第19話 百日紅峠

 唐津へと抜ける峠道がある。そして特にその峠道を散策したハイカー達が口を揃えて一番良いと言うのが夏から秋にかけて満開に咲く百日紅の巨木。そんな峠道の百日紅の巨木を抜け少し奥まった地蔵祠へ毎日一日も欠かすことなく願を掛け参る跛行の老人がいる。


 ――その老人の名は田中日出夫。


 その老人の跛行する足音が百日紅の巨木の下で不意に停止したところから、この話は始まる。 

 

 百日紅の木の下で老人が其処で見たのは何か?

 そしてそこから一体、何が始まるというのか?


 これはマッチ棒と言われるある若者の活躍を描いたミステリー小説です。



(本文)


「百日紅峠」




(1)



 唐津へと抜ける峠道がある。その古道は奥深い山を抜けながら行くのだが、その古道は古くから、…いや、もしかすると遥かな御代、朝鮮半島の『韓』と交易を持っていた頃からこの道はあったのかもしれないと地元の郷土史家達は言っている。

 その御代の頃のこの一帯を古き大和言葉で何と言っていたかは分からぬが、ただこの山道は韓より渡って来た古い仏等の蕃神等の仏像達が眠る伽藍が点在し、また何よりも季節の移ろいゆく森の木々の美しさもある事から、現在はハイカー達にとって歴史と季節の移ろいを感じられる非常に好かれた散策道となっている。

 そして特にその峠道でもここを散策したハイカー達が口を揃えて一番良いと言うのが夏から秋にかけて満開に咲く百日紅の巨木に出会うことである。

 この百日紅は峠道の南にある集落Nから国道沿いから別れた入り口の坂道を上れば誰にも直ぐに見ることができる。

 また山道下の国道を行くドライバーやバイカー達からも山上で満開に咲く百日紅は見ることができ、峠道で咲く百日紅は正にその名の意味の通り、――木登りの上手い猿ですら木からも滑る、まさに運転中のドライバー達にとっては余所見をさせ危険居させる魔性のごときものであった。

 故に百日紅の咲く時期は交通事故が多いのは否定できないのだが、唯、それはこの本編とは何ら関係が無い。

 関係が在るのはその百日紅の巨木を抜け少し奥まった地蔵祠へ毎日一日も欠かすことなく願を掛け参る跛行の老人の事である。


 ――その老人の名は田中日出夫。


 老人の跛行する足音が百日紅の巨木の下で不意に停止したところから、この話は始まる。



(2)



「いや、暑いですねぇ」

 もじゃもじゃ頭の縮れ毛を手でくしゃくしゃにすると首筋から一筋の汗が背中を伝っていった。

 汗は背に背負ったリュックと背中の隙間に吸い込まれたのか、縮れ毛の若者はリュ下ろすとシャツを背の中に風を入れ、汗を引かせようとバタバタとシャツを引っ張る。それから目の前の巨木を見上げると、その巨木の下で立ち止まった背の小さな老人に声を掛けた。

「いやぁ、見事な百日紅ですなぁ。実にこれ程の巨木になるのにどれ位の歳月が掛かることか。いやねぇ僕、ほらあちらの地蔵祠の方から歩いてきたんですけど。段々とこの百日紅が見えて来るんですが、その迫力と言ったら何というか、こう…心に迫るものがありますよ。思うにこの巨木を最新の映像で撮ったらどれ程の感動が動画サイトで起きるか…」

 若者は巨木を見上げて独白めいた感想を言うや、リュックを開けて水筒を手に取ると百日紅の下にあるベンチに腰掛けて一気に喉へ流し込んだ。

 老人は若者へ語ることなく、立ったまま沈黙している。

 若者は喉を潤しながらちらりと横目でそんな老人を見る。見れば老人は茶色の何処にでもある様なズボンと肌着の上にシャツを着こみ、作業帽子のキャップの鍔の下で若者を見ている。

 だがその眼差しはどこか探る様だ。まるで土地の者以外の者を警戒する、そんな眼差し。

 しかし若者はそんな視線を気にする風もなく口を手の甲で拭うと水筒をバッグに仕舞い、返って人懐っこい笑顔を老人に精一杯向けた。

「現在の佐賀と言う土地は遥かな古代、伊都国や周辺の諸国、まぁ倭とも言える連合国家とも交流があった地域であるのは吉野ケ里遺跡などでも証明されていますし、また時代が下れば竜造寺氏と言う強い戦国大名を輩出してます。もしかしたらこの古道もそんな歴史上の偉人が通ったかもしれません」

