第7話 四天王寺ロダンの足音がする(後編)

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「田中さん、あなたは今幾分か気分が乱れて混乱されているかもしれませんが、それでも僕が九州の大分で知った全ての事実を帰りの新幹線で組み立てていた時のような混乱なんてもんじゃないでしょう。

 あなたは、全ての謎をはじめから知っている『犯人』です。そうまるで劇を作り上げる脚本家のようにあなたは最初から全てを知っているのです。

 しかしながら僕はこの事件の依頼を受けた依頼主である蓮池法主の為に、事件を整理立てて報告しなければなりません。

 なに…田中さん、何もそんなに固くならないで下さい。さぁ胡坐をかいて、もしよければビールでもお注ぎしましょう。

 そうです。そうやって楽にして下さい。

 では今から僕が帰りの新幹線で組み立てたこの事件のいきさつや背景、そしてあなたが犯した犯罪を話します。

 もし何か違う点があれば、その時申し出てください。二人で共に事件の事について知り尽くすことはあの『三四郎』の時と同じように大事です。

 では、始めましょう」




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「事件の起こりは佐伯百合と白井邦夫の不倫が全てです。勿論、その不倫原因を作ったのは佐伯一郎と佐伯百合の夫婦生活が破綻したことにあります。もう少し夫人である佐伯百合に注釈を加えるとしたら彼女は地元竹田にある小さな純喫茶「エデン」のひとり娘で白井邦夫とは高校の頃からの顔見知り、知り合いだったのです。

 彼女達は高校で知り合い、それぞれ大人になると佐伯百合は一度、福岡に出てその後佐伯へ、白井邦夫は熊本で料理の勉強に出て地元竹田に戻りました。

 佐伯一郎と百合は実は福岡にあるTというホテルの授業員として一緒に働いた後、郷里の佐伯へ戻ることになった一郎と連れ立ち、旅館『小松』へ戻りました。このころ既に子供が佐伯百合の御腹の中にはいたようです。まぁ地元竹田ではいきなり『小松』に働きに出たということらしいですが、もしかしたら博多での佐伯百合には何か都合の悪いことなどがあってそれを隠していたのかもしれません。

 付け足すと佐伯に戻った頃の話ですが、実は一郎の母親と言うのが佐賀にあるこの坂上の寺院の本山へ足繁く通っていて、その頃から良く周囲に『一郎が連れて来た嫁と言うのが中々の奴で、佐伯家が持っていた漁業権やら、土地、山林や挙句には別府や至るとことにある温泉の権利だの、そう言った一切合切を徐々に夫の一郎をそそのかし自分名義に変え、それを知らぬうちに金銭に変えている』とこぼしていたそうです。

 さてこの百合ですが、皆さんが証言するように中々器量もよく、また蠱惑的で男にも受けがいい。その内、郷里竹田に戻った白井邦夫に連絡するようになり、旅館『小松』に郷里の商工会議員とか農林公庫の行員だとかそんなところの釣り道楽仲間を週末になると引き受けるようにして、自分は働くことなく、夫を働かせて売上は自分の懐に入るようにして、私財を肥やしていったようです。

 そのころでしょうね、白井邦夫と男女の仲になったのは。もしかしたら高校の頃に既に懇ろだったかもしれません。まぁ今となっては分かりませんが。

 恐らく夫の佐伯一郎はその頃の二人の仲を疑い始めたのでしょう。それだけじゃない、二人の間に生まれた一人息子にも疑惑の目を向けるようになった。その息子が日々成長するにつれ、自分と似ていないところで見つけたのか、やがて暴力を振るうようになった。それだけじゃない、酒もあおる様に飲む様になり、遂に肝臓を悪くして癌になった。

 そんな夫の変貌を見るにつけて、百合は義母が足繁く通った本山を通じて、自分を大阪へ行けるように、またそこで生活ができるように働きかけた。それはやがて夫には癌による死が迫っており、その保険金は自分のものにする段取りでいた。後は自分位は全くこの旅館の経営に興味がない。あるのは自分の増えて行く金銭のみ。

