第9話 翔太のアルバイト
(1)
この田舎道の交差点から東へ向かう林道を行けば新宮近くのNへはバイパスよりも早く行ける為、一般道ではあるが交通量は割合多い。
田中翔太は高校生だが別に部活に熱中することもない。
だが唯一興味があるのは働いてお金を稼ぐこと。
しかしながらそれは決してお金に執着しているとかそういう一辺倒の理由ではなく、ただ単にお金を稼ぎ、服や食い物など年頃の誰でも持ち得る細やかな満足を得たいと言うものだ。
勿論、高校を卒業したらここを出て近辺の大都市である大阪、もしくは東京に出て何か仕事がしてみたいというのもあるので、そうした諸々を含んだ金稼ぎというところだ。
この交差点にはガソリンスタンドがあった。
工業科の授業で危険物取扱の資格を取った翔太は短期ではあるが、今このガソリンスタンドで小遣い稼ぎにバイトをしている。
しかしバイトをして思ったのはこのガソリンスタンドは凄く忙しい。
それもその筈。
それが先にも述べた様にこの山向こうにある新宮Nへ向かうにはバイパスよりこの先に延びる林道伝いにいくのが早くて近い。
勿論、この先のNからも奈良、大阪京都へ行くにも反対に林道伝いにこの交差点まで出てくるのが勿論近い。
その林道、実はここから大体四、五十キロあり途中ガソリンスタンドが無い。
だからここでガソリンを給油していく人が多いのだ。
それに時期は今、春。
林道伝いに見える桜を眺めるドライブ客やツーリングのライダーも多い。
おまけに今日は週末である。
季節も含め猶更スタンドに入って来る車は多く、朝から車の窓を拭いたり、給油を手伝ったりと目の回るほどの忙しさだった。
(くっそ忙しい!!)
心で呟き額から落ちる汗を手の甲で拭った時、一台の白塗りの車が入ってきた。セダンタイプのいかにも金がありそうなやつが乗っている感じがする車だった。
他のスタッフが誘導して自分の受け持つ給油スタンドへ停めた。
嫌だな、とは顔を出さない。
小走りに運転席側に駆け寄りる。
窓が開き中から金縁サングラスのこれもいかにもってかんじの男が顔を出した。
「レギュラー、満タンにしてや」
関西弁で翔太に言う。
「あぃ!!」
はい、と言いそびれて開いた小さな給油口の方へ回り、タンクのキャップを回してガソリンを注ぎこむ。ガソリンの流れる重さが手に伝わり、給油が始まる。
すると男が降りて翔太を見た。
「兄ちゃん、あれどこ?」
「あれ…?ですか?」
きょとんとして男を見る。男が金縁のサングラス越しに覗き込んで来る。
「あれゆうたら、あれやがな…」
翔太には益々わからない。すると困った翔太を見かねた同じ年のバイトが小走りに走ってやってきた。走る寄ると男の側で
全く意味の分からない翔太やや呆然として、ガソリンを注いでいたがやがてガクン大きな音がして満タンになったのが分かった。
(なんだっていうんだ、『あれ』…なんてさ)
少し不貞腐れながら、翔太はボロ布で車を拭く。手早く運転席側から順に拭いてゆく。
窓ガラスは黒いスモークが貼ってある。
だから中は見えない。
別に大した興味がある訳でもないが、こうした連中の車の内側には何があるのだろうと思わないことはない。
だからフロントガラスに回った時、ワイパーを上げて吹いた時、後部座席を見た。普段は運転席に乗っている人が多い為、あまりじろじろ見ないのだが、今は誰もいないことも手伝って見てしまった。
そこにぐったりと首を垂れた女が見えた。
女は赤い毛布で胸を覆い、そこから白い首と手足がだらりと伸びているのである。それだけではなかった。女の首にはくっきりと紫になった斑点斑上の横に伸びる線が見えた。
翔太はそれを見て凝視して動けなくなった。
(なんだ、なんだ、これは…)
フロントガラスを拭く手が止まった。止まると辺りを見た。
運転手の金縁サングラスの男は見えない。辺りには動いているスタッフが居るが忙しく働いていて声を掛けれそうなのは居なかった。
