを言おうとして、やっぱり静かに息を吐き出す。だからなんなの。



「……ナルスホル様?」

「はい、ああ、サイで結構です」

「ではサイ様」



 下呼びとはいかに、と考えながらも、いつも心の中でそう考えているのだ。うっかり飛び出すよりも、許可を得た方がいいだろう、とラビィは頷き、言葉を続けた。「あの、なにか、私におっしゃりたいことでも?」 罵倒でもなんでも、元気に受け止めてみせるが。メンタルはまかせてくれ。



「……いえ」



 サイはしばらく間のあと、首を振って否定した。そこまで気になるわけでもない。まあいいか、と改めて本に向き合ったものの、勝手に口からため息が漏れ出たのは仕方のないことだ。想像以上に成果がない。「……ラビィ様」 今度はサイが問いかける番だった。というか、こちらも下呼びか。この国では家名よりも下の名前を呼ぶことが多いので、さして驚くことではないのだが。


 貴族の家名は、それだけ特別なのだが、これも個人差はある。ラビィはどちらかと言うと家名派だ。



「何かご不安なことでも」

「えっ、まあ、ええ」



 不安といえば、将来すべてが死にそうで不安である。

 とは言えるわけない。



「もちろん、試験についてです。特に魔力の操作なんて、からっきしですから」



 これもそのとおりだ。ラビィの少なすぎる魔力を操作したところで、たかがしれている。手から水がしたたったところで何になると言うんだ。と、今までなら考えてたが、いつかすべては力になる。苦手と逃げているわけにはいかない。でも、どうにもとっかかりすらもなく、こればかりは努力したところで何もならない。



 考えているうちに、だんだん気持ちが落ち窪んで、埋まってしまう。どちらかと言えば、いままで後ろを向きつつも前進あるのみ、と突撃していたつもりだが、実は足踏みばかりを繰り返していたのではないかと疑ってしまう。神に祈ったところで、ここにあるのは紙違いの本ばかりだ。ちなみにこれらもラビィ達の教科書と同じく、魔紙でできているため、ちょっとやそっとでは破けないし、長い年月を保存することができるお高い紙達だ。



「よければ俺がお力になりましょうか」



 絶望しすぎて、妄想が聞こえたのかと思った。頭の中で言葉を噛み砕いて、咀嚼して、もう一回繰り返してみる。間違いじゃない。「は」 遅れて素っ頓狂な声が溢れた。



「ご迷惑でしたら結構ですが」

「いえ、そんなわけありませんが」



 なんでこの人が。皇子側の人間であるはずなのに、といくら考えてもわからない。「その……サイ様から、直接ご指導いただけると、そういうことで?」 サイは相変わらず目つきも悪いが、ゆっくりと頷いた。いやいや。「ラビィ様とは学年も異なりますので、範囲も理解しています。筆記でも、ある程度お伝えできるものもあるかと」 さらにいやいや。



「それは、その、サイ様のご負担になるのでは」



 サイはラビィよりも2つ上の学年だ。普段からラビィの周囲をぐるぐるしているし、その他にも剣やら魔法の稽古やらとやることは山積みだろう。彼だって、同じ時期に試験があるはずである。「特に問題はありません」 しかし彼は優秀であった。そういえば、ゲームの設定でも、優等生だった。地味だけど。



「な、なぜ私に……?」



 それ以外の言葉が出ない。正直混乱していた。だというのに、サイはなんてこともなく、「試験が不安だとおっしゃいましたので」 と言うものだから、つまりなんだ、と整理してみた。その間に、言葉が足りないと気づいたのか、彼はラビィに言い直した。「努力を求めている人間に、手を貸すのはおかしなことですか?」 それでもやっぱり言葉が足りない。



 ここで思い出すのは、やっぱりゲームの設定だ。彼は常識人枠なのだ。他人の努力は認めるし、手助けをする。尖すぎる眼力で見失ってしまいそうになるが、面倒見のいい、お人好しの少年といえるのかもしれない。彼はきっと努力の人だから、他人の努力も認めるし、その援助も惜しまない。


 いや、これはただの彼の人間性だ。ゲームの設定であるから、なんてひとくくりにするのは失礼だった。



 そして、ここで、甘えてしまってもいいのかと葛藤した。なんだかんだと言いながらも、サイは皇子側の人間であるし、ネルラと繋がっている可能性も……あるのだろうか? 悔しげにこちらを見つめていたネルラの姿を思い出す限り違うような気もするけれどわからない。


 ただ、またとない機会であることも事実だ。逡巡したのち、頭を下げた。




 サイは想像以上に丁寧に、ラビィを指導した。普段はただ一人で水遊びをしている中庭だったが、魔力の操作を教えてもらった。他からすれば微々たる変化かもしれないが、確かに普段よりも効率よく魔力を循環させることができた。ホワイティ国は海に面しているという土地柄からか、自然と水の魔力を持つ貴族も多く、ラビィもそのありふれた一人だ。それでもサイは彼女を嗤うこともなかった。




 試験の結果は、ラビィからしてみれば上々の成績だった。けれどもそれは中間の、面白みもない成績で、けじめであるとサイに報告するときは、ひどく緊張して、申し訳なく、恥ずかしささえも感じた。サイからしてみれば、信じられないほどに低い点数だろう。




 けれども彼は、ラビィを褒めた。努力の結果だと、確かに彼女を褒めたのだ。


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