第17話 馬車の中で2


 相変わらず揺れ続ける馬車の中で、学園に行き着くまでに、ラビィはひとつ、考えをまとめてみることにした。車輪が回る音とともに、ゆっくりと記憶を巻き戻す。変化の連続だったから、ゆっくりと落ち着いて考えることも少なかった。正面の斜めには、相変わらずフェルが腕を組んで、むっつりと押し黙っている。気まずい空気を誤魔化すにも丁度いい。





 ***





 ラビィが、ラビィとして生を受けてから16年。けれども、ネルラの奴隷と成り果ててから10年。ラビィが6つの年に、ネルラは孤児としてヒースフェン家の屋敷へとやってきた。哀れな姿だったと記憶している。けれどもラビィと同じ年であるこの少女は、すぐさま可愛らしく変貌した。持った愛嬌で使用人達から可愛がられ、誰からも好かれた。



 ラビィも、その頃は愛らしい子供であったものの、やはりどこか不器用で、恥ずかしがり屋で、誰にでもにこにこと可愛らしい愛嬌を振りまくネルラが羨ましかった。バルドとの婚約も決まり、今よりももっと上手に、立派に生きていこうと小さな胸の中に誓っていた。けれども、それが崩れるのはあっという間のことだった。



 ネルラから外れることのない首輪をつけられ、おかしな命令をうけた。初めは理解ができなかった。けれどもネルラは根気よくラビィに伝えた。『おかしくなりなさい』と。それも、周囲に違和感のないように、少しずつ、少しずつ。まるでそれはネルラと二人三脚をしているかのようだった。ボタンをかけちがえるように少しずつ、パズルのピースを端からこっそりと捨てていくように。


 周囲がそのおかしさに気づくころには、狂った少女が出来上がった。同時に、ネルラはヒースフェン家で、絶対的な立場を得た。



 ものを食べない。何をするにも短気で、優雅さのかけらもない。ときおり会話すらもおぼつかなくなり、これはおかしい、と両親が医者に見せようものなら、力の限り暴れ狂った。それだけは許されなかった。ネルラから、隷従の印を他者に見せることは許可されていない。見せるくらいならば、舌を噛んで死ねと命じられている。必死の抵抗だった。死にたくなかった。彼らの心配が諦めに、諦めが拒絶に変わったのは、そう遅くはなかった。弟であるフェルもそうだった。



(そもそも、隷従の魔法が桁違いにおかしすぎるのよ……)



 地球にも催眠術という技術はあったが、催眠術をかけている相手に、死ねと命じたところで、何の意味もない、ということをきいたことがある。本人が心底望んでいないものは、命令しても無駄ということだ。けれども隷従の魔法は違う。ネルラが命じればラビィは何でも彼女が望む通りにしなければいけない。死ねと言われたら、死ぬしかないのだ。



 下手な抵抗などして、万に一つでも勘付かれてしまえば、それで終わりだ。だからラビィは逃げることを選択した。ありがたいことにも、隷従の魔法自体が禁忌の証であることから、ネルラが強硬な、危うい命令をすることがないことが救いだが、魔法が解けてしまったと知られてしまえばわからない。ネルラの力は、あまりにも危険すぎた。





 以前は馬車に乗っているだけで気分が悪くなってきたものだが、特訓の成果もあってか、わずかなふらつきのみで抑えられているのは重畳だ。過去のラビィは一日一日を乗り越えることに必死だったが、これなら少しくらい学園の生活も期待ができそうだ、と思いながら外の風を力いっぱい吸い込んで、胸の中を落ち着かせた。



(ネルラは、バルド様と添い遂げることが目的なのよね?)



 現在はラビィが婚約者である身だが、もちろんのこと婚約破棄は秒読みだ。両家ともに地位のみで選ばれた、教育もろくにできていないラビィが国の母になることなど、ありえないと思っている。その事実を知ったときは、以前のラビィはひどくショックを受けたものだが、仕方のないことだとわかってもいた。なのにいつまで経ってもその知らせが届かないのは、バルド側が拒否をしているのだ。



 そのことに飛び上がって喜ぶほど、ラビィは幼くはなかった。だから深く考えることをやめた。万一、婚約破棄となった際は、バルドと別れるくらいなら死ぬと暴れろとなぜだかネルラから命を受けていたが、それが実現しないことにもホッとしていた。過去のラビィはいつも恥じていて、これ以上、重ねることが辛かった。



 けれども、今のラビィなら、バルドの思考程度なら理解できる。ラビィと別れたところで、バルドにとってなんの意味もないことなのだ。なぜならラビィとの婚約を破棄すれば、次の縁談が舞い込んでくるだけで、愛しのネルラと添い遂げられるわけでもない。バルドは皇子としては一般的な常識を持つ少年だ。ただのメイドと自身が婚姻を結ぶことができるわけがないと知っているし、いうなればラビィという婚約者に会いに行くということは、ネルラに会いに行くともイコールなのだ。



 魔法学院を卒業して、王位の継承が具体的になってくる頃には、新たな婚約者が立つのは目に見えている。だからこそ、ラビィとの婚約破棄を先延ばしにしてネルラとの逢引を続けた。



 そう、本来ネルラと皇子が結ばれることはありえない話だった。なのにゲームではなぜネルラが皇子と添い遂げることになるかというと、彼女が稀有な魔力を持つ存在であるということが発覚し、見たこともない魔力、つまりは聖女であると教会からのお達しを得て、その魔力を重ね合うべく、皇子と婚約することになるのだ。



 魔力と魔力は、重ね合わせ血筋を作り上げていくものなのだ。

 孤児とは名ばかりで、ネルラは男爵家の血筋だった。正式にハリィと名を得た彼女は、さらなる力を得ているに違いないのだが、それはともかく。(見たこともない魔力が、隷従の魔法なんてね……) 隷従の魔法、という言葉程度は知っているものもいるが、その力の深くまでは誰も知らない。ラビィがこの事実を知っているのは、ただの乙女ゲームの知識の中だ。本編にも登場しないくせに、公式ホームページの端っこに、ひっそりと凝った設定が書かれていたときには奇妙な違和感に襲われた。



 何かがおかしい、とラビィは眉をひそめた。ゆらゆらと体を左右に揺さぶる。喉の奥に、何かがつまっているようで、腹の底がぐるぐるする。「おうぇっ」 出てきたのは別の物体だった。調子に乗って、馬車の中で大人しくしていなかったからだ。



 すんでのところで押し留めた。なんとかなった、とホッとしている間に、考えていたはずの何かもどこかに消えてしまった。額を叩いても出てこないから、仕方ないな、とラビィが一人考えている最中、フェルと言えば、うっかり立ち上がって、バランスを崩して、慌てて座って口元を引き結び、ぷいとラビィから顔をそむけた。まだまだ幼い、顔つきだった。

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