もう一度、首を伸ばして中を覗き込む。
女はピクリとも動かない。胸上の毛布が動かないのだ。
翔太は思った。
(こいつは…、死体じゃないか…、絞殺された…)
そう思った時、女の方から髪が動いて落ちた。それはやがて身体ごとゆっくりと崩れ落ちて行く。女は座席の背もたれに沿うように音もなく横になるとやがて止まった。
翔太は呆然どころではなくボロ布を握る手が汗ばんできて、心臓が高くなるのが分かった。
(やっ…べぇ…、こいつは…、死体だ)
そう思って流石に誰かを呼ぼうと声を出そうとして時、目の前までポリタンクを抱えて男が歩いて来ていることに初めて気が付いた。
あまりにも後部座席の女に注意していたばかりに男が近づいてきていることに気が付かなかったのだ。
「ちゃんと綺麗にしとけよ」
近づきながら男が翔太に言う。男の鋭く太い声に我に返ると、翔太は運転席の反対側へ素早く回り、拭き始める。
男がトランクを開けてポリタンクを放り込むと座席に座った。座るとエンジンを駆けた。
(やっべぇ…、ばれたかな)
車は動かない。すると突然、窓が開いた。思わずビクリとした。
「おい…」
男の声に翔太は恐る恐る返事をする。
「…はい」
翔太の返事に男が言う。
「もう、出てええか?」
翔太は勢いよく「はい」と答えようとしたが、瞬時に声を出すのをやめた。
なぜやめたのか、何となくだがこの犯罪者をこのままいかせていいのかという若者の小さな正義感が動いたのだ。
反射的に翔太は言った。
「お客さん、どこまで行きます?」
男の沈黙が有った。
「なんでそんなこと聞くんや?」
翔太は唾を飲みこむ。
「いえね…、もしこの先のNまで行くのなら林道でも険しく曲がった道を行かなくちゃいけないんですが、ちょっとこのタイヤの空気圧だとパンクするかもしれないんで、一度空気圧を測りたいんですが」
翔太の言葉に男が窓から顔を出す。
「何や…それ
「はい、
「なら、やって。早くな」
しめた、と翔太は思った。
急ぎ小走りで事務所に戻り、計測系とカウンターを手早く見回し辺りを見た。何かを見つけるとそれをポケットに仕舞い、素早く車に戻る。
戻ると計測器で空気圧を測る。測りながら声が聞こえた。それは小声だが途切れ、途切れに翔太にははっきりと聞こえた。
「…、おう、今からそちらに…、あれは…絞めて、後ろに…。途中…、おう、分かった…細道…、その奥でな…埋める…、例のものは……、わかった」
その電話が終わると今度は男の声が翔太に掛かる。
「終わったか?」
声がかかった時、ちょうど翔太は左後部のタイヤの空気圧を測り終えたところだった。それで測り終えた証としてタイヤを手でポンポンと軽く叩いた。
「大丈夫です。オッケーです」
その声が終わるのを待つや車は勢いよくスタンドを出て行き、Nへと向かう林道へ走り去った。
走り去る翔太の側にさっき金縁のサングラス男を連れて行ったバイト仲間がやって来た。
にやつきながら声をかける。
「おい、田中ぁ」
言うとポケットから一万円を取り出す。それを翔太に握らせる。驚いて相手を見る翔太に仲間は言う。
「これなぁ、少ないけど口止め。頼むでぇ」
そう言い残すと小走りにかけ去って行った。
翔太は何の意味か分からず、その一万円を握りしめていたが、「ま、いっか…」と呟いてズボンの後ポケットの奥に四角く小さく折ってねじりこませた。
それよりも自分の仕掛けた罠というか遊びというのがちゃんと効果を示すかそちらの方が気がかりだった。
(2)
翌日、翔太は事務所に来た背丈の違う二人組の刑事からある事故の話を聞いた時、自分が仕掛けたものが予想以外の効果を生んだことを聞いて、思わず身震いした。
自分のちっぽけな小さな正義が犯罪者を捕まえたのである。
刑事はこのガソリンスタンドを事情聴取にやって来た。
それは何故か?
