作家になろう! ~地獄編~
私が作家になる方法、その秘策とは。
それは、「いけパク」です。
いけパク、とは私が作ったガイネンで、「いけず」プラス「パクリ」を合わせた用語です。
「いけず(要
その文脈で語られる「いけず」には、オモテとウラふたつの意味があります。
オモテ。
その台詞を聞かされたかたが、その言葉に悪意を感じたとしても、言ったかたにとっては、「遠慮しないで帰りなさい」という思いやりを品よく表現したものである。
そして、そう解釈するべきだ、と考える京都人フォロワーも大勢いる。
ウラ。
それは善意でなく、心の中で
「田舎者には分らんだろうが早く帰れと言ってるんだ」とか、「思いやりが分らないなんてやっぱり田舎者だな」とか。
悪意の疑いを告発するかたに対しては、「それは思いやりを品よく表現したものなのだ」と文化的もしくは権力的なアドバンテージによって反論を封じ込めることができる。そして、その封じ込めのマウンティング自体によって、さらにハラスメント的快感を得ることができる。
では、「いけパク」の例を挙げましょう。
「いけず」プラス「パクリ」が、どういう効果をもたらすか。
たとえば、「何を食べているのか知らないが、アフリカのジャングルに擬人化された動物たちの王国があり、その王様であるライオンの親子の話」を、日本の有名な漫画家が「ジャングル陛下」という題名にてコミックを書いたとしましょう。そしてそれがアニメ化もされたとしましょう。
※ご注意 あくまで架空の話ですからね!
そして、その数十年後、「何を食べているのか知らないが、アフリカのジャングルに擬人化された動物たちの王国があり、その王様であるライオンの親子の話」を、米の有名なエンタメ会社が、「獅子キング」という題名にてアニメを作ったとしましょう。その演劇化や実写化もされたとしましょう。
これをただ、パクリと言うのは簡単です。
漫画家のファンたちは、これを悪意ある盗作だと主張するかも知れません。米のアーティストが恥ずべきことだとコメントするかも知れません。「ジャングル陛下」アニメが米で放映された過去があっても、エンタメ会社のスポークスマンは「そんなマイナーなアニメ見たこともない」と言うかも知れません。
えっ、似たようなアニメが本当にあるって?
そんなアニメ見たこともないな~
しかし。
「獅子キング」の制作には、大勢の優れたスタッフが観客を思いやり喜ばせるために仕事をしたことには間違いないでしょう。
また「擬人化された動物の話」は「イソップ」を初めとして、「ジャングルブック」や「ターザン」と言う、ストーリーだけならすでに著作権フリーとみなされる文化的アドバンテージが実在します。
米の有名エンタメ会社なら、法的(権力的)アドバンテージも強大でしょう。そのフォロワーさんの数も漫画家の比ではないでしょう。そのフォロワーさんたちに盗用の疑いを訴えても「何をオタクなことを」と
私もまた、もしも、仮に、有名漫画家のファンだとして
「獅子キング」の演劇なんて実在しませんが(笑)。
え、スケールが大きすぎて、判りにくい?
それじゃあ、そうですねえ……カクヨムの話に置き換えましょうか。
たとえば、カクヨムに「せっかく異世界に転生したのに、底辺貴族の七男に生まれて苦労するけど、超パワーに恵まれて成り上がる少年の話」の「七男どうでしょう」を投稿した作者Aさんがいたとします。
※ご注意 あくまで架空の話ですからね!
「七男どうでしょう」がカドカワ関連から書籍化やアニメ化されて数年後、作者Aさんとは何の関わりもない作者Bさんが「せっかく異世界に転生したのに、底辺貴族の六女に生まれて苦労するけど、超パワーに恵まれて成り上がる少女の話」の「六女どうじゃろう」を投稿したとします。
えっ、似たような作品が本当にあるって?
