2.友達の作り方

 胸に手を当てて考えてみる。フォレスト・ガンプみたいに。

 人生で、一番最初に出来た友達って誰だろう?


 僕はというと、たぶん幼稚園くらいにできた日本人の男子だ。僕は当時、父親の海外赴任で家族でまとめてシンガポールに引っ越して、外国の幼稚園に通った。兄が言うには、その当時僕は英語を喋って、ネイティブな人達と友達になってたらしいのだけれど、残念ながら全く記憶にない。


 何故僕がその日本人男子を最初の友達だと思ったかというと、二人で写真に写っていたからだ。マンションの玄関前でお揃いの制服を着ていた。僕はその写真を少し前に実家に帰った時に発見した。

「あー! 居たなー、いたいた! で、えーっと、あんた誰だっけ」

 という塩梅である。薄情過ぎる。でも本当に思い出せない。一緒に遊んだ筈なのに、そこには何かしらの会話があったはずなのに、四十歳くらいで写真を見るまでその子の事をただの1ミリも思い出した事がなかった。


 まあそういうモンだよね、と思いながらつい最近までいたのだけれど、ちょっと気になり始めてきた。何故忘れた。っていうか、友達って何だろうか? 一番最近できた友達って誰だろう?


 僕はもう四十代だし、友達について考える事なんて滅多にない。世間一般でもあまり無いと思う。友達よりも優先すべきものがたくさん、たくさんあるからだ。だからこそ考える価値がある。考える時間がある時に本気だして考えるべきだ。特に今みたいにSNSで人と人が繋がりやすい現代において、友達と呼べるハードルってすごい下がってるんじゃなかろうか。フォローしたら友達みたいな、一緒にご飯を食べたら友達、友達の友達も友達、とかそういう。


 あるいはもう、友達なんて概念は失われてしまったのではないか。

 ご飯を食べながら携帯をいじることは既に同席している友達にも失礼に当たらない風潮が形成されつつあるように、会話をして気が合う、合わないを推し量る事も既に過去の事なのではなかろうか。そんな面倒くさい事はともかく置いておいて、気が合おうが合うまいが、フォローフォロワーの関係で十把一絡げに友達ドーンなのではないか(乱暴過ぎる)


 僕は友達はとても少ない。でも、懐かしいな、と思い出す友達もいる。もう一生会えない人達だ。先に言っておくと死んでない。文脈上死んでる感がすごい。文章こわい。


 懐かしく思い出す友達は、シンガポールに住んでいた向かいの部屋に住んで居たダニエルだ。何で忘れないかというと、一つ年上の外国人の女の子だったからだ。ドイツ系アメリカ人だったと記憶している。赤ら顔でソバカスがキュートなブロンドの女の子だ。確か英語で話をしていたと思うのだけど、まあ例によって覚えてない。僕が小学校に上がる前に彼女は転校して行った。


 僕の三歳上の兄と文字通り犬猿の中だった。兄は英語が大の苦手で、一切喋らない。でも、兄とダニエルはほとんど殴り合いになるんじゃないかってくらい、豚みたいに口汚く喧嘩していた。何をどうしたら言葉が通じない同士で喧嘩できるのか、僕には訳がわからなかった。


 ダニエルは「お前はキュートだけどその兄はマジ最悪だ」と僕に言った。兄は兄で、「あのクソと何して遊べって言うんだ、信じられない」と言った。その間に挟まれた僕は想像の通り、大変辛かった。僕はその中で最年少であったし、何がお互い気に食わないのかまったく分からないので、どうとも出来なかった。


 その二人は相手がいない時を見計らって僕に悪口を言って、それから何故か、僕とより親密になったかのような雰囲気が醸し出された。お前は俺のこと(あたしのこと)を理解してくれている。だから、

 実際の僕はと言うと、ひたすらに困っていた。一人になりたくなくて、誰かと一緒に遊びたいのだけど、どっちかと遊ぶとどっちかの機嫌を損ねてしまうのだ。三人で一緒に遊ぶ事は難しい。海外という特殊な場所において人間関係は閉じられ、窒息しそうに窮屈なものだった。だからこそ、強烈な印象が残っているのだと思う。


