20:対峙
ピタっと演奏が止められ、精霊は一瞬にして姿を消す。
「あ、明石先輩。」
「アンサンブルやってた? 練習止めちゃってごめんね。」
「いえいえ……。」
クラリネットパートの明石先輩。舞莉がいじめられて不登校だった時、居眠りしてしまう舞莉を中傷する人に、「舞ちゃんはいい子だから、悪く言わないで!」と言ってくれたらしい。
うちの吹奏楽部の中では珍しく、何でもかんでも『長い物には巻かれろ』ではない人なのだ。
「明石には言っていいんじゃね?」
「そうだね。僕たちが舞莉を助けてるからといって、陰口とか誰かに言いふらさない人だと思う。」
実質、精霊二人からの承諾が得られた。
「あの、実はですね。」
舞莉は言うことにした。
「ここに精霊が二人いるんです。さっき演奏してたのはそのうちの一人で。」
「精霊?」
すると、さっきいなくなったばかりの二人が現れた。
「ぅわぁっ……!」
「俺がやってた。うそついてごめんな。」
どこから出したのか分からないような声が出てしまった先輩は、口に手を当てる。
「ていうか、気づいてただろ? 発表本番の時に俺がグロッケンの音出したら、こっち振り向いてたから。」
「あ……あれ、そうだったんですか。」
「ちなみに俺はカッションだ。よろしくな。」
確かに、カッションが初めて
座る席が鍵盤楽器の間近なので、明石先輩はカッションのいたずらをすべて聴いていたに違いない。
「あと、ソロの補佐や全体の音をまとめている、バリトンです。」
フェードインで姿を現したバリトンは、胸に手を当てて一礼する。
「カッション……バリトン……。さっきの『スカイブルー』もすごかったし、舞ちゃんがうまいのはこの二人のおかげ?」
舞莉が「そうですね。」と肯定しようとすると、被せるようにカッションが一言。
「違う。」
「違うね。」
バリトンも同意見のようだ。
「あれは舞莉の真の実力だよ。僕たちがどんなに教えても、伸びない子は必ずいる。音楽は少なからず才能も必要だからね。」
「もともとは舞莉、クラリネットやりたかったって言ってたな。パーカスもサックスもあんなに飲みこみが早いんなら、クラリネットも仮入部の時点でよかったんじゃねぇか?」
先輩はカッションの言葉にハッとしてうなずく。
「はい。舞ちゃん、うちにほしかったんですよ。」
「やっぱりなぁ。あと、俺たち二人のことは他の人には言うなよ。舞莉が恨まれるかもしれねぇからな。」
「分かりました。」
頼みごとを引き受けた明石先輩は、「こっちこそ、ここに長く引き止めてごめんな。」とカッションから詫びをされて、音楽室を後にした。
「
始終のやりとりを傍観していた大島先輩がつぶやいた。
次の日の月曜日から、一年生は平日も舞莉たちと同じ、六時まで部活をするようになった。
放課後、音楽室に行くとすでに楽器が用意されてあった。大島先輩や司、昨日楽器の運び方を教えてもらった一年生が出してくれたのだろう。
「こんにちは。」
「こんにちは〜」
後輩からのあいさつににこやかに返し、舞莉は荷物を置く。
「今日は一年に何教えるんですか?」
「そうだなぁ……。どうしよう。」
って、考えてないんかい。
今日もパートリーダーであるはずの細川先輩が来ていない。代わりに大島先輩がリーダーをしているのだ。
「き、基礎教えるか。えっと……一・二番とか。」
「分かりました。スティック、向こうから取ってきますね。」
舞莉は小物台に目をやり、準備室に入る。
ガチャ
準備室の廊下側のドアが開かれた。舞莉は息を飲んだ。
「あ、こんにちは。」
心の中を悟られまいと、ポーカーフェイスを貫く(貫こうと努力する)。
「久しぶり。」
サックスにいた時から遠目では見てきたが、近くで見るとより分かった。やさぐれたような顔をしていたのだ。
「また戻ってきました。よろしくお願いします。」
「もりもってぃーから話は聞いてるよ。おかえり。」
細川先輩だった。
舞莉がサックスに移動しようと決めた原因の、張本人である。
前パートリーダーの高良先輩は、コンクールが終われば引退したのでまだよかった。しかし、細川先輩も高良先輩と一緒になっていじめてきたのだ。細川先輩とあと一年やっていくのは、舞莉の心が持たなかった。
苗字で呼んでいるのも、そういう理由である。
舞莉はスティックを持って、細川先輩に続いて音楽室に入った。さっきまでにぎやかだった一年生が静まりかえっている。
「みんな、あいつがパートリーダーの細川だ。」
静寂を割って、大島先輩の声が響く。
「一年生のみんな、はじめまして。細川志代です。よろしくね。」
「「「よろしくお願いします……」」」
「志代先輩、これから一年に基礎打ちを教えようとしていたところです。」
報告した司に、細川先輩はニコッとして「オッケー。」と返す。この笑顔はあの時と変わっていない。たとえ顔つきが変わったとしても。
そういえば、司って細川先輩のこと下の名前で呼んでたっけ?