 またその時には既に夫が死ねば旅館『小松』を白井邦夫に買ってもらうように話をつけていたようです。その金は勿論自分の懐に入る様にです。そのことは竹田に今も住んでいる白井邦夫の弟白井幸雄氏から聞いています。なんでも一時、この『小松』を買ったことで、兄は実家の金を持ち出すことになり、大阪へ勘当同然で出て行ったのです…とね。

 さて、ここからです。

 二人は時を少しずらす様に大阪へ出て来た。それがこの長屋なんです。この長屋で二人は他人のように振る舞っていましたが、或る時非常に仲良く談笑しているのをここで起居していた蓮池法主が見られた。その頃二人には何も警戒心が無くなっていたのか、蓮池法主に二人は同じ郷里人で互いに高校の頃からの顔見知りだと言ったそうです。それを歳経た今も蓮池法主は良く覚えておられて、それが、ついこの前、ここで発生した火災で亡くなった白井邦夫氏の弔いをする際になって遺品の有るものを見られたとき、不意に思い立つことがあり、心を掻きむしるような疑問が湧いたのです。

 それは何か?

 そう、あの二人の子供ではないかという疑念の子は今どうしているのか?

 何故でしょう、そう何年も忘れていたような疑問が普通突然に湧き上がるでしょか?いかがですか?田中さん。人間、そんな簡単に便利に出来上がっちゃいません。そう思いだすには何かきっかけが無けりゃいけない。

 そうです、あなたはここの入居するにあたり上の寺院へ挨拶をしましたね?

 その時、蓮池法主があなたとお会いしたんですよ。蓮池法主はその時、何も思われなかったが、亡くなられた白井邦夫の法要をしようとして遺品である白井邦夫の日記の一月二日(月)に記述を見て思い出された。

 そう、三十年も前に母親を訪ねて正月にこの長屋に現れた少年の事を。

 そしてその少年の面差しが、あなたに似てはないかと。


 それから蓮池法主は眠れぬ夜を過ごされた。実はこの長屋の火災事故では不思議なことが一つだけあったのです。それは何かというと佐伯百合の姿がこの火災以後、分からなくなったのです。

 あの火災で確かに白井邦夫は焼死体として発見されたのですが、佐伯百合の姿は一向に分からなかった。

 警察もそれ以上の捜索はしなかったのです。一つは捜索願が出なかったこと、もうひとつは檀家さんのなかで佐伯百合が別に男が居て、今度はそこに行くことになると本人が数人に打ち明けていたと事実があったからです。

 檀家の中では蠱惑的で男好きのする佐伯百合は特に女性の中では評判が良くない、だから世話になった寺院に尻を向けるように、夜逃げ同然でここから火事を幸いとして姿をくらましたのだとなり、以後、寺院でも彼女については関知することは無く、現在まで来ているのです。

 不思議です。

 一体、ここまでで誰が一番得をしたでしょうか?

 もしや…

 そう思うと蓮池法主は僕の所へ来られたのです。実は僕の劇団のパトロンはこの蓮池法主なのです。笑うかもしれませんが、今寺院では歌だのピアノ演奏だの、自分達の講堂を利用してこうした活動を良くしているんですよ。そう、蓮池法主の講堂では僕の属する劇団がそこで良く劇をやるのです。僕はそうした縁もあり、実はこの長屋にも住んでるわけで、蓮池法主とは膝をつけ合わして話ができる間柄なのです。

 つまりそんな蓮池法主が私に自身の秘匿する悩みを打ち合明けられ、僕に依頼してこの長屋で起きた火災事件の調査を依頼された訳です。

 そう…つまりこの僕、四天王寺ロダンは蓮池法主から依頼を受けた探偵だった言う訳です。

 勿論、必要経費も、そうあなたの前に出て来た『三四郎』も蓮池法主からお借りしたものです。

 それだけではない。

 あのあなたが良くいくかっぱ横丁の古本屋Aの主人、名前を木下純一と言いましてね、当時あの長屋に住んでいた役者志望の青年だったんですよ。だから私が少し話を持ちかけた時、大いに喜んで協力してくれて張り紙まで貼る始末。まぁそいつはひやひやもんでしたがね、そんなにされちゃあんまりにも出来すぎですからね。しかしあなたには感ずかれることなく、ここまで何とか話を持ってこれたという訳です。

 さて事件の背景はあらかた大阪へ戻る新幹線の中でこのように組み立てました。いかがでしたか?間違いはないでしょう?