 それから若者は首筋をぴしゃりと手で叩いた。それから手を広げて掌を見た。

 首筋を叩く音が響いた時、老人は僅かに身体をビクリと反応させた。

 この若者意外と背丈がある。だから手が無造作に動いて首筋を叩くとその音が意外と反響して、老人の鼓膜奥に響いたのだ。その様子を見て若者がはにかむ。

「いやいや、すいません。大きな音で驚かせて。おや、見てくださいよ。蚊に噛まれてしまいました。いけないですね、此処に長居は。きっと長居すると蚊に噛まれちゃって明日は全身かゆみでたまらなくなります」

 言うと若者はリュックを背負い、腰を上げた。そして立ち上がりながら彼は老人に言った。

「いつも、此処を通られるんですか?」

 先程の心の驚きで老人の沈黙する心の蓋がずれたのか、老人は僅かに咳込むと短く言った。

「…毎日な」

「毎日?」

 若者は驚いて目を剥いた。いくらこの峠道が素晴らしくても毎日は歩けまい。ましてやこの老人、先程歩くのを見ていたが杖は無く、跛行しているではなかったか?そんな心の疑問が顔の表情に現れたのか、老人はそんな若者の心の奥底の動きを機敏に読み切ると言った。

「可笑しいかね?これでも私は信心深くてね。身体の事はその為には惜しまない」

「信心深い?」

 若者は反芻する。一拍の間を措いて彼は老人に問いかける。

「一体何をです?こんな山奥で」

 老人は若者の問いかけに、僅かに心を動かして何か言おうと唇を動かしたが、固く口を閉ざすと足を動かして歩き始めた。

「まぁ良いじゃないか、そこから先は個人の崇拝の事。さぁこの足だから速くあの地蔵の所まで行かないと陽が暮れてしまう」

 そう言って老人が若者の前を過ぎようとした時、百日紅の花弁の影が老人の頬に落ちた。その影ははっきりと若者の目にも見えた。見えて若者は老人に言った。

「それはつまり――小暮万次さんが掘られたあの木地蔵をですか」

 その言葉を老人が聞いた時、頬に落ちた百日紅の影が動いた。それはゆっくりとまるで蛇の様に…いや山の木葉の闇から落ちて来た山蛭の様にと言った方がいいかもしれない。それはぬめりぬめりと音鳴き音を立てながら影が手の様に伸びて来て、若者の首を掴み、やがて若者の耳奥に老人の声が聞こえた。

 それは血を吸わないと生きてはいけない山蛭のような執念を含んで。


「あんた…万次を知っているのか?」



(3)



 百日紅の下に二人が腰掛けている。

 居るのは老人と若者。それは何処にでもある様な風景に見えるかもしれないが、しかしながらどこか不釣り合いに見えないだろうか。

 大きなもじゃもじゃ縮れ毛の頭髪の若者と小さな老人。まるでマッチ棒と裁縫針の様な二人。

 やはり不釣り合いと言える。だが不釣り合いの方が良いのかもしれない。そう彼等の話内容を誰かが聞けば、それが全くもって意味を図るのに二人だけの秘密を吐露しているように見え、また非常に暗号じみていると誰もが聞こえる筈だからだ。

