屋敷からの旅立ち

第18話 学院戦争


 幼い少女がいた。10の年にも満たなくて、長い栗色の髪が潮風の中を泳いでいる。小さな彼女よりも少しだけ背の高い金の髪の少年がそっと彼女と手を繋いだ。



 ――――最高の、バッドエンドをあなたに。



 どこかで聞いたセリフだ。画面がゆっくりと移り変わる。ここは、ハリネズミの国。小さなトゲトゲに守られている。金色のリボンを紐解いたようなタイトルロゴの端っこには、オレンジ色の宝石がきらきらと輝いている。



 ああ、なるほど、とラビィは理解した。昔の記憶だ。NEW GAME、という項目をぽんと選択すれば、きらきらした効果音の後ろ側で、可愛らしい女の子の声が聞こえる。



 ――――こんなところで、終わってはいけない。負けてはいけない。



 はいはい。



 可愛らしい、幼い少女の声に、適当に相槌を打った。主人公の決意なんて、ラビィにとってはどうでもいい。こちらだって、負けるわけにはいかないのだ。死ぬ気で、生き残らなければいけないのだから。








「――――で、あるからして、魔力は貴族にしか現れません。なぜなら名とは力であり、名がないものが魔法を使用することができないからです。名字のない平民は魔法を使うことができないということは、みなさん知っての通りのことかと思いますが」



 ゆらゆらと落っこちるように揺れていた意識を、慌てて持ち上げた。いくら令嬢らしかぬ行動を心がけているとは言え、さすがに船をこぐのはまずかろう、と周囲を見回す。不真面目とそれとは別問題だ。すでに名前を覚えたクラスメートたちがかしこまって席に座り、若い男性教師の講釈を熱い視線を送りながら見つめている。



 ちなみにクラスは男女別であるため、可愛らしくもシンプルな制服たちに教室は包まれていた。本来なら華やかな服装で自身の装いを自慢したい彼女たちだろうけれど、学院は学びの場であり、皇子も含めて平等であるべしとの方針だ。だからこその制服なのだろうけれど、クラシカルなワンピースは着る人間を選びすぎる。特にラビィとしてはバッサリ髪を切り落とした首元が、周囲の視線と合わせてすうすうする。気持ちも体もすっきりしたため問題ないが、骨のような体と今はない隷従の印を誤魔化すために、制服の下にはもちろんさらなる服を仕込んでいる。まあこれは、髪を切る以前からそうなのだが。



 久しぶりの馬車での通学だ。リバースした中身とともに、しこたま体力を持っていかれてしまったようで、ときおり辛くなる息を吐き出してはごまかした。それでも以前よりもずっとましだ。高等部となると魔法の実践的な知識も多くなる。ティーカップ程度の魔力しかないラビィだが、少しのヒントがなにかの突破口になるかもしれない、と白黒頭の教師の講釈にじっと耳を傾けた。ちらりと細い目つきがこちらを睨んだような気がしたが、一瞬だ。教師は続けた。




「魔力とは、掛け合わせるものです。例外はありますが、両親の魔力量が、そのまま子供に比例します」



 ちなみにその例外とはラビィのことである。思わず様々な思いが去来したが、今更凹んでも仕方がない。



「貴族同士が魔力量を公にすることはないので、あくまでも推測ですが、現世で一番の魔力量の持ち主と言えば王族、ということになるでしょう。ただし過去を含めると違います。何百年も昔のことです。この国に救世主とも言える、聖女と呼ばれる一人の女性が生まれました。彼女は有り余る魔力を石に込め、彼女の魔力は防壁となり、今現在もホワイティ国を他国の侵略から守っているのです」

「げっほ」



 思わず咳き込んだ。今度こそ気の所為ではなく、マシューと言う名の教師がこちらを睨んだ。「げほげほ」 とりあえずラビィは空咳を繰り返してごまかしてみた。だって不意打ちでホワイティとか言うから。覚悟がなければふとした瞬間に吹き出してしまうに違いないと思っていたらその通りだった。頭の中で白鳥の舞を激しく踊るバルドが思い浮かんだ。彼こそバルド・スワーグ・ホワイティ。白鳥のおうじさまである。アニマル国よ、勘弁してくれ。



 とにかく、これが『ハリネズミの森へようこそ』、略してハリネズ、別名アニマル国のおおもとのストーリーである。今現在は判明してはいないが、ネルラは二人目の聖女と言われることになる。本編ではバルドとネルラが聖女の石を王族として守り抜くと誓いをたてて終了する。実際にゲーム画面でのスチルは表示されてはいなかったが、おそらくオープニングにあったタイトルロゴの周辺で輝いていた宝石がそれだ。



「さて、一般的な教養はさておき、今後の授業に使用する教科書を配布させていただきます。貴重な魔紙を使用していますので、なくさないように」



 マシューが軽く手のひらをうつと、彼の足元に積まれていた紙束がふわりと宙に浮かび上がった。風の申し子、天才魔道士、マシュー・ツェーブラ。いくつもの二つ名を持つ、二十歳もそこそこの青年だが、魔道士らしい真っ黒な髪の後ろ髪の先っちょだけはなぜか白い。彼も攻略対象の一人だが、ヤンデレなのでラビィとしては関わる気は毛頭ない。つもりなのだけれども。



「マシュー先生」



 生徒たちの上にふわふわ舞い落ちる魔紙を目の端で確認しつつ、ラビィはそっと片手をあげた。無視された。負けじと声をあげてみた。「魔紙が足りません」 マシューは億劫そうにゆったりと片手をあげた。残った紙が、今度こそとラビィのもとにやってくる。「へぶし」 思いっきり、顔にくっついた。小学生のような嫌がらせであった。





 ***





 薄々気づいていたのだが、すでに担任であるマシューからすらも嫌悪を顕にされているラビィである。教師としてはいかがなものか、と思いはするものの、入学当初はそこまでひどくはなかったはずだ。もともと、彼はゲームでも聖女であるネルラを除いて、周囲にもつっけんどんな人間、という設定だった。しかしいくら学園が身分に関係なく平等を謳っているとしても、仮にも公爵令嬢に対して問題がありすぎる態度だと思うのだけれど、もともとの人間性なのだろうか。



 まあなんにせよ、ラビィの体力がついてきたからこそ気になる点であって、休暇前の、ただの鶏ガラ令嬢だった彼女は、そんな自身の扱いにも気づかず、ただただ授業中は屍となっていた。馬車の移動で死んでいた。変化に気づくことができたことこそが成長の証に違いない……と微笑み頷いている間もなく、すでにラビィは命の危機を迎えていた。ひと月後のことである。珍しくも転入生という立場を手に、華々しく学園にデビューしたネルラのもとには、すでに幾人もの紳士が周囲を固めていた。立派な手腕だと感動している場合ではない。



 原作のストーリーを知っているのだ。命のカウントダウンまで、まだまだあるぞと悠長にかまえていたつもりはなかった。けれども想定外なことにも、行き交う人々をギャラリーに、ネルラはラビィの眼前で、ほろほろと涙をこぼし、己の辛さを語っていた。



「私はもう、ラビィ様のメイドではありません。ですから、どうか、どうかお許しください」



 可愛らしい少女をかばうように、皇子であるバルドがこちらに向かって困惑の瞳を向けている。背後には彼の騎士であるサイがいる。騒ぎを聞きつけたのか、慌てて駆けつけた弟の姿まで。いやいや。(これってまさか) 頭を振った。いやちょっと。待った待った。





 断罪イベント、はやすぎじゃない?





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