そんな話読んだこともないな~
これをただ、パクリと言うのは簡単です。
しかし、作者Bさんが「七男どうでしょう」を評価したかたと同じ価値観を持つ読者さんのために、思いやり喜ばす気持ちをそれなりに持って「六女どうじゃろう」を書いたことは間違いありません。たとえ一部のユーザーさんが「六女どうじゃろう」を悪意ある盗作だと主張しても、その作品のフォロワーさんがいたとしたら、そのかたがたはそう思わないでしょう。「異世界モノに何を細かいことを」と心の中で貶すかも知れません。
また、「異世界にて現代人が超パワーで活躍する話」には、ストーリーだけならわざわざ例をあげるまでもないほど著作権フリーとみなせる文化的アドバンテージが実在します。「悲惨な境遇の末弟が成り上がる話」も同様です。
そして、正義を自認するユーザーさんの通報もあるだろうに、当の作品が存在し続ける事実がもしあったとしたら、それはカクヨム(カドカワ)が当の作品を少なくとも黙認(またはそう邪推される可能性をスルー)しているということになります。その場合、架空の作品「六女どうじゃろう」には権力的アドバンテージ(と周囲が確信する)状況があると言えるでしょう。
したがって、「六女どうじゃろう」が、カドカワ関連のコンテストで入賞する可能性もあるし、アニメ化される可能性もあるし、そのアニメが「七男どうでしょう」のアニメより出来がよくなっちゃう可能性さえあるわけです!
つまり、「いけパク」とは。
「読者さんのためという主張とそれを裏付ける努力と周囲の協力により、既存ヒット作品の要素を大量に取り入れながらもオリジナリティを持つと主張できる創作活動」
の、ことです。
その作者さんに悪意があることを証明できず、かつ、好意的に解釈してくれるマジョリティや権威による保護があるのなら、たとえ少しばかりパクリの指摘があっても、それは世間に認められた、いえ、むしろ賞賛されるべき行為なのです!
だって、カクヨムを含めた現実がそうじゃありませんか!
京都人の「いけず」のように、この「いけパク」さえ駆使することができたなら、きっと私は京都人のように愛される作家になれるに違いありません!
なぜなら、作者になるためのネックになっているのは、構想とインプットに時間をとられること、読者ウケを試行錯誤するために執筆量が必要なこと、だからです。いけパクによって、構想とインプットが簡略化し、しかも読者ウケがよくなれば、効率化ができて必要執筆量も少なくなります。
さらに、いけパクは、「フリー投稿サイトから書籍化というビジネスモデル」において投稿する「うま味」を増やすことができます。その今までの主な用途は、試行錯誤することと、実績をつくることの2つだけでした。
しかし「いけパク」なら、サイトからの黙認(またはそう邪推される可能性をスルー)の事実という権力的アドバンテージ(と周囲が確信する)の実績をつくる場にもなるのです。
要するに、消されていないんだから無罪、と言うことですね!
いいことずくめの「いけパク」。
誰が言ったんだ、「地獄」だなんて。
しかし。
私は、読者さんにウケたい、評価されたい、愛されたいと思っています。しかし、決して「読者さんのため」に創作活動をしているのではありません。
その行為がいかに善意のように見えたとしても、今の私は「自分のため」に創作活動をしているのです。
現在のトレンドに沿った作品、ランキング上位を占める作品を質的量的に書ける作者さんも、結局は「自分のため」に書いているのだ、と私は思っています。そのようなかたがたはとても幸運だと思います。
なぜならその状況は、「現在のトレンドが大好きな自分のため」に、息を吐くように楽しく書けること、それがたまたま同時に「現在のトレンドが大好きな読者さんのため」に書いているように見える、だけなのではないか、と私は思っているからです。
※ご注意 もし、そのような作者さんのかたがたが、何かよっぽどの理由で、自分を殺して本当に読者さんのためだけに苦労してイヤイヤ書いていたとしたら、大変お気の毒だと思います。かわいそうですね。
私は、トレンドを楽しく書けるタイプではありません。残念ながら。
「書きたい」作品を書かず、「書かなければいけない」作品を書くということは、ある意味自分の魂を捨てることです。
「作家」になるために、「作家性」を捨てるということです。
それが地獄でなくて、何だと言うのでしょう?
それでも。
婚活とウツと転職を潜り抜けた私は、「地獄のその先」を考えることができます。
愛するひとと一緒にただ生きることに比べたら、自分の得意なことを活かしてただ働くことに比べたら、「作家性」程度の「魂」など、いつでも捨てることができるでしょう。
次回、「作家になろう! ~転生編~」。
そこで「いけパク」を具体的に活用する方法を語りたいと思います。
……あくまでも、単なる妄想の話ですが。
もっと
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