 その話を聞いているのは誰か。

 それは百日紅の木かもしれない。

 それもいいかもしれない。何故なら木は黙して人に語る事は無いからだ。

「それで、万次とあんたの関係は?」

 老人は若者に言った。若者は髪を掻くとそれから僅かに居住まいを直すように背を伸ばすと、ゆっくりと話し出した。

「ええ、僕と万次さんなんですが…実は山口の彦島で僕が旅の途中に知り合ったんですよ」

「彦島?」

「ええ、壇ノ浦の側の」

「何の為にあいつそこに?」

 老人が訊く。

「それは分かりませんがねぇ。その時、万次さんは長崎の何処かの教会の牧師をされていてその布教活動で来てていたみたいなんです…」

「…?万次が牧師に?」

「ええ、そうです」

 老人は舌打ちをした。

「あいつは元々仏師だぞ。まあいい、今までどこをほつり歩いていたのか知らんが、それが牧師とはなぁ、笑わすじゃないか」

 老人はそこで歯を噛んだ。カチカチと言う歯を噛む音が聞こえると、若者は話を続ける。

「…まぁ僕も友達の所にバイクで大阪から旅をしていましてね。それで下関の居酒屋に入るとそこで万次さんが居て、偶々一緒にお酒を飲み…」

 そこで老人が鋭く口を挟む。

「何だ、あいつ。神の世界に入っても酒は止めれんかったのか、酒がらみの金銭で痛い目に遭ったろうに。馬鹿な奴だ」

 言うと老人は乾いた笑いをする。笑い声が終わるのを待って若者が話を続ける。

「まぁそれで意気投合して何度か日を重ねて酒を飲みながら色んな話をしている内に僕がこうして歴史に興味があることを話したら、是非、故郷に良い場所があると言われて。じゃぁそこは何処かと言うと、それは佐賀のNと言う集落側から唐津へと抜ける古道。沢山の歴史的建造物もあり、特に古道にある百日紅の巨木は今の時期はすごく良い筈だ…」

 そこで若者は息を吐いて一気に話し出す。

「――それに、そこには自分の堀った地蔵があるとも言われましてね。そう言われると非情に興味が出て来て、古道もそうですが元仏師の人が今は基督教の牧師。そんな人が掘った木地蔵とやらを見たくなりましてね」

「それで、その話を聞いてふらりと来た訳か」

 老人が言う。

「ええ、まぁ旅の途中ですし、僕は閑人ですからねぇ。それに頼まれ事も受けちゃいましてね。その時の酒代のおごりで」

 そう言って若者は頭を激しく掻いた。掻くと若者が老人に訊いた。

「それで、ご老人と万次さんの関係は?」

 訊かれると老人は膝を叩いた。

「仏師の頃の兄弟弟子の間柄よ」

「弟子?」

「ああ、互いに或る仏師の弟子でな。共に「修行していたのさ」

「そうでしたか」

「ああ、互いに良く気が合ってな。よく酒を飲んだ。飲んだだけじゃなく、沢山の借金もこさえたがな」

「借金?」

「ああ、そうだ。互いに持ち金も少ないというのに街に出ては飲み散らかし、挙句の果てには借金まみれよ。まぁ俺は程々で手を引いたが万次は生来のだらしなさがあったんだろうな、沢山の借金をこさえてある時、突然出て行き消息不明。大方、何処かで身を投げ死んだと思ったがね」

「へぇ、あの万次さんにねぇ。そんなことがあったとは」

 若者はぴしゃりと首を叩く。叩くと掌を見るが、そこには潰された蚊は居ない。居ないが、何か奇妙な人間の運命と言うものが潰れているように見えた。

 そこで老人が呟く様に言った。

「だがな、あいつ。つい三か月前にふらりと俺の前に現れたのさ」




(4)



「現れた?」

 若者の言葉に老人が頷く。

「そう…三か月程前に突然俺の前に現れたんだ。そして会うなり俺に言ったんだ。――おい、日出夫。毎日、お前は今でも俺が掘った地蔵に願掛けをしているのか?と」

「地蔵?あぁ…あの地蔵にですか?」

「そうだ」

 老人が断定する。

「それで?」

 若者が訊く。

 老人は頷くと言った。

「俺はお前と違って酒は止め、今では清らかな生活をしている。俺は今でも仏を掘り続けているし信心深いんだ、と言ってやった。それにあの地蔵は高名な真言仏僧の呪印が封されている。だから俺は毎日願を掛けに真言を唱えて手を合わせ、呪法がいつまでも続く様にお祈りしているのだと」

「呪印?」

 若者が驚く。

「ああ、あれは万次が掘った木像だが、その後、或る真言僧に呪法を掛けてもらい俺が祠に納めたんだ。この土地一帯が未来永劫実り豊かで、また大きな災害にも遭わないようにと呪法を掛けてもらったんだ」

「それは強い呪法ですねぇ」

 若者は感心して目を丸くする。

「だな。だからかもしれないが近年の大雨災害でもここら一帯は災害から無縁でいられる。やはり真言呪法の力は或るのだよ。だから俺は毎日、毎日雨が降ろうとも霜が降りようとも強風の日の欠かすことなく、参りを祠に納めてから続けているのさ」

 聞いて若者が感心するように頷いた。

「それは凄い信心ですね。それで万次さんとのその後は?」

「それっきりだ」

「それっきり?」

 再び若者が驚く。

 老人は驚く若者に対して無言で頷く。

 若者は老人が頷くのを見て暫くぼんやりとしていたが、不意に何かを思い出したかのようにリュックを開けると何かを手にして取り出した。 

「ああ、忘れてました。もう少しで何もせず、この百日紅の巨木を去るところでした」


 ――若者が取り出した物。


 それはスコップと小さな南蛮錠だった。



(5)



