第19話 桜鬼(5)
バーンは術を仕掛けるわけでもなく、ただ立ち尽くしていた。
二人は間合いを詰めることなく、そのままの距離を保って無言でいた。
生暖かい風が、バーンの金髪と彼女の銀のような白髪を揺らした。
「…なぜ裕美にあんなことを…させていた?」
「そんなにあの女のことが気になるのかえ」
バーンの眼を見据えながら、彼女がはぐらかした。
「…答えろ!」
ギッと彼は右眼でにらんだ。
涼しい顔で彼女は笑って言った。
「妾に似ておったからじゃ。遠くに住んでおった思い人が死んで、あとを追うように命を絶った」
「…………」
「どうせ捨てる命ならばと妾が拾ってやったものをどう使おうが妾の勝手ではないのか」
「…………」
バーンの右眼には過去の裕美の姿が映っていた。
『墨染めの桜』に手をかけながら泣き崩れる喪服を着た裕美の姿が。
桜の花を見ながら涙にくれる彼女の姿が。
「違う……。裕美がここへ、彼との想い出を甦らせるためにここを訪れたとき、お前が“魅了”をかけ、彼女を死へと導いたんじゃないのか!?」
くっと口の端を上げながら彼女は笑った。
「さすが。妾と同じ眼を持つだけはあるの」
バーンの心に何か強い感情が甦りつつあった。
それは『憤り』『怒り』という、今まで彼が一番恐れていたものだ。
何が起こるかわからない自分の力を恐れて、知らず知らずのうちに感情をコントロールするようになって何年になるのだろう。
ヨーロッパである師について、自分の力をある程度コントロールする
が、感情に流された状態で術を使ったことは一度もなかった。
常に心のどこかが冷めていた。
どんな術を使うときでも、リミッターをかけて使っていた。
それが今、自分でもわかるほどに、そのリミッターが外れかけていた。
「…………」
バーンは彼女を見たまま、言葉を選んでいた。
「おかしいと思っていた。死んで1年やそこらの裕美に…龍脈を操れるだけの力はない。もっと早く気づくべきだった……」
“龍脈”とはこの地球上を縦横無尽に走る一定のエネルギーの流れのことだ。
“地霊”とも“アースパワー”とも言われる自然のエネルギー。
その流れは地中を走るが、場所によっては地上まで噴き上がっていることがある。
その場所を“龍穴”と呼ぶ。
“龍脈”のエネルギーを受けると植物は良く育ち、街や国も繁栄する。
古代から日本は陰陽道や風水などでこの“龍脈”を利用して、都を造ったり、防衛したりして栄えてきたのだ。
その流れを彼女は自分の力として利用していた。
この『墨染めの桜』に注いで。
「妾の『力』は、龍脈によって前とは比べものにならぬほど増した。見よ、この『気』を!」
彼女が手を挙げるとそこから蒸気が噴き上がるように強い『力』が存在していた。
その手を誇らしげに眺め、反対の手で撫でる。
「この『力』と人間どもの精気で妾の若さ、美しさは永遠じゃ」
バーンはぎりっと唇をかんだ。
「そんなに『力』が欲しいのか…?」
「自ら望んで手に入れた『力』じゃ。それを手に入れれば入れるほど、力が増せば増すほど、妾の眼は金色の輝いてゆくゆえ……やめられぬのう。人が死ぬあの断末魔の悲鳴と甘美な血の味は」
彼女はうっとりした表情で、舌なめずりをした。
その言葉を聞き、バーンの右手のこぶしは固く握られ、小さく震えていた。
『力』
『魅了眼』の力。
バーンは一度もこの『力』があることに感謝したことはない。
欲しいなんて思ったことはない。
むしろ逆だ。
人の生命を、自分の大切な
どれだけこの『力』を嫌悪しているか。
だが、目の前の彼女は自分と全く逆だった。
「……あの伝説の
努めて冷静になろうとするが、彼女はそんなバーンの気持ちを逆撫でするかのような口振りで話した。
「だとしたら?」
「…………」
「男心ほどあてにならぬものはない。この愛は永遠と言っておきながら、捨てられる女の悲しみなど顧みもせん」
「…………」
「ましてや女の若さなど、この桜の花のように儚ければ・・・年をとり、醜くなるよりは邪法を用いてここで、自らの命を
くくっと彼女はほくそ笑んだ。
(この桜の美しさに惹かれて集まってくる人たちを犠牲にしたのか!?
桜の持つ自然の“魅了”の力を使って。
彼女の言い伝えは千年も前の話だ…
数年前まで、ここは事故もなく普通の土手だったはず)
「なぜ、今頃…?」
「なぜだと!?知れたことを。無粋な人間どもが、妾の眠りを妨げたから出てきたまでのこと。それを今更、お前のような者に邪魔されようとはの」
バーンは裕美が指さしていた、変わっていく風景が引き金になったことに気がついた。
彼女はふわっとひとっ飛びしたかと思うと、バーンの耳元で囁いた。
「止められるものなら止めてみるがよい……。おのが魅了の『力』でな」
「…………」
そう言い残すとまたもとの位置に飛び戻った。
甲高い笑い声があたりに響いた。
彼女の金色の瞳がまた妖しく光った。
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