第16話 馬車の中で


「あの、本当によろしいので?」

「どうぞ」

「おやめになった方が」

「しなさいったら」

「お嬢様には似合いません!」

「しないとクビにするわよ!?」





 と、まで言ったのは言い過ぎだっただろうか。


 舌打ちをする一歩手前のような顔をしていたマリに一歩もひかずに主張した。こういうときは、ラビィ・ヒースフェンとしての“設定”が役立つというものである。いいから、はやく、さっさとやっておしまい! と叫びにジェスチャーを繰り返し、ハサミを手渡した。彼女がついたため息の声は聞こえないふりをして鏡に向き合う。首元に布をつっこみ、わくわくと準備万端を装うと、今度は無視をするには大きすぎるため息が頭の上から落ちてくる。



「さっさとしなさい」



 つんとした声を出した。マリというこのメイドは始めこそは扱いづらい、よくわからない少女だと思っていたが、つまりは頑固で職務に忠実な真面目な少女なのだということがわかると、なるほどと納得するものがあった。なので、この命令には、彼女にとってひどくありえないことであり、理解もできないことなのだろうけれど、マリなら、まあなんとかうまくしてくれるだろう、と手先も文字も綺麗な彼女に期待した。



 ちなみに文字については、彼女がひっそりと持っていた手紙の宛名を覗き見たため知っているのだが、そこにはしっかりとネルラ・ハリィと書かれていた。想像通り、彼女たちは頻繁に手紙のやり取りをしているようだが、ラビィに対してネルラ本人からの接触は一向にないところを見ると、こちらの目的通りに、マリがうまくごまかした内容を綴って書いてくれているのかもしれない。



 と、いうわけでさらなるおかしさを演じるべく、現在ラビィはマリに命令していた。鏡越しに見るマリの顔は口元を横一文字に引き結んで、つり上がった眉がぴくぴくと動いている。けれども根負けしたとばかりに、三度目のため息をついて、目的を果たしてくれた。ジョキジョキ。気持ちのいい音がする。







「…………」



 相変わらずの冷たい目だと思いつつ、本日のフェルは口元を引きつらせていた。かたかたと僅かに揺れる馬車の振動の中で、弟の視線に気づきつつも、素知らぬ顔で短くなった自身の髪をかきあげてみる。そう、短くなったのだ。肩口よりも短くなった銀の髪に、一人部屋の中で大満足で跳ね上がったのはつい先程のことだ。跳ね上がることができるまでに回復した自身の体力にも感動したが。



 この国では、貴族の女は髪を伸ばすべきものだと考えられている。ヒースフェン家に仕えているメイド達でさえも髪の短いものはいない。髪が長く、美しいことが美人の条件であると思われているし、短い髪の女ということは、髪の毛を売らなければいけないほど貧乏だと言うことだ。なので、平民にはありえることかもしれないけれど、公爵家の令嬢であるラビィとしては、ありえない髪型だし、恥とも言えるだろう。けれどもそれでいい。



 ネルラがラビィに求めるものとは、公爵令嬢にふさわしくない行動をすること。以前は自身の人格を歪めることで、なんとか対処しようとしてきたけれど、できればそんなことをしたくはない、と過去の記憶が戻った今となっても、やっぱり考えてしまう。それならば、形から入ってやろうということだ。



 以前のラビィは、そうする勇気はなかった。幾度も胸のうちで涙をこぼして、苦しんで、悲鳴をあげてきた。自身の細く、骨と皮だらけのこの首元なんて誰の目にも触れさせたくもなかったし、誰にも姿を見られたくもなかった。だから髪を伸ばさなければいけないことは好都合で、ごわごわの白髪の中に隠れて、横柄な態度とはうって変わって、心の中はいつも兎のように一人でびくついていた。



(でも、もうそんなのはおしまいよ)



 ぱさぱさの、手入れもなにもされていない髪をただただおばけのように伸ばしているよりも、こちらの方がずっといい、と過去の記憶を持つ自分はそう思う。

 確かに令嬢としてはありえない姿かもしれないけれど、マリの腕ですっきりと肩口で揃えられているし、傷んだ髪の部分は切り落として、ずっと健康的だ。細い首を見せることが嫌なら服で隠せばいい話だし、そもそも今のラビィは、自身の体を恥だとは思っていない。これは彼女が一人きりで戦ってきた証なのだ。




 とかなんとか考えつつ、ラビィがぐっと唇を噛み締めている間も、彼女の正面から僅かにずれて馬車の中で座る弟が、困惑の眼差しで幾度も姉を見つめていたことを、ラビィは知らない。


 彼女はじっと、できる限り気配を押し殺し窓の外を見つめた。フェルからしてみれば、同じ空間で息すら吸いたくもない人間と、これから毎朝顔を合わせなければいけないのだ。多少の同情を持ちたくもなる。移り変わる景色はどれも見覚えのあるものばかりだ。学園への道のりである。




 長過ぎる春休みは終わった。

 フェルが入っている中等部とは敷地が隣接しており、ほぼ同じであるため、通学はご一緒に、というわけだ。初等部からそうだったから、今もなんの違和感もなくそうしていたけれど、フェルのことを考えると、できれば別々に行った方がいいのかもしれない、と将来的には考えている。記憶が戻る以前は、いくら嫌われていようと可愛らしい弟だったから、少しの時間でも一緒にいたくて、口をつぐんでいたのだ。



 今後のゲームの内容に対しては、できる限りの準備と対策を練ってきたつもりだ。それでも、恐らくまだまだ足りない。ネルラとの再会だ、と感じると、腹の底から冷えてくるものがある。


(勝つ必要なんて、どこにもない。でも、負けてはいけない)



 ラビィの目指すべき道は、逃亡である。けれども目的をなす前に、ネルラに勘付かれてはもともこもない。断髪は、いわば覚悟の証というわけだ。そちらの方が、貴族の常識はともかく、ずっと見栄えもよくなったことは間違いないが。



 まだまだ肌寒い風が、頬をくすぐった。それをゆっくりと吸い込んで、吐き出した。深呼吸だ。



(――――私は、絶対に、負けないわ。ただの一人でも、生き残ってみせる)

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