「なんじゃ、そりゃ」

 老人は若者が手にした物を帽子の鍔を上げてまじまじと見た。

「これはですね。駅前のホームセンターで買って来たスコップと…」

 それから南蛮錠を一段と高く上げて若者が言う。

「これは万次さんからの預かり物で、何でも昔飼っていた愛犬の墓に埋めて欲しいと言われた錠です」

「南蛮錠だな」

 老人が呟くやいなや、若者はそれを百日紅の巨木に向けた。

「何でも、この百日紅の巨木の下らへんに愛犬を埋めたそうなんですが、その遺骨の側にこの錠を一緒に埋めて欲しいそうなんです」

「何?!」

 若者が言った瞬間、この小さな老人の何処にそんな大きな力があるのかと言いたくなりそうな大声が響き、百日紅の花を揺らした。

 だが、大声を放った老人とは対照的に背の大きな若者はどこか意気消沈しているように見えた。

「…まぁ、それが万次さんの酒代のおごりに対する借りなんですがね。しかしながらこうして百日紅の巨木を見るとあまりに広くて、どうしようもない。何でも愛犬は不思議と錠と遊ぶのが好きだったらしいので、その遺骨の側に埋め損ねたから、僕に頼んだというわけなんですがねぇ、でもこうしてこんなに巨木の根を見ると、とてもとても一日そこらじゃ僕にはできませんねぇ」

 若者はさもすまなさそうに頭を激しく掻く。掻く度に縮れ毛が跳ね返り、汗が飛んだ。

 若者が頭を激しく掻いている間、老人は帽子の鍔を下げて無言でいたが、やがて何事かに気づいたのか、笑い声を上げて肩を震わせながら独り言のように言った。

「…そうか、そうか。万次の奴、そうあんたに言ったのか。なるほどなぁ。万次の奴、遂に俺を選んだか。そう言う事なら奴が俺のとこに現れたのも頷ける」

 そこで再び百日紅の花を揺らすような笑い声を上げると若者に言った。

「あんた」

 老人がにやりとする。

「はい?」

「その錠は俺が代わりに埋めてやる。確かにあんたの言う通りこの巨木の下では二十年前の記憶も定かではない俺でさえ分からない」

「えっ??」

「つまり二十年前俺があいつの愛犬を埋めたのは俺よ。出かけ先から万次が帰って来た晩、突然胃の中の物を吐いて死んだもんだから俺が代わりに埋めたのさ。なんで代わりなのかって言うと、その晩に万次の野郎は失踪したのさ、だからくたばっちまった犬は俺が埋めた。つまり俺が選ばれた訳なのさ」



(6)



「二十年前?」

 若者は老人に問いかける。


 ――二十年前

 それが特別な事なのかは分からない。唯分からないが今の自分に唯一分かるのは、自分では愛犬の遺骨は探せないという事だ。

 百日紅の巨木の下では。


 ――ならば自分が成すべきことは何か?


 現実の世界で響く問いに対して聞こえるのは現実の闇奥から響く声。

「置いて行け、その南蛮錠。そいつは俺が埋める」

 老人の鋭い声が鼓膜奥に響く。若者は顔を上げて老人を見る。老人は作業帽を目深く被り、唯手を出している。さもまるでその錠が自分の忘れていた所有物だとも言わんばかりに。

 若者は老人の差し出された掌を見た。その掌に山蛭が動いている。まるで老人の血を吸うわんばかりに。いや、それは若者に見えた幻覚かもしれない。掌に南蛮錠を置いた時、現実的視覚として山蛭は見えなかった。唯見えたのは、皺のない綺麗な掌だった。

「愛犬の供養は俺がする」

 老人は言った。そして若者に続けざまに言った。

「ご苦労さん」

 言うや老人は南蛮錠を受け取り、百日紅の巨木を見た。紅色、桃色が混じる花が見える。謳歌繚乱とも言うべき咲き誇る百日紅の花を見て老人が嗤う。

「やっぱ、願掛けは呪いじゃない。最後は信じ切る者だけに幸が必ずある」

 若者は立ち上げる。立ち上がりながら満ち足りた表情の老人を見た。見れば老人は作業帽を脱ぎ、咲き誇る百日紅の花弁を見ている。まるで美しい桃源郷に足を踏み入れた猿が其処に居た。猿はきっと美しい花弁を見て夢を見ているのかもしれない。恍惚地した表情で頬を朱に染めている。