 そうですか。

 頷かれましたね。

 後はどのようにあなたが両親を殺害したか、それをこれからお話ししましょう。

 さぁそのイカのあたりめ、良くお食べ下さい。

 奇妙ですね、人生は。

 まるでそのイカのあたりめのように舐めれば渋く、しかし噛めば噛むほど味が出てきて広がって行く。

 まるで田中さん、あなたの人生のように。

 それじゃ、少し失礼します。

 え…?どこに行くのかですか?

 安心して下さい、警察には行きませんよ。

 上の蓮池法主を呼んできます。だってお約束したのです。事件についてのあらかたのあらましが分かれば呼んでくれと。

 それじゃ、田中さん。ちょっと失礼します」



 四天王寺ロダンはそう言って僕の前から姿を消した。

 その時僕は唯、空から見える月を眺めながらロダンが歩いて行く下駄の音を聞いていた。

 そう、ただ、ただ茫然としていたのだ。




(22)



 季節は五月から六月に変わり、一層梅雨時期の独特の湿気が法衣の下で蒸れる時期になった。

 蓮池法主は朝の御勤めを終えると、茶を喫して、自分あてに届けられた便箋に目を通した。

 先月の夜、四天王寺ロダンの訪問を受けた蓮池法主は着衣もそのままに軽装の法衣姿のまま坂下の長屋へと向かった。

 今その時の事を思い出している。



 つるりとした頭を撫でるように吹く風の中に坂下の石造りの階段を下りる二人の下駄音が良く響いていたのを今も覚えている。

 それから前を行く、縮れ毛のアフロヘアの若者の背に何度も何度も念を押す様に言った。

「大丈夫なんでしょうな?それは本当に」

 その度に背が振り返り、言うのである。

「勿論、大丈夫でさぁ、蓮池法主」

 それを何度も繰り返すうちに門を潜り、長屋に着いた。

「さぁ、法主」

 若者の声に下駄を脱ごうとすると「あっ!!」と声がした。

「どうしたんです?ロダンさん」

 その声がどこか急を告げるような声音だったので、蓮池法主は不安を駆り立てられた。

 目の前にいる若者は下駄を急ぎ脱ぐと脱兎のごとく走り出した。しかし直ぐに降りて来ると法主の側を抜け、隣長屋へ向かうと玄関を叩く。

「田中さん!!田中さん!!」

 返事は無かった。首を回すが明かりは点いていなかった。

「ど、どうされたのです」

 法主が不安げに声をかける。

「いやぁ…、まさか…、逃げるようなお人ではないとは思っていましたが…」

「逃げる??」

 法主は声を荒げた。それが一番恐れていたことなのである。

「ロ、ロダンさん!!まさか逃げたとでも???」

 若者の襟首を掴まんばかりの勢いで詰め寄る。

 若者は縮れ毛のアフロヘアを勢いよく掻きまわしたが、突然先程と同じように「あっ!!」と声を上げると、突然長屋の奥へと走り出した。その声を追うように法主も法衣の裾を捲り後に続く。狭い路地の道に互いの下駄音が響く。

 走り出すや、二人は路地のL字の角を曲がると、水かけ地蔵の前で立ち止まった。

 薄暗い蝋燭の火の中で影が揺らいているのが二人には見える。

 若者は影に声をかけた。

「田中さん…」

 それはそこにいる男の心を乱さない様、静かに落ち着いた声音だった。

 その声にゆっくりと影が振り返るのが分かった。蝋燭の揺れる炎の明かりが影に当たり、そこに男の表情を浮かべた。

「田中さん…」

 一歩、若者が足を進めると、田中の側に腰をかがめた。

「拝んでらっしゃったんですね」

 小さく縦に顔が動く。それを見てロダンが言う。

「お母様ですね。この地蔵の下で眠る」

 蝋燭で揺れる炎が、男の顎が縦に惹かれるのを照らし出す。

 それを聞いて、ロダンが蓮池法主の方を振り返った。

「法主、ここにいらっしゃるのがあの隠し子、いや疑念の子と言った方がいいですかね、その良二君です。それからこの水かけ地蔵の下で眠るのが…、この良二君の母親、佐伯百合です」

