第12話 変わりゆく風景(3)

彼は何もなかったかのように、また揺れる桜の花越しに夜の闇を見ていた。

と、かすかに上の枝の方から鳥の鳴き声がした気がした。

バーンはその方向に眼を向けた。

ずっと上の方の枝に全体に青みがかった腹が茶色い、とても小さな野鳥が彼らの方を見ていた。

(おいで……)

ピッと鳴くと野鳥は羽ばたいた。

そして、恐れることなく下へと降りてきて、バーンの差し出した右手の人差し指にちょこんと留まった。

(ごめん…起こしてしまった…)

野鳥は首をかしげると、丸い目でバーンを見ていた。

「どんな魔法を使ったのよ?」

彼女は驚いたように言った。

「…………」

さすがに右眼の魅了眼を使ったとはいえない。

「野鳥が飼い慣らしてもいないのに、自分からあなたの指に留まるなんてあり得ないわ」

「…普通……じゃないのさ」

バーンはそう言うと、彼女の方へ右手を動かした。

留まっていた鳥が、また、羽ばたいた。

すると、今度は彼女の肩に留まった。

のぞき込むように野鳥がキラキラ光る目で彼女を見つめていた。

とても澄んだいい声で数度さえずった。

『素直に、話してごらん』とでも言っているように。

彼女はあきらめたように、ため息をついた。

「何から話せばいい?」

「…………」

バーンは何も言わなかった。

ただ彼女を見ていた。

一息ついて、彼女は意を決したように語り始めた。

「この場所は…思い出の場所なの」

肩にのった野鳥に顔を近づける。

唇にまるでキスをするかのように、鳥もくちばしを近づけた。

「私が好きだった以上に、彼が好きだったのよ。この『墨染めの桜』が」

そう言うと風に揺れながら、花びらを散らしている桜をなつかしそうに見上げた。

「自分が死んでいることもわかってる…」

「…………」

彼女はうつむきながら自分の左手首を見た。

「もう、わかっていると思うけど。後追い自殺したの」

微笑みながら、バーンにアンサンブルのカーディガンの袖をまくり上げて。手首を見せた。

そこにはに長い傷が斜めに二本くっきりと見てとれた。

「耐えられなかったの。独りになることが…」

「…………」

「気がついたらここにいたわ。けど、彼には会えなかった」

急に温かい風が、彼らの間を吹き抜けていった。

「あなたも大切な恋人ひとを亡くしてる? そうでしょう?」

「…………」

バーンの眼が、遠くを見るように少し伏せ眼になった。

ラシスを思い出していた。

彼女の気持ちは、理解できる。

自分だって、ラシスが死んだあと、あの海岸から動けなくなっていた。

あのまま、あそこで彼女の想い出と一緒に消えてしまいたかった。

そう思っていた8年前。

バーンの気持ちを汲み取ったのか、彼女も優しい目で彼を見ていた。

「そう…。じゃ、私たち似たもの同士なのね」

空に浮かんでいた朧月が、薄雲にかげった。

今まで月光に照らされて、浮かび上がっていた桜も暗闇の中に姿を消した。

何ともいえない幽玄の景色の中に、二人は身動きすらせずにじっとしていた。

彼女と自分の違い。

それは、彼女は『死』を選び、自分は『死』を選ばなかったということだけ。

死のうと思えば死ねた。

だが、死ねなかった。

それはラシスの『死』、彼女の想いを無駄にすることになる。

臣人にも同じことを言われ続けた。

自分を護るために、あんな状況下で飛び出してきた彼女のことを思うと…。本当なら彼女を護ってやらなければならなかったのに。

『花に…花の美しさに感動してもぉ、心まで許し、預けてしまってはだめですよぉ。絶対に』

耳元で、リリスの言った言葉が聞こえ、バーンはハッとした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る