第3話 伝説(3)

やがて………

桜の季節も終わりを告げ、深緑がまぶしい季節となりました。

姫君は予定通り輿入れしました。

相手は姫よりほんの少し年上の中将の君でした。

想い沈んでいる姫君に中将はとても優しく接してくれました。

たくさんの贈り物といたわりの言葉で姫を包んでくれました。

しかし、姫君は耀桂のことが忘れられませんでした。

中将の君の寵愛を受けても、姫君の心にいるのは耀桂でした。

(何度、御館様おやかたさまに身体を許したとしても…

わたくしの心はあなたの側にいたい)

そう思いながら、毎夜毎夜、姫は涙で袖を濡らすのでした。



何年か経ったある日。

また、桜の季節が巡ってきました。

中将の君が神妙な顔で、姫君の御所へやって来ました。

そしてこう告げました。

『お上のご命令で、しばしのあいだお逢いできなくなりそうです』

姫はその言葉を聞いて、思わず涙を流してしまいました。

『戦に出なければなりません。』

中将の君は姫を自分の方に引き寄せました。

姫はその身を小さくするように震えていました。

『私が、戦うのはあなたのためです』

『・・・・』

抱く腕に力が込められました。

『必ずや』

『中将さま。』

『必ずや、戻って参りましょう』

中将の君は立ち上がると、振り返ることなくその場をあとにしました。

姫の顔を見ると未練が残りそうだったのです。

後ろ姿をどうすることもできずに姫は見送るしかありませんでした。

姫は、自分の本当の気持ちに気づいてしまったのです。

いつしか二つの想いを抱いていることにようやく気がついたのです。

ふわ………。

どこからともなく風に運ばれてきた薄紅色の花びらが姫の手のひらに乗りました。

その風に乗って、中将の君の残り香もあたりに漂っていました。



その日以来、姫は来る日も来る日も『桜』の樹の下に立ち続けました。

かつて、逢瀬を繰り返したこの樹の下でを待ち続けていました。

もう逢えなくなってしまったを。

逢えると信じているを。

幹にそっと手を置いては、やさしく語りかけていました。

まるでその『桜』が想い人であるように。

風が揺らす葉擦れに耳を傾けては、微笑んでいました。

まるでその会話を楽しんでいるように。

この枝垂れ『桜』に寄り添うように姫は居続けました。


そして、

花の季節も終わる頃____。

風に舞い落ちる雪のような花びらの中で、姫は眠るように亡くなっていました。

その死に顔は幸せそうに微笑んでいたといいます。

姫が立ち続け、待ち続けたこの『桜』をいつの頃からか人々は『墨染めの桜』と呼ぶようになりました。

巫那裳みなも姫の伝説に悲哀を込めてではなく、愛を貫き通した姫に敬愛を込めてそう呼ぶようになりました。


それから、もうひとつ。

人々はいつの頃からか「言い伝え」も信じていました。

この『桜』の下で出会った者たちは、永遠に結ばれる……と。


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