第14話 竜の心(ドラゴンハート)
――危険な仕事になるっていうのは分かってた
焦る気持ちに足がもつれちまう。もう、軋む鎧の音なんぞに構ってる間は無い。先刻まで吐く息の音さえも気にしていた時分とは今は訳が違う。今は一刻も早くこの深い迷宮からこいつを持って逃げ出すことを考えなきゃならない。それが唯一俺に与えられた生存方法(サバーブ)なんだ。正直俺自身やきが回った何て思っちゃいない。だってこの仕事を選んだのは俺自身なのだから。俺は鎧の懐奥に仕舞い込んだこいつを握りしめる。こいつが何なのか、知らない奴には分かるまいが、これは秘宝の中の秘宝。
――『竜の涙(ドラゴンティア)』
母竜が子を産むときに流すと言う涙が竜の鱗から落ちて地面に溜まり、長年の間その地に溜まって鉱石化したものだ。こいつは滅多に市場に出回る様なそんじょそこらの安物鉱石なんかとは比べられる代物なんかじゃない。あの黒不死鳥石(フェニックスブラック)すらも霞む鉱石だ。こいつさえ持ち帰れば俺は一生あの地で何不自由なく暮らしてゆけるだろう。美しい妻も豊かな農場も屋敷も、いやもしかしたら特権階級になる為の株も買うことができるかもしれねぇ。
このしがねぇ泥棒風情がだぜぇぇ!!
だから何としてもこの迷宮から俺は生きて戻らなきゃならないんだ。そうこの迷宮に棲むあの化け物の手から。
いや、あの化け物が放つ、この轟音混じる炎の息(ファイヤーブレス)から!!
沈黙が訪れている。それが俺の鼓膜奥に響いている。沈黙が響くなんて可笑しい表現だと思うかもしれないが、先程迄俺はあの炎の息(ファイヤーブレス)の轟音に追われていたんだ。
俺は『竜の涙(ドラゴンティア)』を握りしめる。きっとこいつはあいつのものなんだろう。
噂で聞いてことがある。『竜の涙(ドラゴンティア)』は母竜から子竜へと受け継がれる。それは誇り高き竜の一族の証として。この世界には今でも深い迷宮に棲む竜が居る。
その中でも俺が潜り込んだ迷宮に棲むベオドラムは赤竜(レッドドラゴン)と言ってこの地方に住む竜の中では破格の家格の竜だ。
それもそんじょそこらのB級何てもんじゃない、古文書にも記されている神の使いとして登場する赤竜(レッドドラゴン)の一族なんだ。
だから俺も始めてあいつが今長い『黄金の眠り(ゴールデンマイム)』という長い眠りについたなんて話を聞かなきゃ、棲み処の迷宮に忍び込もうなんて思わなかったんだ。
そう、確かにあいつは眠りについていた。そしてその膝元には確かに輝く鉱石があった。
それこそが今俺が握りしめている『竜の涙(ドラゴンティア)』
盗むのは赤子の手を取るように簡単だった。身体を僅かに逸らさせ、鱗の下に手を伸ばす。それだけでこいつを手にすることができた。
だが…俺は
へまをしたのかそれとも元々ベオドラムは『黄金の眠り(ゴールデンマイム)』についていなかったのか、俺はあいつとバッチリ目が合っちまったんだ。
あいつの巨大は大きな瞳に俺の驚く姿が映るのが分かった。
その瞬間、
俺は身体を反転させて
その場を跳んだ。
それは正しかった。
脳全体にアドレナリンが分泌されるのが分かる。背に広がる焦げた床の匂いと熱風。
炎の息(ファイヤーブレス)!!
俺は走り出す。
いや跳ぶように。
俺は兎の様に、いや鹿の様に、いやどっちで何だっていい!!