「舞莉、大丈夫か?」
帰り道、肩に乗るカッションが声をかける。
「急に来たからね……。」
バリトンの心配そうな声が脳内に響く。
『大丈夫。それは覚悟してたから。それよりもさ……。』
「どうした?」
『このままじゃ、昨年の悲劇をまた繰り返すことになっちゃうよ。』
「「どういうこと?」」
舞莉は今日のパート練習を見ていて思ったのである。
『実力の差によるパート内のカースト、ドラムしかできなかったり鍵盤しかできなかったり。まさに大島先輩や司。私だってカッションがいなかったら、今ごろドラムはできてないはず。』
「なるほどな……。」
今日、細川先輩が来たことにより、パーカッションパート全員でパート練習ができた。高良先輩の思考を継ぐ細川先輩が、誰がどの楽器で練習するのかを指示していた。
『たぶん楽器で練習させる前の基礎打ちで、誰にドラムをやらせるか見てたんだと思う。それで野口くんを選んだんじゃないかなぁ。』
「確かに、俺から見ても野口と島中がいいと思った。」
「でもまだ、そう判断するのは早いんじゃないかな?」
『今日だけだもんね。あと数日は見てみるよ。』
明日も細川先輩が来るとは限らない。これからも実質的なパートリーダーは大島先輩だろう。
『……大島先輩自身も、ちゃんと基礎を教えてもらえなかったんだよ。特に鍵盤は。誰かさんのせいで。』
舞莉もカッションに教えてもらったもので練習しているので、パート伝統の練習の仕方はあまり知らない。
『パートリーダーはあんまり来ないし、頼みの綱の先輩は頼りない。司も途中から来た身で鍵盤はできない。じゃあ、誰が一年生を育てていくのかってこと。』
「ああ、舞莉のやりたいこと、分かっちまった。」
「僕も……なんとなくは。」
勘のいいカッションはひらめき、バリトンも薄々勘づいているようだ。
六時を過ぎてもまだ浮かんでいる西日に、舞莉の顔がまぶしく照らされた。
その後、平日の間は様子を見ていた。金曜日にまた細川先輩が来たが、今度はあかりを呼び寄せてドラムをやらせていた。亜由美と帆花は、パーカッションになってからまったくドラムを触っていない。
細川先輩がいない時も、大島先輩は細川先輩のやり方にのっとってパート練習をしていた。
「やっぱりか……。」
土曜日、舞莉は細川先輩が来ないのを確認して、作戦を決行した。
一年生は午前中だけ練習して帰ってしまう。
ドラムが空いていた。
「帆花ちゃん、ドラムやってみない?」
「えっ、私がですか!?」
「今空いてるからさ。」
舞莉は、ビブラフォンで半音階の練習をしている帆花に声をかける。ちょくちょくドラムに目を向けては目を伏せていたからだ。
「でも、野口とかあかりとか……先輩も使いますよね?」
「いいのいいの。うちらは午後も練習できるから。私はみんなにドラムができるようになってほしいの。もちろん鍵盤もね。練習しなきゃできるようにならないから。」
「そうなんですね……。でもやってみたかったんです!」
パッと笑顔になり、嬉しそうにドラムの椅子に座る帆花。
舞莉は初めてドラムを触った時のことを思い出しながら、まずは右手でハイハットを、左手でスネアドラムを叩くことを教えた。
舞莉は亜由美にもドラムのお誘いをしてみた。しかし、
「あっ、大丈夫です。私は鍵盤をやりたいので。」
亜由美は断ったのだ。
「私的には、一年生にはドラムも鍵盤もできるようになってほしいんだけど……。」
「あの……本当に大丈夫なんです。」
「本当にいいの?」
「はい。」
揺さぶりをかけてみたが、意志を貫いている。
「……分かった。じゃあ……一年の四人の中で一番鍵盤ができるようになってね。」
「は、はい!」
まだパーカス七日目の彼女に言うのは無謀すぎだと、一瞬頭をよぎった。しかしこの飲みこみの早さといったら、すぐに舞莉をも抜かしそうな勢いなのだ。
「無理をしてやらせることはないからね。いいんじゃないかな。」
肩の上のバリトンが言った。カッションは……舞莉のスティックに宿って寝ている。
『こういう時こそ、カッションに頼りたいのに。』
「ある意味、舞莉が成長するための試練ってことで。」
『試練……まぁ、基礎打ちしてカッション起こすか。』