 




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 あの日の事をあらかた思い出すと、蓮池法主は便箋を広げた。それに目を通してゆく。

 それは肉筆で書かれたものではなく、パソコンで書かれていた。だから感情の起伏などを読み取ることは出来ないが、その代わり事件の報告を冷静に伝えるのには非常に適していた。

 法主は数枚の便箋を広げると古びたノートを便箋と並べるように置いた。

 そのノートを開く。

 それは誰かが書いた日記だった。

 日記の端が少し焦げて焼けているが、法主はそれを丁寧に一枚一枚捲って行くとやがてある日付の所で手を止めた。

 そこで息を小さく吐くと、日記に書かれた文字にそうように指をそっと置いた。

 それを目で追うようにゆっくりと心の中で読んだ。



 ――一月二日(月)

 本日、息子郷里より来る。久々に親子三人で水入らずの食事を道頓堀のかに道楽でした。久々に会った息子は母に似て、涼やかな眼差しをしていた。

 ちなみに妻も日ごろは財布の紐が固いのだが、この日ばかりは奮発したようである。

 食事をしながら漱石の『三四郎』を持って自分達に講釈を垂れる、また持参した野球のバットなどを見せて贔屓球団の選手の話などするところを見れば、少し大人になったようである。

 息子は妻の所で眠っている。

 いつか、三人で暮らしたいものである。



 蓮池法主はそこまで読み上げると次に便箋を手に取った。





 蓮池法主様



 この事件についての背景は五月のあの夜に既にお話しした通りです。

 あの日、田名さんは疲労困憊ならぬ心労困憊であったので、後日、僕が田中さんよりお聞きした殺人事件のことをまとめたものを送ります。

 彼が犯した犯罪は三つです。


 ・一つは父親(いや養父と言うべきでしょうか)の佐伯一郎殺し

 ・二つ目は実父の白井邦夫殺し

 ・三つ目は母親の佐伯百合殺し


 彼はこれらをあの少年の頃に犯していたのです。


 それでは順にお話します。








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「佐伯良一殺し」


 佐伯良一は生来大人しい人物だったようです。

 そんな佐伯良一ですが、しかし佐伯百合と出会ったことで彼の人生は一変しました。本当の意味でのこの一連の殺人事件の純粋な被害者であると言えます。

 彼は小さな佐伯の町で続く旅館『小松』の跡取りで法華の熱心な信者な母親のもとで育てられたのです。幼いころは身体もあまりすぐれず、その為良く子供の頃は本を読み、特に探偵小説が好きだったとこの前、大分で僕が聞きこんだ旅館のおばさん、あの方は旅館が始まった昔から働いていたようで、良く色んな事を教えていただきました。

 それで長じて家業を継ぐために博多にでてホテル勤めをしていて事業を学んでいたところ、佐伯百合が現れたのです。蠱惑的な魅力を持った彼女の出現に良一は心動かされ、恋に落ち、恐らく初めて女を知ったかもしれません。そんな喜びもあったのでしょう、彼は彼女の顔の下に潜む生来の性質を分かることなく溺れて行き、やがて気が付けば佐伯家の殆どの財産を失うことになりました。その内、彼は彼女が自分を愛していたのではなく、財産があることを利用しただけに過ぎないことが分かると、白井邦夫と間に悩み、やがて酒で肝臓を悪くし、癌となり死にました。

 僕はこの事件を解明するにあたり田中さんと話しをしていた折、『三四郎』について問いかけをしたのです。

 ――19と20に何か印象深い所はありますかと?

 その時、彼は言ったのです。

 特に見当たらない、と。

 そんなことは無いのです。彼にとっては十分、心当たる部分があるのです。文中に三四郎と男が話しています。レオナルドダビンチが砒素を有する砒石を桃の幹に注射することが。

 そうです。彼はそれを避けたのです。意識的に。

 それは何故か?