「あの…田中日出夫さん」

 若者は老人の名を呼んだ。呼んだが老人は恍惚の世界に居る。居て夢を見ているようだった。

「では、万次さんの南蛮錠。確かにお渡ししましたよ。僕はこれからここを去りますから万次さんの愛犬の遺骨の側に必ず埋めて供養下さい。それとですが、くれぐれもお間違いがないように」

 言うと若者はスコップを手にしたままリュックを背負うと百日紅の巨木の下を去って行った。そして去りながら若者は手にしたスコップをぽいと藪の中に放りこんだ。


 まるでそれは全く自分の人生で意味がなった物だとも言わんばかりに。



(7)終わり



「それでいくら程、あのご一族から頂戴したんかね?」

 角刈りの髪をそろえた眼光鋭い年老いた男が若者を見ている。唯その眼光は鋭いが決して何か睨みつける様なものではなく、目の前に座る若者に対する尊敬と言うか、知性への叡慮を感じる。

 そんな男の目の前で腰かける若者は縮れ毛を気にしながら髪を掻くと、首に手を遣ってぴしゃりと音を立てた。どうもそれが若者の心の乱れと言うか精神を纏める癖なのかもしれない。 

 少し瞑目するようにして瞼を閉じると直ぐに目を開き眼光鋭い男に言った。

「いえ、いかほど何て…古賀さん、貴方が考えているほどこの四天王寺ロダン頂いてはいませんぜぇ」

 どこの訛りともいえない口調で若者は言った。


 ――四天王寺ロダン


 彼は自分の名を言った。

 それはまるで奇妙な姓に妙なる名。

 そんな縮れ毛の若者に男が言う。

「そうかい?しかしながらあれは二十年前、博多天神にある百貨店に貸し出された宮家所縁の宝石類。それが時を経て手元に返って来たとなれば…あのご一族から、手土産なし――つまり無料って訳はあるまいよ」

 男に言われて若者は髪を掻く。

 その仕草はもうこれ以上の質問は御免被るという誠実な態度が現れている。

 それに気づかない男ではない。男は大きく息を吐いた。

「まぁ良いさ。どちらにしても皆ハッピーエンドだ。あちらさんも…俺も」

 男は言うと若者を見た。

「…で、訊くがな?どうして盗まれた宝石類が万次の故郷にあると思ったんだ?」

 男はじろりと若者を見る。

「どうなんだい?四天王寺ロダン君よ」

 ロダンと言われた若者はアハハと笑いながら髪を掻く。掻きながらやがて人差し指、中指を立てVの字にして男の前に差し出した。

「古賀さん、僕ね。貴方が、そのぉ…小暮万次の捜査していた記事を見せていただいたでしょう?その時、色んな箇所を読みふけると実に小暮万次と田中日出夫の間に不可解な手紙のやり取りが在るのですよ」

 言ってからロダンは人差し指を折る

「一つは愛犬の死です。これは臭いなと思いましてね。手紙には愛犬が死んでそれを百日紅の木の下に埋めて欲しい、だが火葬はするな!!でしょう?」

 次に中指を折る。

「それと木地蔵の事です。木地蔵は毎日どんな時も願を掛けに拝みに行けでしょう?それって何だろうと思いません?何ゆえに万次自身がこしらえた木地蔵を拝む必要があるんです。それも毎日ですよ」

 折った指を拳のままロダンが言う。

「それって両方万次がムショを出るまでの互いの暗号的策略だと思ったんです。

 おそらく万次は弟弟子だった日出夫を抱き込んだんでしょうね。彼は強盗犯では無かったが、しかし二人であの地蔵の下に宝石強盗の仲間達を出し抜いて共謀して金庫を埋めたんだす。まぁ万次が日出夫をそそのかしたんでしょうが。いずれムショから出てきたら金を山分けするとか言ってね。

 日出夫も自分の手を汚さず、大金が入ればとどれ程のことかと魔が差したことでしょう。但しですが、金庫の鍵はどこかに万次が隠した。他の強盗仲間達に決して分からせないよう、自分だけが分かるように」

 若者はそこで大きな息を吐くと話しを続けた。

「盗難騒ぎの起きた直後では例え盗んだ宝石類であれば直ぐに裏を通じて現金化するのは難しい。だから時間をゆっくりかけて世間がそんな事件すら忘れた頃に現金化しよう。ではいずれかの時に隠した鍵を見つけた際の二人だけの暗号的手段を使う連絡場所として愛犬をあの百日紅の場所に埋めた。つまり骨としていつまでも残る様に。まぁ愛犬を埋めた事はある事実に対するフェィク、つまり『鍵』はこにあるぜ!という犯罪に加担したもの達への万次が施したミスリードです。


