第26話 花見(3)

(人が人を想う力。時の流れが幾度巡り来ようとも…

消せないものがあるんだ)

「おい。」

桜を見つめたまま、ぼんやりと抜け殻になっていたバーンに臣人は怖くなって声を掛けた。

「…………」

びっくりして眼を見開いたまま、まばたきした。

「大丈夫かいな?」

臣人がバーンの顔を覗き込んだ。

「…ああ。」

「なんか魂を抜かれたような顔しとったでぇ」

「考え事を……してたんだ」

バーンはカウンターの上で両手を組むと口元に持ってきた。

「しあわせって何だろう?って」

「桜にぃ魅入られたかい?」

ちょっとバカにするように臣人が笑った。

「さぁ……な」

その言い方がいつもの臣人だとうれしく思っていた。

その一方で幻覚の影響がまだ心に残っていた。

現実と幻覚が交差していて、ここにいることも信じがたくなっていた自分に気がついた。

「そんなん、桜はなぜ咲くのかっつーのと同じ問いやぞ」

思いっきり臣人は笑い飛ばした。

「…………」

酔った臣人を相手に、この手の話は無意味だったかとちょっと後悔した。

バーンのそんな雰囲気を察してか茶化すのをやめた。

右手の人差し指をネクタイの結び目に引っかけるとぐいっとゆるめた。

「しあわせの感じ方なんて、人によって違うやろ」

「…………」

「わいなんかこうやって、花、見ながら酒かっくらってればしあわせや」

「…………」

「本当にしあわせな時はな、人はしあわせだとは気がつかんもんや。あとから考えてみてそうだったと思うんやろな」

(臣人…裕美と同じことを……)

真面目な顔が一変して子どものような笑顔になった。

「春やし。この陽気でバーンお前も弾けたくなったんか?」

「…………」

「ま、懐古ばっかりしとったら、すぐに老人になってまう。桜を愛でながら、美しさに酔いしれるくらいがちょうどいいんや。わいらにはな」

「………臣人」

臣人はバーンが落ち込んでいるとわかっていた。

また自分自身を責めているのではないかと推測した。

言えないことで苦しんでいるのではないかと。

「そんな小さいことまで気にするんやない。楽しい時には楽しまな」

「…………」

「つらいことがあったら、泣けばええ。もちろん、怒る時にはとことん怒れ」

「…………」

臣人にあの時の自分の姿を見透かされたようで、驚いた。

「感情は押し殺すためにあるんやない。表に出すためにあるんや。この桜のようになぁ」

「…桜?」

「ああ」

「…………」

「樹齢千年という時がこの桜を美しく見せてるんやないやろ?」

「…………」

「生きているって。生命を謳歌しとるから美しく見えるんとちゃうか」

「生きている証……か」

バーンは小声で呟いた。

臣人もまるで自分に言い聞かせるよう話し続けた。

「本当に残したいもんを残すまで、咲き続けるんや。そりゃ、人間も桜も一緒やろな」

きょとんとしたバーンがハッと気がついた顔をした。

臣人がいかにもの顔で笑っているのに気がついたからだ。

「禅問答」

「そりゃすまん! 坊主やし」

ペロッと舌を出して涼しい顔だ。

「あら~?」

奥から戻ったリリスが花瓶を見ながら驚きの声を上げた。

「ん?どうしたんや、リリー?大声上げて」

目の前に立ったリリスに顔を向けた。

右手を口元にあてるようにして、考え込むように何かを見ている。

「この桜は~何かを伝えたがっていますわ~」

「へ!?」

やはり普通の桜ではないのだろう。

「ちょっとわかりづらいので~、可視化させますね~」

リリスは柏手を打った。

パァーン!

その場の空気が変わった。

「早馳風の神 取次ぎ給え。たまのをを、むすびかためて、

よろづよも、みむすびのかみ、…みたまふゆらし」

短く祝詞を奏上し、さらにもうひとつ柏手を打った。

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