 確かに父、佐伯良一は病院で亡くなっていますが、彼は僕に言ったのです。

「父親の血管を繋いでいる点滴チューブに昆虫標本に使う薬物を含んだ注射針を指したら少量でも死ぬのではないか」と…。

 つまり彼は文中に殺害方法と似た事が明記されていることに気づき、それを避けたのです。

 殺害理由ですが、それは特なんでもありません、彼に対する暴力と暴言でした。

 物心つく頃から暴力に悩まされていた田中少年は、父親を疎ましく思っていました。酒を飲めば呪詛のように何かを吐き、自分を殴る。

 そんな子であれば、誰でもいつか父親を排除したくなるのも当たり前です。

 ちなみに母親は少年には優しかったようです。勿論、白井邦夫も。

 彼はこの殺害に関してこう述べています。

「単純に、父親の暴力が嫌だった。それだけだよ。母も白井さんも僕には優しい、しかしこの佐伯良一は鬼の様だった。意気地のない奴で酒におぼれて、ただただ暴力を振るう…僕にとっては屑だった。だから癌で死ぬのが分かったから、ちょっとその時期を早めてやったのさ。そう閻魔様の仕事がいくぶんか早く終わらせることが出来るようにね」


(25)

 


「白井邦夫殺し及び母親殺し」




 ここからはあの日の事にせまります。つまり一月三日に発生した大火事とそれに隠された殺害です。ここでは二人がともに殺害されていますので、一つの事件としていいと思います。

 時は佐伯良一が殺害されてから、数年過ぎた頃です。

 この頃田中少年は竹田にある佐伯百合の実家に祖父母と一緒にいたのです。

 その頃、母親の佐伯百合と白井邦夫は竹田を出て、大阪に出ていました。

 佐伯百合の実家は地元で小さな純喫茶「エデン」というお店をしていました。そこは小さなお店で、ごく普通の喫茶店でした。夏頃でしょうか、そんな田中少年の所に小さな包みが届いたのです。それは大阪にあるNという銘菓でした。

 それは母親が息子の自分の為に送ったものでした。喜んだ田中少年はそれを一口食べると、突然口から泡を吹きだし始め、その場で卒倒しました。

 次に目は覚めた時は病院でした。

 一体何が起きたのか分からない少年は、病院の点滴チューブを見ながら考えたのです。

 あれはもしや毒だったのではないかと?

 自分が父親にしたようなものではなかったかと。

 では誰がそんなことを?

 何の目的で?

 田中少年は考えました。

 それは、大阪に居る母親と白井邦夫のどちらかしかない。

 しかし、そんなことをして何になると言うのだろう。自分は父親については心中思おうことがあって、もしかしたら間接的に死の時期を早めるお手伝いをしたかもしれないが、自分が死ぬことでどんな得があると言うのだろうか?

 田中少年は、ふとその時、思い出したことがあるのです。

 父親の佐伯良一の葬儀の際、背を向けて隠れるように誰かに電話をする母親の声を。

「ええ…そうです。保険金ですね…はい、私の口座に振り込んでください、あと、お願いしていた息子の件も…お願いします」


「僕はその時、母親が僕も保険に入れたの、だと分かった。まぁ当時僕は子供だから保険の意味は良く分からなかったが、その時シンプルに思ったのは『人が死んだらお金になるんだ』ということだった。それだけだった。ただ、その母親の言葉を思いだすにつれ、実は殺した父親が毎晩、酒を飲むたび呪詛のように吐き出していた言葉を思いだすようになったんだ」


 あの守銭奴め、

 俺が死ぬのを待っているんだろう。

 多額の保険金を手に入れたら誰と上手くやるつもりだ?

 ああ、分かっているそれをあの子にやるつもりなのだろう!!


 そうか…、

 僕は思った。

 母親は僕を殺害しようとした、

 そう、あの子のために!!


 僕はその時烈火のごとく憤怒した!!