舞莉は小物台から細く白いスティックを手にとった。
その日の昼食。一年生を見送り、舞莉たちは三人で一つに固まって弁当を広げる。舞莉の弁当は、昨日の夕飯であまったビビンバ丼の具と、冷凍食品の詰め合わせだ。
「大島先輩、これから一年をどういう風に育てていこうとか、そういうのってあります?」
「な、なんだよ急に。」
「いやぁ、明日で一年が入ってきてから一週間なので、そろそろ垣間見えてもいいんじゃないかって。」
「……特にない。」
首を振ると、先輩はご飯の塊を口に入れる。
「聞くってことは、何か羽後考えてる?」
「まぁね。」
司は感心するように何度もうなずく。
「一応考えを共有しておきたくて。ほら……先輩によって考え方が違ったら一年が混乱するだろうし。」
「それで……羽後は何を考えてるんだ?」
大島先輩が、もったいぶって話さないその先を促した。
「今年の一年には、みんなにドラムと鍵盤ができるようになってほしいんです。それは二人が一番痛感してるはず。」
「「う……」」
鍵盤楽器を教えられるのが舞莉しかいないのだ。ドラムは一つしかないが、鍵盤楽器はグロッケン、シロフォン、ヴィブラフォンの三つもある。近々マリンバも買ってくれるとのことで、それも含めば四つだ。
せっかく練習できる台数はあるのに、先輩の方が人手不足だからなぁ。
「あと、土日の午前中は一年に優先して楽器を使えるようにしたいと思っていて。私たちは午後練習すればいいかなって。」
舞莉は昨年のことを持ち出した。
楽器を使うには先輩に一声かけないといけなかったこと。特にドラムは高良先輩の許可が必要だったこと。それにより舞莉は楽器が使いづらく、なかなか楽器での練習ができなかったことを。
「覚えてるかは分からないけど、司も結局は先輩に『使っていいよー』って言われてから練習してた。私は呼ばれることなんてなかったから、音楽室の楽器で練習したことは、あの時ほとんどなかったよ。」
「俺もそうだったなぁ……ずっと。」
顔をしかめて大島先輩がため息をついた。
「だから、楽器が空いていれば誰でも使っていいっていうことにすればいいんじゃないかって。」
「なるほど。」
「楽器を使って練習できるに越したことはないですからね。」
あの提案は舞莉自身の挑戦でもある。
まず二年生という立場、サックスから移動してきたという立場で、先輩に意見を出すことだ。昨年のパーカスではありえなかったことである。常に高良先輩の指示で動き、高良先輩の顔色を伺って、パートメンバーは練習しなければならなかった。
次に、発表が一ヶ月後に迫る中で一年生に楽器の使用を優先させることだ。ただでさえ時間がない上に、貴重な土日練習のうちの午前中をつぶすのである。しかし、
「昨年と同じで、一年生は集会室で練習するようになるんですよね。それまでの辛抱です。」
ずっとそれが続くことはないと、舞莉は分かって言っていたのだった。
「そこまで考えてるなら羽後の好きにしろ。」
「でも、一年に怒らなきゃいけない時、私じゃ口出しできないです。ちょこちょこ移動してるので……。」
「俺もそんなに強く、ビシッとはいえないからなぁ。司は?」
「俺もあんまり。そこは先輩、よろしくお願いしますよ〜」
誰もいわゆる『先輩』として叱れる者がいない。
舞莉は一年生が調子に乗りすぎないよう、祈らざるをえなかった。
音楽室に附け打ちの音が響く。一つ一つ噛みしめるようにまた一つ。
『こんな感じでいいのかなぁ? ドラム椅子の上とか、全然安定しないんですけど。』
床に置いて練習していたのだが、下の階の図書室に響いてしまい、文句を言われたとのこと。机に置いてやってみたが、引き出しの部分の空間に響いたり、ギシギシという雑音が入ってしまった。
そこでドラム椅子を使ったのだ。しかし、木の板が座面から微妙にはみ出しているので、叩くたびに板が跳ね上がってしまうのである。
「いい台ないかなぁ。とりあえず今はこれで練習して。板も他のを試してみようか。もっといい音がでるやつをね。」
「はい、分かりました。」
森本先生は首をかしげる。
技術の先生に作ってもらったお手製なので、まだ試行錯誤が必要だ。だが発表は一ヶ月後。
しかも細川先輩はなかなか来ない。
