第3話 月を見上げて
どうしてこんなふうになったんだろうと、そう思う。
最初からこんなふうと言う訳ではなかったのだ。なのに気付けば逃げて逃げて、逃げ続けていた。
夜風が吹いて目が少し開けづらい。少し目を閉じて風を感じる。
五月の夜風は思ったよりも肌寒かった。
街灯に照らされた明かりが眩しくて、その光から逃げるように歩いていく。気付けばいつの間にか、暗く人がほとんど歩いていないところに出ていた。そうしていると、かこんと、缶をけったような音がしてそちらに視線を向けた。
────水瀬がいた
「よう、不良少年。なにしてんの、こんなところで」
──あぁ、またか。そう思った
「お前こそ、なんでこんなところにいるんだよ」
「私?私はね、意気消沈してる男の子を慰めに来たってところかなぁ」
「……渡辺か」
大方言い過ぎたと感じた渡辺が水瀬に連絡を入れたとか、そんなところだろう。
嫌いな人間にやさしすぎるよなぁ……
あいつは何というか損な性格だとそう思う。
───それでも、渡辺には悪いが、水瀬にだけは会いたくなかった。
余計なお世話だとすら思ってしまう自分が本当に嫌だ。
「……まぁそうだね」
水瀬が答える。
「別に、わざわざ来なくてもよかっただろ」
少し、語気が強めになる。それが反抗期の子供の親に対する態度そのもので、情けない。
「……かもね。私もあんまり来たくはなかったよ。」
一瞬だけ呼吸が止まった。自分から突き放すような言葉を言っておいて、いざ相手から突き放されると、体が反応してしまう。
分かっていたと思っていた。いくら水瀬が学園のアイドル的存在だろうと、全く話す機会がないなんてことは、あり得ないと、分かっているつもりだった。
俺が、避けられているのだと……
分かっていたつもりだったのに、無様にショックを受けているのが、本当に涙がでそうなくらい滑稽だった。
「……そうか」
消え入りそうな自分の声が、耳に聞こえてくる。
「うん」
じゃぁ何で来たんだよ。そんなふうに言いそうになるのをぐっと我慢する。
きっと水瀬は、終わらせに来たのだ。俺たちの始まってすらいない関係性を。いや、始まってすらいないのだから、区切りをつけに来たといった方が正しいのかもしれない。
どうでもいいけれど。そんなこと。
でも、もし本当に水瀬がそのために来たのだったら、俺がそれを告げるべきなのだろう。
恐らくは。それが唯一逃げ続けてきた、俺にできる最後のことなのだから。
だが、俺の口から出た言葉は終わらせるための言葉じゃなかった。
「……なぁ水瀬、翔人君って誰だよ。」
「それ大輔に関係ある?」
心が痛いがここまで来たらもう止まれない。
「いや、関係あるとかないとかそんなんじゃなくてさ、お前ずっと断り続けてきたのにどうしたんだよ。俺はただ、幼なじみとして……」
そこまで言って、言葉が続かなくなった。アホか俺は。今さらもう、捨てるものもないのに。
だったら、だったら俺は……
水瀬の目を見て、終わりになるであろう言葉を告げた。
「───あるよ。関係ある」
「……」
「あるんだよ。だって俺は」
─────水瀬のことが好きだから
言った。
言っちまった。
水瀬の顔を見る。だが、水瀬が何を考えているかはその表情からは読み取ることができない。
沈黙が落ちる。
五月の夜風だけが、この場の音を占める。数メートル離れた水瀬の息遣いや鼓動も、自らの鼓動すら聞こえない。ただ、自然の音だけがこの場を支配していた。
そうして、数十分にも思える沈黙を破ったのは、水瀬だった。
「大輔はさ、いつもそうだよね。本当にいつもそう……」
ぐーと、伸びをして水瀬が大きく息を吸ったり吐いたりする。
「……どういうことだよ」
「何にも分かってないってことだよ」
「なんだよ。それ」
ムッとなって答える。
「大輔はさ、私をどういう人間だと思ってる?」
