2=5‐5‐5‐5(テトラクイント)

 美しいというよりは可愛らしい。明らかに発展途上の肢体だった。

 だが彼は地上にある国家のどれよりも長く生きている。そのいたいけな姿形を変えないまま。AR・9\アール・ナインエッジ。吸血鬼。旧き世界を滅ぼした、最悪の魔王。


「そんな、じゃあてめえは何だ!?テトラクイントとでも言うのかよ!?あのテトラクイントだと!第一、あいつはジジイじゃねえか!いや、死んだはずだ!とっくの昔に死んだんだ!!」


 ジェスティは少女に向かってわめきだした。内容が支離滅裂になってきたが、それを受ける少女の、金属的な目の色は変わらない。

 かたわらの吸血鬼に比べれば、むろん美人とは言えない。だが強い意志を持った瞳だった。いぶした銀色の髪も相まって、その視線には石のような重みがある。


 その首から下がる細い鎖。その先に揺れる小判型の板。ただ数字が入っただけの、装飾にもならない識別標ドッグタグ


 そこに刻まれた数字こそ、四つの五つ。すなわち5-5-5-5テトラクイント。少女の名だった。


「もちろん死んだわ。あの偉大なるテトラクイント、GN・5-5-5-5ジーン・テトラクイントは死んだ。お前に言われるまでもなくね。そして数字は受け継がれた!このあたしに!DZ・5-5-5-5ディーズィー・テトラクイントが数字を受け継ぎ、棺守りの秩序を守る!秩序を乱す者を裁く!」


 決然と言い放ち銃を掲げる。十字、あるいは花弁の形をした四発の弾倉。それぞれの穴に外接する正五角形の紋様。代々受け継がれた励起銃ドアノッカーだった。


「ま、待て、知らなかった!知らなかったんだ!」


 先ほどまでの自信をかなぐり捨てて、それなりの修羅場をくぐった男が命乞いをしだす。惨めな有様だが、道理ではある。

 相手は人が扱うために知性さえ削り取った木偶人形ではない。正真正銘夜の王者。その中の最強の存在だ。須臾しゅゆの後に真空が爆発してビッグバンが起き宇宙が滅ぶことはあっても、勝ちを拾うことは絶対に無い。

 大人と子供の差どころではない。重力が斥力になることは無いというレベルで、原理的にあり得ないのだ。


「というと?」


 ディーズィーは一応聞く。


「知らなかったんだ。その、あんたがテトラクイントを継いだなんて。それを知ってりゃあ、絶対にこんなことはしねえ!誓う!絶対に!識票の数字に誓ってもいい!」


「なるほど」


ディーズィーは重々しくうなづく。男の声音は真に迫っていた。実際ここで逃がしても、当分あるいは一生大人しくしているだろう。そもそも吸血鬼を失った棺守りにできることなどたかがしれている。


「確かに、お前にはテトラクイントの下で法を乱せるような意気地はなさそうね」


「ああ、ああ!そうだ、そうですとも!」


「不運なことね」


「へ?」


「私がいることを知る前に罪を犯したお前は不幸よ。この町の人々と同じように。なす術もなく消し飛ばされるんだからね」


「ま、まっ!」


「棺守りの法は一つ!その名そのもの!棺も守れないお前は、塵屑となるのがお似合いよ!やれ!9/ナインエッジ!」


「ひいっ!」


 男は子供のように体を丸めて頭を隠す。その瞬間、違和感に気付いた。

 相手があの吸血鬼なら、自分は神経細胞が発火する前に爆散しているはずだ。何故まだ考えていられる?

 

「よっこいせ、と。うーん、つい掛け声が出てきてしまうなあ。私も老いというものを自覚し始めたのかな?ま、私は原理上歳をとれないのだけれどね。はは」


 取り留めも無いことをつぶやきながら、どこからか取り出した文庫本をぺらりとめくる。

 頭上にはいつのまにか屋根が立てかけてあった。さきほどまでジェスティが座っていたはずのものだ。先ほどの一瞬は、即席の休憩所を作るために浪費されたに違いなかった。


「いやしかしこのあたりは変わらないな。もとあった集落が更地になっているくらいだ。こうも代り映えしないと旅のし甲斐が無くて困ってしまうね。私が木星の大赤斑に飛び込んだ時には3秒前の地面が空になっていたというのに。知ってるかい?大赤斑は21世紀の中ごろに一度消えて、終わりごろにまた発生したんだよ。まったくダイナミックで素晴らしい。どうも岩石惑星は冷たくていけないと思わないかい?もっと情熱的に、地表が突発的に全部融けてしまってもいいと思うんだ」


「アール」


「ん?どうかしたかいディーズィー。ここらへんのくぼ地をちょっとマグマ溜まりにしたいなら地殻を10kmばかり打ち抜く必要があるから少し離れた方が」


「働け!」


 廃材を組み合わせたそこそこ立派な椅子を蹴り壊す。ばきん、どぐしゃと、上に合った屋根も連鎖して崩壊した。


「あちちちち、困るよディーズィー。いくら私がそこらの吸血鬼とは一線を画すといっても、太陽はそんなに好きじゃないんだ。昔ためしにプロミネンスを浴びた時は体重の80%が消えてなくなったからね。こんな少量の血液だと、もうそろそろ棺に逃げ込まなきゃいけなくなる」