『昨日、細川先輩と『クシナダ』の担当決めておけばよかった。』
「とりあえずSからのグロッケンをできるようにな。」
『分かってる。』
明日は舞莉がパーカスに戻ってから初の、コンクール曲の合奏がある。
『最初のグロッケンから、新規だもんね。』
主にグロッケンと附け打ちが加わった『クシナダ』。明日の合奏でどのように響くのだろうか。
次の日の午後イチ、舞莉の顔は真剣そのものだった。
「久しぶりに合わせるので、まずは頭から。」
「「「はいっ!」」」
舞莉はマレットを持ち、グロッケンの前に立つ。
ピアノのアルペジオの後、フルートのソロが伸びやかに吹かれた。舞莉はマレットを構え、ピアノと同じ旋律を叩く。
ゆっくりなテンポなので、少しピアノとずれてしまった。
カン、カン、カン
森本先生が指揮棒で譜面台を叩く。
「今のグロッケン、しっかりピアノと合わせるように。」
「はいっ」
ふむふむ、こんな感じか。
「じゃあ続きのAからいきます。」
「「「はいっ!」」」
木管楽器の人たちが一斉に楽器を構えた。先生がカウントを出すと
Bの二小節前からのグロッケンを六連符で叩く。
『(テンポ)六十だから焦らないように……。』
しかし、今まで六連符の練習をしてこなかった舞莉は、まだどれくらいの速さで叩いてよいのか分かっていない。
管楽器の方で注意がいくつか入り、練習番号Bから再開する。
舞莉の出番はないので、Bの終わりのグロッケンまで待っていた。
カン、カン、カン
「パーカッション、Bからのボンゴって誰がやってますか?」
先生の指揮棒がこちらを指した。先生が言っているのは、舞莉の持っている『Percussion 4』の楽譜に書いてあるものだった。
「そこは……細川先輩がやるところです。」
「あの、今は代わりに羽後さん、やってくれますか?」
おいおいおい……マジで言ってんの……! 全然練習してないんですけど! しかもアクセントとかついてるし!
「えっ! ……はい。」
「ちょっと今できますか? アクセントはつけなくてもいいので。」
い、今ぁっ!?
音楽室がザワついた。他の人も舞莉がパーカスに戻ったばかりで、ろくにコンクール曲の練習ができていないのを分かっている。
舞莉は小物台からスティックを取った。いつもの持ち方で何発か叩いてみるが、音は軽く小さい。
「逆側の方がよさそうですね。」
今度は、通常は手で持つ方で叩いてみた。芯があって大きな音が出る。
「『Bongos or
こそこそと「えっ、できるの?」という声が聞こえた。
『八分の六拍子だから……こうかな。』
タータタ タタタ……タータタ タンタタタ……
舞莉はとてつもない集中力で頭をフル回転させ、八分の六拍子の跳ねるようなリズムを脳内再生する。口先からリズムがついで出た。
『よし。』
舞莉の握るスティックが動いた。楽譜を見る目は鋭く、音楽室は張りつめた空気で覆われた。
「うん、いいですね。じゃあBから全員で。羽後さんも入ってください。」
「「「はいっ!」」」
インテンポでメトロノームが鳴らされた。
先生のカウントで舞莉はボンゴを叩き始めた。
「おぉ〜」
ボンゴが入ったことにより八分の六拍子が強調され、管楽器もリズムを取りやすくなったのだろう。
「やるじゃん、舞莉!」
スティックから飛び出してきて、カッションは舞莉の脇腹をひじでつつく。
『あ〜〜〜〜あ、ビビった。』
「細川がいねぇから舞莉が尻拭いか。今はちょっと力を貸してやったけど、俺がいなくても大丈夫そうだな。」
カッションはスティックに戻らず、後ろの壁に寄りかかった。
「これからもこういうことがありそうだな。でも、舞莉ならできるぞ。追いつめられても、舞莉はつぶれない。むしろ強くなる。」
『そうかな? 自覚ないけど。』
舞莉は椅子を持ってきてクロスをしき、スティックを置いた。
『一小節で移動……。こりゃあ忙しくなりそ。』
心の声からは『イヤイヤやらされている』ようだが、舞莉の胸は高まる一方だった。
スピリッツ・オブ・ミュージック♪ 水狐舞楽(すいこ まいら) @mairin0812
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