実はその時は分からなかったが詳細が新聞に出るに及び翔太は思わず唸った。
――T町の交差点からNへ向かう林道の急カーブで白塗りのセダンが曲がり切れず峠を落ちた。
乗っていた男女二名は事故死したが、その内、女一名は事故死以前にどこかで絞殺された模様。
また転落した車のトランクからは覚せい剤が見つかり警察は入手先の洗い出しを行っている。
それがアルバイト帰りに自宅で開いた新聞に書いてあった。
事務所に来た時は転落事故があったのでその車がここに立ち寄らなかったか?という質問だった。
事務所のビデオには該当車両が映っており、翔太が車のガソリン給油やら作業やらが映っていた。それで刑事はその時の様子を翔太に聞いたのである。
翔太はその時の様子を隠すことなく、背の低い刑事に言った。
「はい、確かにあの時…僕が給油や簡単な清掃などしました。そうです…その時確かに後部座席に何か赤い毛布で寝ている女性がいるのがフロントガラス越しに見えました…、でもその人が生きてるか死んでいるかはわかりませんでした。それでタイヤの空気圧を図ったんです。ええ、そうです。刑事さんが言う通り、後部の左タイヤが少しパンクぎみで…、えっ車の事故検証をしたら釘がささっていたですって!!そ、それは…気が付きませんでした。もし気が付いていたら二人とも死ぬこともなかったでしょうし…。すいませんでした。確かに僕が見落とさなければ、犯罪者が明るみにならなかったことは確かですが、命を亡くされたことには心が痛みます」
そこで刑事は翔太に聞いた。
「ところで君はアルバイトのT君について何かしらないかい?その金縁のサングラスの男と知り合いかどうか?ビデオに君が困っている様子が映り、彼が男をどこかに連れて行くのが見えたんだけど」
翔太は首を振った。
「いや、彼とは或るバンドの共通のファン以外は特に何も、それにここのバイトだけの繋がりだけですから」
その答えに別の背の低い刑事が聞く。
「あのさ…、車が出て行った後に彼から何か貰わなかった?」
翔太は一瞬ぎくりとしたが、下を向くと少し黙り、小さく言った。
「…はい、彼に貸していたいたそのバンドのコンサートのチケット代があって、それを返してもらいました。これがその一万円…」
言ってからズボンの奥深から四角く折られた一万円を出す。
「どうしましょう?」
困る様に翔太が刑事に聞く。刑事は二人顔を見合わせ、背の高い刑事が言った。
「まぁ君のものやからいいんちゃう。それよりも…もしT君から連絡が有ったら教えて。あの子なぁ、
(3)
その後の事について、翔太はあまり関心を持たないようにした。
正直、自分がしでかしたことがこれほどの犯罪を明るみにしたことで少し怖くなったのもある。
翌月にはバイトを止めて、普通の高校生活に戻った。
所詮自分のちっぽけな正義感なんてものは、きりの良い所で身を引かねばどんなことになるかわかりやしない。
実際、Tはその後大阪で捕まったと人づてに聞いた。
どうしてこんな都会とも離れた場所でそんな覚醒剤の渡しをするようになったかは分からないが、総じて犯罪というのは一般人より想像力と行動力が豊かなのかもしれない。
ここでは林道を行く人が給油をするが、もし給油が途中できなければトランクに入れたポリタンクのガソリンで自ら給油をしてもおかしくない。
そんな『普通』の中に犯罪を隠せば、世間一般からは分からないと考えたのかもしれないと思った。
しかし、と思う。
赤い毛布にくるまれた女の死体はどこで殺害されたのだろう。
――いやいや、
と翔太は首を振る。
それは警察がおのずと調べて分かる事なのだ。
今、自分はアルバイトで稼いだ金で街に出て何かを買えば良いのだ。
それだけで青春が足りればそれでいいじゃないか。
違うかな?
そう思って財布の中に入れた四角く折れ曲がった一万円札を見ると、翔太は静かにほくそ笑んで駅のホームに入ってきた電車に乗り込んだ。
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