俺はもう一目散にこの迷宮の階段を駆け上がる。
竜は迷宮を出れない。
棲み処を離れることが出来ない。それが神と竜のこの世界での古い約束なのだ。竜は神からの授かりものである宝物を護ることになっている。
『呪い(ギアス)』ともいわれているが今はそんなことはどうでもいい。
俺は唯、唯、一目散に駆け上がるんだ。そして駆け上がるだけ駆け上がり、ベオドラムの炎の息(ファイヤーブレス)を潜り抜けて、やがてこの沈黙が訪れ、俺は外の世界の光が差しこみ始めたところで最終螺旋階段の隙間に身を潜めた。
何故なら…
俺にはあいつの考えがひりひり背を焼く太陽の様に分かるからだ。
あいつはきっと俺がこの差し込む陽の光に身体をさらした時、一気に灼熱の炎の息(ファイヤーブレス)を叩きつけようと虎視眈々とどこからか狙っている筈だ。
出口は一か所。差し込む光にその誰もが姿をさらされることを避ける術はない。
もし一流の投げ弓の狙撃手(スナイパー)なら、この罠ともいえる死地に獲物を誘い込み、きっと楽に仕留めようとする。
ベオドラム、やつが二流の狙撃手(スナイパー)なら別だが、あいつは一流も一流、超一流なのだから。
そうだから俺は日没を待つ。全てが闇に閉ざされた時こそ、闇に生きる我ら眷属である盗賊が生きる時、そう…逢魔が時とでも俺は言いたい。
陽が暮れ始めているのが分かる。
俺はどれくらい息を細くしてこの隙間に身を潜めていただろう。視線の先に沈みゆく太陽が見える。あの太陽が地平線の向こうに涼んだ時こそが、俺が生きて戻る時だ。
俺は『竜の涙(ドラゴンティア)』から手を離すと別の物を手にした。手にしたそいつの表面を指でなぞる。研磨された表面をなぞる俺の指先にそれの冷たい感触が伝わる。いや伝わるがこいつは決して冷たいとかいったもんじゃない。
こいつは黒不死鳥石(フェニックスブラック)。
生命の終わりに火山の炎に潜り、再び蘇る言われる伝説の不死鳥(フェニックス)。そいつが生まれ変わった時に上げる鳴き声に触れたよう岩石が鉱石化したものがこいつだと言われている。だがそれだけでこの石がそう呼ばれているわけじゃない。こいつには不思議な力がある。どんな力かというとこいつをこすらせると不死鳥(フェニックス)の翼のような紅蓮の炎が舞い上がるのさ。それが黒石の謂れなのさ。
そう、だから俺は考えた。
日が暮れたと同時にこいつの迷宮の底へ投げつけ、燃えがるだろうこの炎を囮にして逃げるのさ。
こいつも高級な鉱石だが、しかし『竜の涙(ドラゴンティア)』にはかなわない。こいつはベオドラムに呉れてやるさ。
大事の前の小事。
俺は生きる。
陽が暮れ、訪れる闇。
囮として燃え上がる炎。
それこそがベオドラムから逃げる為に考えたこの俺の作戦。
――完全に逃げ切る。
完璧な仕事こそ、この俺の信条。
黒不死鳥石(フェニックスブラック)を盗んだ市長には悪いが、もし俺が生きて戻れば、なんてことはない。『竜の涙(ドラゴンティア)』を売った金で足りないくらいにお釣りができる。そいつであいつに慰めにいくらか銭をやるさ。政治家何て奴は盗賊以上に悪辣だ。あいつら国への税金を拗ねていると思っているんだ?帳簿を見ればそんなこと一発だ、盗賊である俺がお前のしていること知らないとでもいうのか?もし俺を法で突き出すって言うなら、いくらでも言ってやるさ。だがきっと市長は俺の金に目がくらむだろう。それにだ、俺は提案するぜ。一緒に特権階級の株を金で買わないか?という提案をな。そうすれば一も二も無く市長は首を縦に振るだろう。だってそうさ。そうなりゃ、一生、自分だけでなく一族皆が繁栄してこれから生きて行けるんだからな。
愉快だ。
愉快な笑みが口元に浮かんだ。筋肉の緩みさえ耐えていた俺はもう彼方に消えた。何故なら、見なよ。
地平線の向こうに陽が沈み、闇が訪れたからだ。
闇こそ
我が愛すべき友。
そして
我ら闇に生きる眷属の蔓延る
逢魔が時なのだ。
音も無く闇に吸い込まれる黒不死鳥石(フェニックスブラック)。
俺には迷宮の闇に吸い込まれてゆく鉱石の軌道がはっきりと見える。数は十も数えれば鉱石は迷宮の底に落ち、やがて炎が上がるだろう。
それに驚いたベルドラムはきっと俺に対する意識を逸らされ、隙が出来る。
それがどれくらいの時か、流石に十も無いな、いくらあいつが意識を逸らされたとしても瞬時にそれが囮だと気づく頭脳があるだろう。
ならばそれはそうだな…五つ、いや三つだ。これは奴に敬意を払ってそれだけにしておく、俺のせめてもの誇り高き赤竜(レッドドラゴン)への惨めでちっぽけな盗賊としてのお情けだ。
ほら分かるだろう?