「どうもこうも質問が抽象的すぎる。だがそうだな、俺から見たお前って事なら、何でもそつなくこなして、でも案外抜けてる。だからお前は昔から最初は、周りから多少距離を置かれがちだけど、みんなお前のことを知ってくると、その距離はなくなる。だから、案外抜けてる自分をお前は嫌ってない。
小学生の頃は、お前が自分で壁を作って、周りから距離を置いてたから、周りのやつらがそういうお前に気付くのが遅れたけど、””アレ””以降はお前も自分から壁を作るような真似はしなくなった。
まぁ中学の頃は俺がお前を避けてたから、知らないって言われても、しょうがないかも知れないけど、何にも分かってないって程じゃないだろ。一応幼馴染だぞ」
「やっぱり分かってないよ」
俺が捲し立てるように言うと、それを水瀬はバッサリと切り捨てた。
「中学とかそれ以前の問題だよ」
「は?何を言いたいのか全然分かんないんだけど、結局どういうことだよ」
意味ありげな態度がムカついて、語気が荒くなる。
「いい。もういい」
そう言って、水瀬が小さく首を振る。
「いや、よくないだろ。俺が中学の時水瀬のこと避けてたからそれを怒ってるんだろ。俺のこと嫌いなら、そう言えばいいだろ」
「……大輔は、私が大輔のこと嫌いだと思ってるの」
「だから避けてたんじゃないのかよ」
「それじゃぁ大輔は中学の時私のこと嫌いだから避けてたの?」
「……それは、違うけど」
「そういうことだよ」
「だったらなんで避けるんだよ」
「……言いたくない」
は?意味が分からなくて思わず声に出てしまった。
どういうことだよ。
本当にもう。
「言いたくないって、じゃぁ一体俺はどうすりゃいいんだよ」
「───私のこと好きになって」
……………………わっかんねぇ。まーーーーーーーーーーーーーじで、わっかんねぇーーーーーーーーーー。
あれかな?もしかしてさっき俺が好きって言ったのが、俺の妄想だったりとかか?
夜寝る前に、俺がやってる、妄想クセスストーリーをまさかこんな時にもやってしまっていたとはなぁ。
……いや、だったらさっきまでの会話がおかしいし、そもそも俺の夜の妄想は、こんな現実の物語じゃないぞ。マジで分からん。てか、翔人君は?てか、会いたくなかったって言ってたけどアレは?いや、会いたくなかったのは俺もだけど……
分からん。結局俺のことをどう思ってるのかもわからん。
こんな状況で一体全体、俺にどうしろと……
……取りあえずもう一回好きって言えばいいのか?それで俺の妄想説も脆く崩れ去るだろう。
そうだな。そうしよう。もしかしたら、何か行き違いが、あったかもしれないしな!
よし、いうぞ。
「……水瀬好きだ」
俺はできるだけ、カッコよくそう言った。
「大輔は私のこと好きじゃないよ」
はい。
まぁそんな気はしてたよね。
「どうすりゃいいんだよ」
「私のこと好きになって」
無限ループか?
「……大輔はさ、もうちょっと私のこと考えてもいいと思う」
考えてんだよなぁ。
考えてるんだけどなぁ。
取りあえず今この場で水瀬になんて言えばいいか、浮かんでは消えて、浮かんでは消えて、そんなふうに考えていると、冴えているかは微妙だが、ひとつの答えが、でた。
「……よくわからんが、俺がお前のことを好きだってことを証明すればいいって事か?」
俺がそう言うと、水瀬は嬉しそうに笑った。
「うん。まぁそういうことかな」
そう一言つぶやいて。
俺は空を見上げる。すると夜空に月が煌々と輝いていた。
それをきれいだなと、そう思う。
「────月が綺麗ですね」
「うん。そういうことじゃない」
…………うん。知ってた。
だよな。そういう事じゃないよな。
てか、な~にが、月が綺麗だよ。ふざけんじゃねぇよ、漱石。
いや、実際俗説の方が主流らしいけど。
どちらにしろ、今の俺には、そんなものじゃ訳せない思いを証明しなくちゃならないのだ。
もう一度俺は空を見上げた。
夜空に浮かぶ月は、さっき見た時とは違い、まるで俺達を試すかのように輝いていた。
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