 悪口を介在として友達や味方が作れる事を、人類はDNAレベルに刷り込まれているのだろうか。それはひどく幼稚なコミュニケーションの方法ではあるけれども、それが友達や仲間を作る方法として元祖なのではなかろうか。誰かと親しくなる為に、別の競争相手を貶めす事で相対的に友好関係を築き上げること。それは時に、とても有効な手段に思える。だが、あまりにもさもしく、惨めで痩せた未来しか見えない。


 やがて大人になって、通う職場でも誰かが誰かの悪口を言って徒党を組んでいる。男も女も関係なく、元祖のやり方が幅をきかせているように思える。あまり深く考えると「現世は地獄・来世に期待」以外に答えは出てこないので、シンプルに「元祖はつえー強いな!」とだけ思う事にしている。何であろうと老舗は強いのだ。だからしぶとく生き残っている。元祖イズストロング。老舗イズパワー。頑張って英語を思い出しながら訳するとそういう風になる。致命的な程に残念な英語力だ。


 ダニエルが引っ越しした日はよく覚えている。

 昼下がりのいい天気で、僕は自宅四階のベランダに出て、少し先でダニエル一家がタクシーに乗り込む様子をマクドナルドを食べながら見ていた。何故僕がマクドナルドを食べていたのかはわからない。多分見せびらかしたかったのだろう。もしかしたら「マクドナルドまじ最高!」くらい叫んでいたかも知れない。クソ馬鹿だったので。


 それでダニエルは僕に大きく頭上で手を振ってタクシーに乗り込むと、そのまま去って行った。? と僕が思ったのは、その手を振るダニエルが逆光になって両目に焼き付いた瞬間だった。それはとても眩しくて、影絵のように瞼の裏に残った。それから、マックを食べながらちょっと泣いた。誰かと一生会えなくなる可能性なんて、それまで考えた事もなかったから。


 兄にダニエル引っ越したよ、と伝えるとすごい喜んだ。

「ようやく居なくなったか、あのブス! やった!」

 僕はそれからしばらく兄と口を利かなかった。


 今はどうしてるんだろうな、と懐かしく思い出す。やはりあの予感の通り、ダニエルはそれっきりだ。黄色い光に浮かぶ黒い影が最後の姿だ。

 お互い四十代だし、どこかのマクドナルドでゆっくりと話ができればいいのだけど。でも、あまり話す事はないような気もする。英語ももう喋れない。それでもいい。コーラを片手に、黙ってフライドポテトをつまむだけで良い。

 それだけでも、充分ともだちだ。


 ※2019年4月26日改稿 2020年3月3月16日改稿







【コメント】

 ◇シンガポールのマクドナルドがなんとなく本場っぽい感じがしたのでちょっと嫉妬しました‼️ちょっとね‼️🍔🤔✨元祖とはうまい感じで距離を保ちたいです🙄駆逐してやる‼️っていうほどのアレは持ち合わせていませんが真っ当に生きたいと思いました‼️‼️


 ◆コメントありがとうございます! 元祖はストロング。付かず離れず、匂い臭わず、オトナな態度で最後に「さんをつけろよデコ助野郎」ってブチ切れたいですね! 頑張りましょう!

 江戸川台ルーペ 2019年4月29日 13:13 編集


 ◇お兄さん……。てっきりそこは実はないちゃったりして、好きな子はついいじめちゃうんだよ、みたいな展開かと思ったんですけど。そんなことはなかったみたいですね。


 ◆最後までめちゃ仲悪かったです。

 普通に嫌いだったようです。

 現実は暗く切ない。

(コメントを頂戴した方のお名前)様の小説のように、綺麗に澄んだ世界であれば良いのに。実際は。ドンマイです。

 江戸川台ルーペ 2018年9月13日 12:44


 ☆9 レビューコメントなし

 集計期間: 2018年4月26日 22:52 〜 2020年2月15日 06:59

 ❤️11 👁61



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