もう、俺の手元から投げた鉱石が手を離れて暗闇に吸い込まれ…
…七つ
…八つ
…九つ
…十
見ろ!!
迷宮の底が明るくなるのが分かる!!
よし俺は出るぞ、
生きてここを出るのだ。
数えよう、歓喜の時を!!
人生の一番輝く季節の到来を!!
…ひとつ
俺は進む。
…ふたつ
ワッはッはっ!!
ワッはッはっ!!
笑いが止まらぬ。
見よ。
この手にして闇にかざす『竜の涙(ドラゴンティア)』の映る黒不死鳥石(フェニックスブラック)の炎を!!
そう俺は伝説の不死鳥(フェニックス)の翼を手にして空へと舞い上がるのだ!!
――この世界の頂上へと!!
迷宮から近い村から走り出した騎馬の姿がこの小さな市を収める徳人である市長の姿だと言うのは迷宮の入り口に立つベオドラムの姿から分かった。
ベオドラムは知っている、自分の迷宮側に住むこの市長が人間の中でもひと際気高き誇りとまた徳人であることを。
ベオドラムは人の姿をして騎馬で現れたこの徳人に恭しく頭を下げると、騎馬の市長もまた馬から降り、同じように頭を下げた。
「敬愛なる隣人であり、また気高きベオドラム殿へ、人間のベロンが挨拶致します」
言って市長が頭を上げると膝まづいた。
「こともあろうに我が市民であるタナカがベオドラム殿の宮殿へ忍び寄る不義を犯したる事、まことに市長である私ベロンの至らぬところであります。彼は法でも裁けぬ悪人でございましたが、それでも我が市民であります、その非は政を預かる私にあります」
恭しく言葉を述べるベロンの心の内へねぎらう様にベオドラムが言う。
「ベロン、私は何も咎めぬ。何故なら我が宮殿より盗まれたものは何も無いのだから」
「何も?」
「いかにも、ベロン」
言ってからベオドラムが手を差し出す。
「これは?」
「我が宮殿には不要のもの」
ベロンが手にするとそれは黒不死鳥石(フェニックスブラック)だった。
「これは我が屋にある宝物」
ベオドラムがそれを聞いて頷いて言った。
「それならばそれは君の庭にて保管されよ。以後、盗人に盗られぬように」
言うや頬を緩ませた。
「して…タナカは如何に?」
それを聞くとベオドラムは少し寂し気になって指を指した。そこには迷宮の入り口の壁だった、。その壁に陽が差し込み、黒ずんだ部分が見えた。
「あれが君の探すタナカである」
そこには人型の姿がはっきりと見えた。ベロンには瞬時に分かった。それはきっとベオドラムの炎の息(ファイヤーブレス)によってこの世界から焼け消えたタナカの肉体が残した名残影なのだと。
ベロンは振り返りベオドラムに言った。
「これは致し方のないこと。それにこれで以後殿下の宮殿に盗みに入るものは誰でもこうなる運命であると言う戒めにもなるでしょう」
言ってから恭しく一礼すると、ベロンは騎乗してその場を去って行った。
ベオドラムはやがて彼の姿が視界から消えるまでその場に立っていたが、やがて静かに迷宮の奥へと消えて行った。しかし表情に笑みが浮かんでいることに誰が気付くだろうか。
その笑みを浮かばせたのは誰が『黄金の眠り(ゴールデンマイム)』などという嘘をついたのかという事なのだが…
果たして誰だろうか、そう思ってベオドラムは笑みを浮かべたのである。
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