第14話 サイ・ナルスホル

「うちの使用人が、何かいたしまして?」




 言ったあとで、やってしまった、ラビィは冷や汗をかいた。何も考えずに飛び出した。あまりにも重たい空気を頬に感じて、ちょっと躓いて飛び出してしまいましたが、特に他意はありませんので、それじゃあこれで! とスカートの裾を持ち上げながらスタコラ逃げてしまいたい気分になったが、今更そんなことできるわけがない、とラビィは心の中でギリギリと歯ぎしりした。

 自分でも、自分の無計画さに呆れてしまった。



「お、お嬢様……?」



 背後からはマヌケな使用人の声がきこえる。そうですよ、お嬢様ですよ。今この状況でおばけが飛び出したかと思っていたら右ストレートでぶっとばすぞ。ちなみにその場合砕け散るのはラビィの右腕なので洒落にならない光景が待ち受けることになる。





 サイは眉間に重苦しい皺を寄せた。どう見てもご機嫌な表情とは思えない。彼の腰に刺さった立派な得物を見る度に心臓が嫌な音を立てるが、ラビィは彼を“一方的に”知っている。


 ゲームの中での彼は、決して言葉数が多いわけではなかったけれど、理不尽な行動を起こすようなキャラではなかった。あえていうのであれば、常識人のカテゴリーに入っていたと思う。だからこそキャラクターとしての個性が薄く、目立たなかったと言えるのだが。



 なので、ラビィが知る彼なら、今この瞬間、自身の主の婚約者であるラビィに対して、おかしな行動をとることはない。はず。多分。


(だって、あくまでもゲームの知識だし! そもそも常識人だったというのは、ネルラに対しての行動であって、私に対してではないかもしれないし!)



 悪役令嬢であるラビィに対して、彼がどう出てくるのかははっきり言って謎だ。少なくとも、嫌われていることは間違いない。あとはゲーム本編でも彼女が処刑となる際に攻略キャラ達は誰も何の異存も唱えなかった。中にはあんな鶏ガラ、さっさと殺してしまえと楽しげに煽っていたものさえいた。プレイヤー側であったときは深くまで気にしてはいなかったけれど、ラビィとなってみると、弟であるフェルくらいは、何らかの反応があってもよかったのでは? と思いはするが、そのあたりはサクッと省略されていた。


 仕方ないとは思いつつも少し悲しい。それはさておき。



(だ、大丈夫な、はず……よね?)



 沈黙が痛い。サイは無言のままだった。実際はあまり長い時間ではなかったのかもしれないけれど、緊張のせいか一秒、二秒が遅く感じる。


 おそらくこの使用人がサイに絡んだことは間違いないが、いくら使用人が不躾過ぎる言葉を吐いていたとしても、サイなら大丈夫だ、きっと、おそらく、多分。


 どんどん自信が小さくなって、やっぱり後ろの男を生贄に逃げようかしら、とラビィが思案していた頃、サイは静かに息を吐き出した。それから切れ長の瞳がちらりとこちらを見て、「少し道を尋ねていただけです。大した話もしておりません」 低音ボイスにぞくぞくする。



「あらそうでしたか。私でよければ、隅々まで屋敷をご案内致しましょうか?」

「いえ、結構です」



 短い言葉での返答に、そうですか、と逆にホッと胸をさすった。「失礼」 端的だ。下手に絡まれるよりも安心した、と思ったところで、「それにしても、先程は腹痛を訴えていらっしゃる様子でしたが、随分顔色がよろしいようで」 ギクッとした。ただそんなラビィにも気にせず、サイは長い足をさっさと動かし消えていってしまう。さすがコンパスが広い。ふう、と額の汗を拭ったところで、後ろを振り向いた。使用人の元気過ぎるオレンジ髪を引っ張ってやりたくなった。雀のような尻尾髪をしやがって。



「お嬢様……」



 彼は相変わらずホウキを握りしめたままで、ぼんやりこちらを見つめている。あまり“ラビィ”らしくはない行動だった。腕をくみながら、つんと視線をそらすと、使用人は唸った。「さっきの方おかしいですよね? お嬢様の顔色はいつでもめちゃくちゃ悪いのに」「ぶっとばしてやろうかしら」 予告が実現となりつつあるが、右手をぐるぐる回した時点でボキボキと嫌な音が聞こえたので諦めた。



「あなた、本当に道を尋ねられていただけなの? それにしては深刻そうな雰囲気でしたけど」



 もしそうだったならば、冷や汗のかき損だ。いや実は、とホウキを持ってくねくねしている時点で嫌な予感がする。



「まあ話しかけたのは俺からなんですけど」

「いや、なぜに」

「騎士様カッケーすねって思わず」

「あなたは口から産まれてきたの?」



 可能性としてはありうる。


 いやまさか、そんなわけないじゃないですか、とヘラヘラ笑っている男を見ていると、正直どうでもよくなってきたため、ラビィはふと、バルドのことを思い出した。暖かな場所で微笑む彼の姿。もしかすると、ラビィが求めていたものはそれなのかもしれない。


 その夜、たらふくかゆを口にふくんで、彼女は部屋を抜け出した。そうしてバルドとともに対談した温室へと侵入し、とてとてと歩き回った。




「すごくいい! ここ、すごくいいわ! 誰も来ないし! 暖かいし! 部屋でぐるぐるし続けるより、ずっといい気分転換になるわ! 求めていたものはここだったのね!」



 自身の屋敷の中と言えど、すっかり忘れていた。ヒースフェン家は広すぎるのだ。サイが迷う気持ちもわかる。ついでに表情筋の練習をせねばとへらへらげらげら笑っていると、一瞬にしてつきてしまった自身の体力に歯噛みし、ベッドに戻ったわけだが、翌日、どこぞから魔女の笑い声が響きわたる屋敷として使用人たちが震え上がっていたため、やりすぎたと反省した。

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