 母親はそういうつもりだったのかと。

 僕はこの時、自分を守るために母親を殺さなければならないと思った。


 これはその時からの田中さんの心境を僕が書き写したものです。

「それから日々、僕は色んな本を図書館で読んだんだ。親父が言っていた『不倫』という言葉もその時初めて意味を知った。なんと背徳な意味なんだとね。そう大人が読むようなものから、色んな殺害の記事なんかも…、でも特に自分にとって有益だったのはいくつもの探偵小説だった。ドイル、アガサクリスティ、江戸川乱歩…それらは素晴らしい犯罪が書かれていたからね。だから僕はそれらを読みながら明確な犯罪計画を立てたんだ。それはまさにロダン君、君が言う通り「愉快」で堪らなく悦に入る境地だった、そしてやがて僕は明確な殺害方法を考えたんだ。よくも自分を殺そうとしたな、そんなにあの子が大事かと心で僕は泣きながらも、一方ではこの殺人事件の完成に心から震えていたんだ。それがこの『三四郎』だったんだ」




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 蓮池法主、正直に言うと僕はあの火災は田中少年がまず母親を殺害後、その死体に灯油を撒き着火、次に白井邦夫を殺害して同じように灯油を撒いて火を点けたというのは分かっていました。それは消防の報告を見ると発火元と言える白井邦夫宅より、被災した長屋の方が炎の焼かれ方が激しかったという報告を見つけるに至り、そう推理しました。あとは少年の心に残る恨みでしょうか?図らずとも母親を先に焼くことで白井邦夫より先に灰にしたいと言う…

 おそらく凶器は木製のバットであろうというのも日記から推測されます。それは火事で焼失したことでしょう。

 しかし『三四郎』と日記はあの火事の中で残りました。

 それが結果として三十年を経て僕達に過去の扉を開けさせることになりました。

 しかしこの火災はここである偶然が田中少年を大きく助けることになりました。これは元々殺害計画には無い物で、それがこの事件を少し特徴だて際立たされるものでした。

 つまり佐伯百合の失踪となるのです。

 蓮池法主、この辺りは昔大阪城の外堀にもなり、あの真田幸村の真田丸の出城があった古戦場でもあったのです。それは御存じかと思います。

 あの日少年は紅蓮の炎が燃え盛る母親の邸宅の下から風が吹き込んで炎が巻き上がるのが分かったのです。

 見れば床下から風が吹いています。炎がその風に沿うように逃げてゆくからです、少年はその時狂気に駆られていたのです。無我夢中で床下の板をはがすとそこに平たい石と隙間から見える空洞を見つけたのです。

 そうです、これはこの辺りでは偶に見つかる洞穴道、つまり大阪城から落城の時の逃げ道だったという訳です。

 少年は瞬時に、その洞穴道に焼けて行く母親の死体を放り込んだ。

 それから石を元に戻すと、後は焼け落ちる母親宅から避難したんです。

 しかし田中少年の頭脳はこれだけでは止まりませんでした。

 火災検証が終わって暫くすると、やがて田中少年はこの場所にこうした道があることを役所などに調べられれば、投げ込んだ母親の焼死体が分かるのは時間の問題です。だから先手を打とうと決め、当時の坂上の寺院へ投書したのです。

 被災した母親宅の石土間付近に、水かけ地蔵堂を建て、亡くなられた方の魂を慰め、また二度とこうした火災で人が無くならないように願をかけていただきたいと。

 僕はそこまで幾つかの断片的なパーツを帰りの新幹線で組み立て、やがてその確証を掴む思いで戻り次第、あの水かけ地蔵を調べたところ、年月による隙間が見つかり、そこを覗くと何かしらの形があるのが分かりました。

 その事については、あの日法主と二人で水かけ地蔵の前で田中氏の言葉として確認した通りです。




(27)



 蓮池法主、ここに彼の「白井邦夫殺し及び母親殺し」についてのコメントの要点を口述したものを書き示します。

 しかしながらここまでに措いて僕はもうひとつの謎にぶつかりました。

 そうです、

 彼が犯行に至るにあたり、その意を決ることになった人物、あの子のことです。

 それを勿論聞かねばなりません。

 あの子とはだれか。


 「結局、僕は不安だったんだ。この三十年。ずっとね。白井邦夫と母親を殺して、僕はあの時、母親をあの洞穴道にとっさに放り込んだ。しかしいつか…、いつか見つかるんじゃないか思っていた。だから僕は現場に戻ることにしたんだ。あそこに居を構え、日々誰か来ないか、水かけ地蔵に詣でる素振りであの場所が誰にも分からないか確認していたんだよ

