3.破天荒に生きたかった
『中指を立てるアニメ』
最近アニメには疎いのだけど、中指を立てるアニメが流行っていたみたいだ。1話と2話をAmazonプライムで観て、「なるほど!」って言って僕の中でブームは去った。面白いのだと思う。
中指を立てる事で社会や世界に反抗するという表明が手軽に可能であるのなら、僕も早い時期にそうするべきだった。具体的には1995年の二十代の頃にだ。当時から僕は絵を描いたり漫画を書いたり文章を書いたりして、何かを表現したいと思っていた。何故そのような創作活動に憧れたのかは正直なところ不明なのだけれど、小学生の頃、とても器用に鉛筆で絵を描く女の子にシビれたような記憶がある。容姿的には好みではなかったが、それでもサッサと走らせる鉛筆で描かれる絵は魔法みたいで素敵だった。 ──何故かブラジャーだったけれど。
中指の話をしていた。
1995年あたりに満ちていた、砂煙のような不安にぼんやりと含まれている事を全員が知覚していた空気。当時僕が二十かそこらで、社会全体が「これから日本に良い事は何も起こらない。虚飾と偽善に満ちた世界は終わりを迎えるし、幸福と希望は我々の上の世代が全てかっさらっていった。お前たちはこれからそのツケを延々と払わされる事になる。そして、訪れる幸福は概ね小さいものとなるであろう」と宣告され続けている気分にあった頃を思い出す。あの時に中指を立てなければ、いつ立てるんだ。
僕は立てていたか?
立てていたと思う。何もかもがファックだった。ファック・オフだと思った。大学の就職説明会だとか、大学の美術部の名ばかりな部活動だとか、親の期待だとか、薄ら寒いバラエティー番組だとか、何もかもが嫌だった。鬱だったのかも知れない。何にも意味が見出せなかった。その結果としてとった行動は、幸せになれる道筋からわざと外れる事だった。努力し競争し、確定している暗い未来から頭一つ飛び出す為に不安定な脚立の上にさらに椅子を乗せ、その上に立って平然と「こんなものはどうって事ないです。本当です。御社の社是に感銘を受けました」と言う為の準備をことごとく放棄する事だった。
今偉くなっている僕と同年代の人達は、そうした空気の中で自分を見失わず、着々とキャリアを築いてきたリアル人生ガチ勢の方々だ。素直に尊敬する。あの四方八方から銃撃を受け続けているかのような血の浜においてなお、彼らは未来を見捨てず、飽くなき夢を見て突き進んで行ったのだ。努力は必ず報われる。幸福な家庭を築いて一軒家を築き、自家用車で娘を送り向かいする。趣味に精を出して生活と両立させる。立派だ。逆に、彼らから見れば僕は屑だろう。反論は出来ない。でも、僕は僕なりにやれる事をやってきたのだ。本当に? ──本当に。
今、2018年。
僕はピンクのネクタイをして、ジャケットを着て、白いフレームのメガネを掛けて毎日会社に行っている。何が起こったのか自分でもよく分かってない。時々、会社帰りににわか雨が降ったりして、鞄から折り畳み傘を取り出して差して歩く事がある。その度に、今自分がいる状況について考えない訳にはいかない。無意識に折り畳み傘をパッと広げる時、僕は敗北感について考えるし、それがやってくる出所と、今僕が立っている場所について考えない訳にはいかないのだ。
中指は立てているか?
大丈夫、まだ立ってる。
※2020年3月5日改稿
【コメント】
なし
レビュー☆3
本文なし
集計期間: 2018年4月27日 22:16 〜 2020年2月17日 04:10
❤️4 👁41
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