「そう計算して撃ってるのよ!あたしの血液配分が完璧なのは当たり前でしょ!あんたに与えた時間は避暑のためじゃなくて処罰のためのもんよ!さっさと塵にでも煙にでも変えてきなさい!」


 ほふくして逃げ出そうとしていたジェスティがびくりと震える。見た目はこの中でもっとも年長だが、小動物ほどの存在感もない。


「そうは言ってもディーズィー、こんなものをわざわざ私がどうこうする意味なんてないじゃないか。君だって人間ではけっこう強い方なんだから、射殺なり斬殺なり好きにすればいい。その間私は棺の中では読めない小説でも楽しむと。見事な分業だろう?あとこの棺桶は狭すぎるね。前から意見しているはずなんだがせめて腕を取り回せるくらいの空間はあってもいいんじゃないか?」


 異様な早口である。上位種族の超越者たる威厳など陽子ひとつ分もない。はたして相手に向けて言葉を伝えているという自覚があるのか、返答も気にせず一方的にまくし立てている。

 ディーズィーも負けじと叫ぶ。


「話が長い!棺はこのまま!吸血鬼を悪用した報いは吸血鬼によって下される!これで全部よとっととやれ!」


「いーじゃあないかそんな前時代的な因果応報論なんて。もっと自由に思考を羽ばたかせてだね」


「人類の文明はあんたが2000年戻したのよ!これこそまったく因果応報だわ!さあ罪と一緒にあの雑魚も滅ぼすのよ!」


「あ、時間だ。じゃあ私は棺に帰るよ。あとよろ」


 声が途切れる。音が届く前にアールは棺桶に逃げ込んでいた。

 吸血鬼の原動力は血液だ。血を失えば枯れるし、それが日の差す場所なら塵になって二度と戻らない。たとえ理性を無くしてもその危機感は消えず、血がなくなれば自分の国に、死者の箱へと逃げかえる。

 それだけが吸血鬼を操る方法だ。打ち込む血の量が少なければ敵を殲滅する前に燃え尽きる。多ければ所有者を含めたなにもかもを破壊し尽くす。だからこそ棺守り同士が争うときには、チキンレースじみた心理戦が繰り広げられるのだ。


 もちろん最強の吸血鬼、歴史をまたぐ魔王であるAR・9\には一切関係ない。

 出たら勝つ。誰よりも早く棺に銃弾を叩き入れればそれでいい。そしてDZ・5-5-5-5は最速の銃手ガンスリンガーだった。

 みちり、とボロ雑巾の繊維が千切れるような音。銃把じゅうはを砕けろとばかりに握りしめるディーズィーの怒りの表れだった。


「あ、あの……」


 ジェスティが恐る恐る声をかけるが、聞いている様子はない。

 ひょっとしてチャンスなのでは?

 このまま見逃されたとしても、吸血鬼を悪用したあげく失った棺守りなど受け入れられるはずも無い。どんなに良くても野垂れ死にだ。

 ならここでテトラクイントを倒せば一発逆転。最強の数字を受け継いだJST・5-5-5-5が爆誕して全てが思いのままだ。


 息を殺してブーツに仕込んだナイフを抜く。この近距離なら刃物の方が速い。全身を使って投げ打つ。狙うのは喉元。わずかな風切り音を発し、刃先は狂いなく突き立ち。


「ぶぴょぺぇ!!??」


 物凄い勢いで戻ってきたナイフの柄がジェスティの鼻を砕く。ナイフが刺さっていたのはディーズィーが振り回した特大の棺桶だった。

 実際には刺さってすらいない。切っ先がつぶれてくっついただけだ。

 ジェスティは二回ほど空中で回転し、坂を転がりあがった。


「非常に、ひっじょうに!不本意だけど、吸血鬼を扱いきれなかった私のミスね。人間一人塵屑に変えるために吸血鬼は動かせないわ。それに一つの罪に二度罰を与えるのもね…。まあいいわ。あとは王国に任せる。騎士団が来るまで待っていることね。まともな死に方をしたければ」


 言うだけのことを言うと、ディーズィーはまた歩き出した。彼女の仕事は多く、テトラクイントは世界中が欲している。休む暇はなかった。


「今度はどこに行くのかねディーズィー。もう少し賑やかなところが私は好きだな」


 棺桶からアールの声がする。普通、吸血鬼が棺に入れば死んだように眠るものだが、無駄なところまで規格外なこの男にそんな常識は通用しない。


「良かったわね。次は騒がしい所よ。王都に行くわ」


12-3-4-5ストレートフラッシュか。ふむ、あそこも王が代わったのだったか。愉快なことがあればいいのだが」


「まずは真面目に仕事をしなさい。じゃなきゃ貴族連中の変なポエムでも貰ってあんたの棺に放り込むわよ」


うたか。あれはどういう意味があるんだろうね。紙の上に水を落として当たった文字を並べたりするのは駄目なのかい?」


「分かんないなら働きなさい。あんた暇つぶしが苦手なんだから、せいぜい馬車馬のように労働すればいいのよ」


 会話のようなそうでないような掛け合いをしながら、二人は、一人と一柱はクレーターの上に向かって進んでいく。太陽はいまだ高かった。

 


 



 

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