 そりゃ三億円相当の宝石類ですからね。仲間が躍起になってムショを出て探しに来るかもしれない。三億ですよ、ムショから出て来ても未練があるに決まっていますよ。だから簡単には分からぬよう愛犬の死と埋葬は鍵の所在を伝える為の二人の暗示的場所に仕立てたのです。まぁその暗示方法はいつか時が来たら愛犬の死に場所に万次…つまり自分が隠した鍵についての暗示を日出夫に示すというね。

 日出夫はそ知らぬふりをしていましたが、万次は既に獄中にいた訳です。だから彼の役目は金庫が誰かによって荒らされないか、そのガードマンに徹したのですよ。つまり足を曳きづる様に跛行して彼は二十年毎日真言の願の成就を成す為に地蔵祠に行っていた訳じゃない。彼は地蔵祠が誰かによって荒らされていないか、その確認をするために毎日、雨の日も風の日もまるで宮沢賢治の本の一節の様に健気に通っていたのです」

 そこまで一気に話すとロダンは沈痛な面持ちになった。それはまるで誰かを憐れむ様に。


 ――それは誰か?

 犯罪者へか?

 それとも偽善なる悪魔の様な策略者への哀悼か。


「…ただ、意外な事が起きた。それは新聞に小暮万次が捕まったこと、そして彼が…古警察署で自死したことが書かれたことです。おそらくそれを見た日出夫は驚いた事でしょう。何年も地蔵の下で眠る金庫の番人として生きて来たのにここに来てそれが暗礁に乗り上げた。 

 だが、そこに突如僕が現れた。

 そう暗示的記号である、南蛮錠――鍵の無い錠を持って。

 それが言わんとすること、つまり鍵は何処にあるのかと言う事です。日出夫は瞬時に僕の言葉の内に閃くものがあったでしょう。あいつにも不思議だった筈です。

 何故、愛犬が死んだのか?

 それは何かを食べて胃の中の物を吐いたからだ。

 ではそれは何を飲み込んで吐いたのだろう?

 その答えを思うと自分は神か仏に選ばれたのだと叫びたくなるのも分かります」

「つまり鍵だな…」

 ロダンは頷いた。

「そして日出夫は遂に僕が消えた夜中、百日紅の巨木の下で愛犬の骨を探し、見つけ出してその亡骸を探ったが、しかし鍵は無い…その瞬間ですね。古賀さん、貴方が再び背後から鋭い手刀一撃を首に打ち込み、彼を気絶させて御用にした」

「まぁあれもイチかバチかだ。もし無害な事であれば俺がムショ行きだった」

 刑事がふぅと息を吐いた。

「しかしながらそれでやっと二十年前に盗まれた宝石類が保管されていた金庫が見つかった訳です」

 ロダンが刑事の心労を思わんばかりに言う。しかしその口元には笑みが浮かんでいる。

「しかしながらだ、ロダン君。何故地蔵に金庫があると思ったんだ?愛犬の死に何場所じゃなくて」

「人の執念です」

 きっぱりとロダンは言った。

「執念」

「ええ、執念の強い場所こそ、何かある。例え邪であっても強い信念がある場所に何かがある。僕はそう推理のプロットを立てただけで、そして結果としてそうだっただけです。

 万次の隠した鍵は僕が幸い持っていた訳ですから、少しばかり一足先に地蔵下の金庫を見つけ出し差し込んだところ、金庫は開いた。そしたら後は古賀さん、あなたの刑事として長年追い続けた事件と言う執念を実らせようと思って連絡した訳です。

 まぁ結果として古賀さんの執念もまた百日紅の花の様に実って咲いた訳ですね。そして百日紅の言葉の通り、木登り上手な猿共は見事木の枝から滑り落ち地に落ちた訳です。

 さて…古賀さん。僕は未だ旅の途中です。これからどこに向かうかしれません。唯、何処かでまたお会いすることが出来たら、今度は是非何か御馳走して下さい。

 それでは、さようなら、古賀さん。僕はこんな終わりを思うと横溝正史の小説金田一耕助を思いますよ。

「百日紅の下」って作品知っています?そうですか、知らないのですね。では、是非次合う時迄には読んで欲しいですね。そう、互いに今度会う時迄にはね」


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