第22話 桜鬼(8)

『助…けて』

誰か女性の声が微かにバーンの耳に届いた。

(誰だ!?)

『……将さ…ま…』

(また…だ。一体誰が……?)

バーンは眼の前に立つ彼女に眼を凝らした。

彼女の前にもう一人が薄ぼんやりと重なって見え始めていた。

苦しんでのたうち回っている彼女と同じ背格好の誰かが。

「うるさいっ!!勝手なことを言うな!妾はお前などとは違う!」

『愛しています…』

「そのような世迷いごとをまだ言うならば、妾が滅してやる!」

『愛し……て』

まとわりつくようにぼんやりとした影が次第にはっきりしてきた。

彼女の手が影を振り払うように何度も空を舞った。

だが、そんなことで消えるはずもなく、声はいっそうはっきりと聞こえた。

「弱いお前などと一緒にするな。なぜ今頃になって歯向かうのじゃ」

『もう……これ以上は…やめて……』

白い霧は完全に分離した。

同じ顔をした女性が彼女と向き合い、立っていた。

ただ静かにそこに立ち尽くしていた。

「妾が『力』を持って、使って、何が悪い!?」

『あなたも、だれも悪くはありません。わたくしはただ……』

悲しそうな顔で目を伏せ、その女性は彼女を見つめていた。

バーンは意識を研ぎ澄ませ、感覚のチャンネルを変えた。

彼女らのやりとりから真相を見極めようとしていた。

(相反する二つの意識…が見える。これは一体誰だ? どうして?)

「自ら望んで手に入れた『力』を使うのが悪いかえ!?」

『違…う。わたくしはただずっとここで……待っていたかっただけ』

両手を胸の前で組むとギュッと力を入れた。

「変わらぬ若さと美貌を持ったこの身を保って何が!?」

『変わりたくなかったのは外見じゃないわ』

「自分からを捨てておいて何を勝手な!?」

『ごめんなさい…。人を憎み、妬み、恨んだ。その苦しい想いをみんなあなたに背負わせてしまったわね…』

「おのれ!許さぬぞ!妾に逆らおうなぞ!」

彼女は右手をあげて、怒りに任せて矢のような気をその女性に放った。

胸の真ん中を丁度射抜くように大きな力が突き抜けていったが、白い霧に立ち戻りまたすぐに元の形をかたちづくった。

何事もなかったように目を閉じたまま立ち尽くすその女性は涙を流していた。

悲しそうに、憐れむように、愛おしむように彼女を見つめていた。

その攻撃を境にどんどん彼女の様相が変わってきた。

長く艶やかだった髪の毛も抜け落ちて、消えていった。

ハリのあった肌も顔や手にみるみるしわが増えていった。

自分のその状態に悲鳴を上げるとよろよろと少しずつ後退った。

バーンは剣先に『力』を集中させながら、事の次第を見守り続けた。

右眼が鈍く光った。

(元は同じ。同一の意識だ。

もしかして…彼女が本当の?)

推測が当たっていれば、あとから現れた方が彼女の純粋な意識ということになる。

力任せに吹き飛ばして除霊してしまうことは簡単である。

それでは根本の解決にならないことを分かっているバーンは、なぜ今頃になってその女性が現れたのか、何を望んでいるのか知る必要があった。

『お顔を見ているだけでしあわせだったの』

『逢えなくなってしまって。桜の下で逢う約束をしていたのに』

『許されるはずなどない。ここまでのことをしていおいて…』

まるで木霊のようにその女性の言葉が響いた。

さまざまな感情が一気に溢れ出ていた。

「黙れ!」

耳を塞ぎ、うろたえたように首を振っていた。

『あなただけを待っていたかった』

『独りにしないで、あなた!』

『しあわせ?』

『わたくしが好きなのは耀桂ようけいさま、ただお一人』

『ああ、中将さま。なぜお戻りになられません。わたくしだけのために生きてくださるとおっしゃったではありませんか』

「うるさい!お前になど何がわかる!?」

『やめて!殺さないで!!』

『ずっと抱かれていたかった』

『お父様、お許しください。どうか…』

『この身を許しても…心は、心だけはあなたのものに』

「裏切られたら、恨んで何が悪い!!」

『本当は行かせたくなどなかった。でも…』

彼女の金色だった両目は次第に朽葉色に戻っていった。

向き合っていた女性が、突如、バーンの方を向いた。

涙で潤んだ目で訴えた。

『ころし…て…』

『あなた』

『とめて…お……願い…誰か』

『終わりにしたい…の…』

「わ、妾は!?いやじゃ!醜く老いさらばえるのは、いやじゃあ!!」

『もうこれ以上、誰も苦しめたくない……』

『もうこれ以上、誰も死なせたくない……』

『呪縛を…断ち切って…お願い。わたくしは』

『助けて…』

『…たすけて』

『タスケテ…』

(わかった……)

「本来の姿に…立ち戻るがいい……」

そう言うとバーンは両眼を閉じた。

そして、銀の短剣の切っ先を悶え苦しんでいる彼女の方に向け呪文を唱えはじめた。

バーンにその場を押し潰さんばかりのものすごい力が集中し始めていた。

「我が前にラファエル

 我が後ろにガブリエル

  我が右手にミカエル

 我が左手にアウリエル

  我が前に五芒星が燃え上がり 

 我が後ろに六芒星が輝く 」

握っていた短剣を自分の額、胸、右肩、左肩へと次々と触れさせていく。

「アテー マルクト ヴェ・ゲブラー… 

ヴェ・ゲドラー ル・オーラム アーメン…

 ヨッド・ヘー・ヴァウ・ヘー アドナイ…

エーヘーイェー アーグラー…」

バーンは呪文の詠唱を終わると眼を開けて、眼の前にその短剣で五芒星を再び描いた。

「や、やめ…!」

彼女はバーンに背を向けて逃げようとした。

彼の右眼が輝いた。

中空に描いた五芒星から出現した金色の光が、まるで彗星のように彼の前から彼女に向かって走った。

彼女の前に立っていた白い霞と彼女の身体を同時に貫き、そして夜空へと駆け上っていった。

『これで…やっと、…』

霞が一気に飛散した。

それと同時に、水面に広がる同心円の波のように光の輪があたりに広がっていった。

その輪が、川辺に立ち尽くす死者達にそそがれた。

すべてを浄化する天上の光だ。

無数の召喚された者達が舞い降りてくるのが見えた。

彼らは光の雪のように降りそそぎ、一体、また一体と死者達を浄化していった。


やがて…、辺りはいつしか闇に包まれた。

あとには何も残らなかった。

彼女がそこにいた痕跡すら。

それは完全なる“消滅”を意味していた。

すう…と静かに魔法陣は消えていった。

バーンも銀の短剣を持つ手を下にさげた。

ふと、彼の方に何かが風に飛ばされてきた。

薄紫の打衣だった。

バーンはそれをつかむと上に振り上げた。

パンッとはじけるような音がした。

打衣は桜の花びらへと姿を変え、風に舞って消えていった。

(…裕美……)

バーンは心の中で呟いた。

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