第27話 花見(4)

リリスが短く祝詞を奏上し、さらにもうひとつ柏手を打った。

その空気の振動に応えるように、桜の枝が微かに揺れた。

目の前、花瓶のすぐそばが輝き始めた。

さらにしばらくすると小さな人影らしきものがカウンターの上にあった。

身長20cmほどの着物を着た日本人形のようだ。

「こいつぁ~桜の精か?」

「ま、そういう類のものです~。桜の精ではありませんけど~。」

「じゃ、なんなんや?」

「霊視すればわかりますわ~」

「わいが霊視それ苦手なん知っててぇ言ぅてるやろ?」

「いいえ、そんなことありませんわ。その方が確かですと申し上げているのです~」

リリスも大袈裟にリアクションしている臣人を見ながら微笑んだ。

「『墨染めの桜』に関係する方の御霊みたまですわ~。この枝そのものに憑依というか、この枝そのものがこの方のようですわね~」

「つまり、分身つぅことか」

長く流れるような黒髪が見える。

薄紅梅から濃紅梅へ五枚の重ね色目になった衣と裏青の袴を着けて立っていた。

光がなくなると彼女はうつむいていた顔を上げ、ゆっくりと目を開けた。

『死してなお、このようにあさましい姿をさらす非礼をお許しください』

気品のある声だった。

「……君は?」

バーンは不思議そうに見覚えのある彼女の顔を見ると訊ねた。

『眠りについてしまう前に、どうしても一言だけでもお礼を言いたくて』

そう言うと姫は膝を折り、かしずいた。

「…………」

『あなたさまのおかげでわたくしは、長い長い間の呪縛から解放されました。わたくし自身の嫉妬と妬みの心から解放され、本来の姿に戻ることができました』

「君が本当の姫君だね………」

バーンはリリスから聞いていた『墨染めの桜』にまつわる伝説を思い出していた。

ある不幸な姫君の言い伝えを。

『………』

姫はまた背筋を伸ばして、まっすぐに立つと手を前に組んで、彼らを見上げた。

「巫那裳姫」

『はい。』

にっこり微笑んで返事をした。

「伝説の?」

こくんっと姫はうなずいた。

「えーーーっ!」

信じられない状況+アルコールも回ってきて、いつになく大胆なリアクションになっていた。

「臣人さん~、はしたないですよぉ」

リリスは困った顔で釘をさした。

「まさか? ホントに?」

「…………」

そんな彼を横目にバーンは全く動じた素振りすら見せなかった。

ただやさしい眼をして姫を見つめていた。

桜の分身となった姫君の話を聞きたかった。

『この姿になって初めてわかりました』

「…姫……」

『生きていた頃は、ただ逃れたいばかりで。苦しくて』

(この女性ひとは…)

『でも、自分の心をどうすることもできなかったのです。』

(俺と…一緒だ…。)

『醜い心が怨念となり人々に害を及ぼしていても、止められなかった。

自分が何をしていたかわかっていたのに、止められませんでした』

(相反する想いに嘖まれたまま、何らかの強い力が加わって自分を見失ったんだ。もう、本当に長い間…)

『それでもわたくしは…あの人も……あの方も愛しておりました』

姫の目からは涙が溢れていた。

『たとえこの世で二度と巡り逢うことはなくても。こんな姿になってもずっとお帰りを待っていたかった』

(狂った君の中にあった…ほんの少しの良心。それが君の今の姿なんだな。

『墨染めの桜』もそれをわかっていて、君とシンクロしていたのか!?)

「…………」

バーンは姫の言葉を聞きながら、ずっと黙り込んでいた。

彼女の想いに自分の想いを重ねていた。

彼女のように狂ってしまったらどんなに楽になれただろうと考えずにはいられなかった。

何もかも忘れ去って過ごすことができたら。

しかし、彼の選択した道はそうではなかったのだ。

彼に寄り添うようにあるラシスの想いとともに前に進む道を選んだのだ。

自分を信じて。

自分を信じてくれる人達とともに。

『あなたさまには…本当に感謝しています』

「それをいうなら、俺も君に感謝しているよ」

『オッド様…』

「あれだけの龍脈の気を受けながら沙綯裕美が怨霊化するのを必死に止めてくれたのは君だ。そうだろう?」

『…………』

「ありがとう。」

姫は首を横に振った。

自分の力ではないと言わんばかりだ。

姫は一歩後ろに下がると目を閉じた。

『…わたくしは、再び、人の姿に戻ることが……できました。

今は…眠りについてしまいますが…

わたくしの…「力」が必要になったら、いつでも、名を……』

「…巫那裳姫みなもひめ。」

バーンが名を呼び終わるか終わらないうちに姫の姿があっという間に霧のようにかき消えた。

「自分の姿を可視化させることで力を使い果たしてしまったようですわね~」

「リリス……」

「でもぉ、伝えたかったことは伝わったからよかったですね~」

「…………」

バーンは心配そうにリリスの顔を見た。

「大丈夫ですわ~。姫君もおっしゃっていたでしょう~。眠っているだけですぅ。あと、私の方でをしておきますから、心配なさらずに~」

それを聞いてちょっとほっとした表情になった。

「…すまない。」

「いいえ~。バーンさんが頑張ってくれたからですよ~」

手にシェーカーを持って、リズミカルに振り始めた。

リリスが2つのグラスに冷えたカクテルを注いだ。

八重桜に近い、濃い赤みがかった色が目に鮮やかだ。

「“Cherry Blossom”です。どうぞぉ~」

「ほな、」

臣人はグラスを持った。

「…………」

バーンもグラスを持った。

「乾杯とシャレまひょか」

「巫那裳姫と…」

「『墨染めの桜』に」

キンッ…と澄んだグラスの音色が響いた。


『かぎりなき雲居のよそに別れるとも 人を心におくらさむやは』




すべてはルーンの導きのままに……

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