 それがあの『三四郎』を古本屋で見つける偶然に遭遇した。その時は驚きだったが瞬時に閃いたんだ。これを持ち帰り誰かに話したと仮定しよう、自分は犯人でありながら、もしこれが誰にも分からないものであるのならば、僕は犯罪者でない人生を送ることができる。そう、これは君が言うように『賭け』だったんだ。僕がこれから平和に生きて行けるかどうかのね…、

 トリックは本当に子供じみていたね。そりゃそうさ、子供の頃のものだからね。でも少しばかり自信はあったけど。だから君がこれに取り組みだした時、解けるもんかという『愉快』さと悦に入ってしまった。君のなぞ解きを助けるつもりなんかこれっぽっちもなかったけど、君が解いてゆくのを見る度、何度も何度も叫びたくなった。

 でも結局、僕は『賭け』に負けてしまった。ロダン君、僕は君の話を聞きながら君の活動力は僕の常に急所を歩き回った、そう、本当に君の足音が聞こえるようだったよ。

 さて君が今知りたいのは自分が解いた術とのことの照明ではなく、

 あの子のことだろうね。


 そう、あの子とは誰か。

 最初に言っておくよ。

 僕は間違いなく、佐伯良一の子供さ。間違いない。あの二人の隠し子なんかじゃない。

 そう、あの子こそが母親と白井邦夫が高校卒業後、福岡で隠れて生んだ子供なのさ。

 僕は一度だけ会ったんだ。

 昔、福岡で。

 目のぱっちりとした母親に似た美しい少年だった。

 彼の名はもう忘れた。

 しかし、

 あの守銭奴のような女である母にも、愛情を注ぎたくなるものがいたなんてね。父親も僕も結局そんな彼の為の『銭』でしかなかったことが、僕の母親への殺意を促したんだよ。白井邦夫は僕には正直どうでもよかったけど、幾分かこんな僕にも正義の心があるようなんだ。そうさ、父親の仇を討ってやろうと言う、変な正義感がね。

 結局、僕は得をしたのか損をしたのか分からない。

 母親の得た財産は全てその子が持っていたのだから。

 それじゃ、最後だね、ロダン君。

 いや小林君。

 君があの晩、蓮池法主の横で僕に言ったこの台詞僕は生涯忘れないよ。

 なんせ、法主でさえ驚いたんだからね。

 君は言ったんだ、アフロヘアを掻きながら。

 ――そう、田名さん、ちなみに僕の名前ですが、四天王寺ロダンと言うのは正しい名前ではありません。

 僕の名前は正しくは小林古聞(こばやしこぶん)。

 あの江戸川乱歩の小説に出て来る名探偵、明智小五郎の助手を務めた小林少年の遠縁にあたるものです。

 何せ、四天王寺ロダン何て偽名ですからね。もしこの辺りで本当に四天王寺って人が出てこられて、もし僕の事を知らないなんてあなたの前で言う様なものなら、僕はたちまち疑われる。

 だからあなたにお願いしたんです、田中さん。僕を下の名前の『ロダン』と言ってくださいとね。



『ありがとう』と言わせてくれないか。

 僕は自分が隠した三十年を君が全て白日の下にさらしてくれたことに対して、犯罪者だというのにすごく感動しているんだ。

 そう、本当になんとも愉快でたまらないんだよ。

 本当にありがとう、君。

 僕は刑務所に行くだろうが、いつかまた君とあの銭湯の湯船に浸かり、互いに再会できるのを楽しみにしているよ

 ではそれまで、

 さようなら、

 名探偵殿  」




 蓮池法主への報告となる便箋はここで終っていた。

 法主は読み終えると便箋を静かに机の上に置き、茶碗を口に運んだ。

 茶の渋い苦みが喉を濡らすと茶碗を置き、やがて手を合わせて、小さく経文を唱えた。

 それは低く声音で散華した魂への手向けだった。


 南無妙法蓮華経


 南無妙法蓮華経


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