第41話

 シールドでは庇いきれない足先や尾に怪我を負っている個体もあったが、それでも体長の数倍ある翼を翻し、ヘリコプターを牽制するように接近するかと思えば、機関砲を避けて急旋回するドラゴンの挙動は、比較的距離の離れているここからでも捉えるのが困難だった。

 ヘリコプターも負けじと機関砲を打ち込み、機首を左右に振って動きを封じようとするが、小回りの効くドラゴンの方が一枚上手だった。機関砲の隙間を縫うようにアパッチに近づいた一体が、頭に生やした一本角から電撃を放出した。それはまるで、鬼神が鉄槌を下す様子にも見え、恵庭は肌が粟立つのを感じた。


「回避!」

 堪らず無線機に吹き込むよりも早く、スパークを滾らせた稲妻が回転翼に絡みついた。瞬く間に黄金色の光に包まれた機体は、ローターから火花を散らした。メインローターの出力が急速に下がるのが遠目にも見て取れた。不規則に回転を始めた機体が黒い煙を空に引き、みるみる高度を下げていく。


 スモークのかかったコックピットに座ったパイロットが操縦桿を必死に操作する様子が伺えたが、そこからすっと人の気配が消える。回転翼の勢いが失われ、ヘリは倒れこむように草原の脇に墜落した。ローターが地面をえぐり、止まる。横倒しになった機体が爆発しなかったのは僥倖と言えたが、ローターが根こそぎえぐれ、すでにヘリコプターとしての体裁を失った機体は、完全に大破し、沈黙した。


 ドラゴンとの攻防はそこかしこで行われていた。アパッチの対戦車ミサイルが飛び荒ぶドラゴンに向けて猪突する。ドラゴンは、尾を引いて迫るミサイルを背後に従え、きりもみするようにでたらめに飛んだ。そうかと思えば急速に反転し、空気を吐くような自然な動作で口から炎を吐いた。ミサイルと交錯した焔が誘爆し、爆煙が上がる。


 炎に煽られて機首を上げたヘリに、ドラゴンが下からすくい上げるように体当たりを仕掛けた。機関砲がひしゃげ、コックピットのガラスにホイルの折り目のような細かいヒビが入る。ローターの基部から煙を吐き出しながら、バランスを崩したヘリは右側面を下に傾けながら回転し、草地に頭から突っ込んだ。装甲車の窓から見える景色に唖然としながらも、恵庭は油断すれば沸き上がってくる不安を抑え込むのに必死だった。作戦の成否はここだ。そう自分に言い聞かせる。


「戦況は?」

 車窓から外を眺めたまま、恵庭は短く言った。

「ヘリコプター隊は三機が大破、一機が中破です。損耗十五パーセント」

 すぐに柿崎が返答する。作戦開始から十数分、ドラゴンは変わらず逃げ回り、隙を見て攻撃を仕掛けてくる。どうしても押されているように思えてしまう。


「ドラゴンは?」

「大きな怪我を負っている個体はいません。治療魔法を継続的に施しているようです」

 ドラゴンを操る『ニュー』の構成員は、時にドラゴンそのものを盾にしながら攻撃の指示を与えている。ドラゴンとの呼吸もさることながら、戦術は洗練さえているように見えた。


 ある程度の損耗は許容しなければいけない。作戦が始まる前に内海が言っていたように、懐深く入り込むことが必要だった。それは、互いの犠牲を覚悟するということだ。

「奥寺、準備はいいか」

 恵庭が無線機に吹き込む。

『いつでもいけますよ』


 奥寺の気安い声が返ってきた。この三日間、ろくに休息も取らないで今次作戦のことばかり考えていた横顔を思い出す。どうすれば相手の裏をかけるのか、どうすれば敵の目を欺けるのか、その瞳は十代の少女とは思えない、深く鮮烈な輝きを放っていた。信頼できる瞳の色、それだけを信じて、恵庭は命令した。


「抗防御術式起動」

 敵のドラゴンがシールドを展開している状況では、戦車砲も対戦車ミサイルも効果がない。校庭での戦闘時と同じだ。そして、あの時と同じことをしているだけでは勝てない。牽制さえ、時間が経ってしまえば無為に弾薬を消耗するだけで終わってしまう。


 そのシールドを強制的に無効化するためには、基地全体を覆うほどの魔法陣が必要だった。地下基地の動きが相手に筒抜けの状況で、その準備をするのは容易ではなかった。

 結局は、作戦開始間際の敷設になってしまった。訓練なしの、ぶっつけ本番だ。

「練習はしたかったですけど、今回は仕方がないですね」


 作戦会議の最後に、奥寺は残念そうに言っていた。勝気で慎重なのが奥寺らしかったが、背に腹は変えられなかった。魔法陣の敷設は普通科の部隊総出でやることになった。そのまま観測に入ったチームもあるし、後方部隊に合流したチーム、そしてこの装甲車の周りにも、第一小隊の半数が待機していた。


 今、五十嵐の〈オリハルコン〉によって増幅された奥寺のマインド・リアクターが、魔法陣を起動させるのを恵庭は知覚した。対する『ニュー』の術者の中にも気づいたものがいるだろうが、このタイミングで妨害工作をできるほど、奥寺の術は甘くない。

 シールドを展開するドラゴンの挙動がにわかに乱れる。目には見えなくても、術者の戸惑う様が全てを物語っていた。


「歩兵部隊、攻撃開始。脚部と翼部に集中砲火」

 自動小銃を構えたまま、じっと敵影を追っていた第一小隊の面々が、一斉にライフル銃の引き金を引いた。オートで射出される五・五六ミリ弾は、文字通り目にも留まらぬ速さでドラゴンの脚や腰に命中し、火花を散らす。鱗が剥がれ、露出した皮膚に銃弾が命中するのが見えた。


 バランスを崩したドラゴンが苦悶の咆哮をあげる。劣勢に立たされていた対戦車ヘリコプターがホバリングのまま距離をとった。戦車部隊も沈黙し、乾いた音が散漫に響く平原は先ほどよりも幾分静かになった。

「牽制しながら散開、一か所に集めるんだ」


 小銃を抱えた隊員たちが各個に標的を捉え、狙う。ドラゴンはその翼を広げて逃れようとするが、行く手をヘリに阻まれ、上空に留まることもできない様子だった。小銃の破裂音が連続的に響き、じりじりとドラゴンの群れが固まり始める。

「反撃、してきませんね」


「この状況では、一斉射で全滅の憂き目に遭うのは必至。さすがに、彼女も無茶はしないようです」

 時間を追うごとに密度を増し、高度を下げるドラゴン群の中央に、険しい顔を風に晒す鳥飼の姿があった。これまでずっと、こちらの動きを見ていた目が、今は状況を測れずにいるようだった。タイミングは、今しかなかった。


「拘束網発射!」

 後方に控えた普通科の一隊が携行する八十四ミリ無反動砲に装填された特殊弾頭は、射出後十秒足らずでカプセル状のそれを炸裂させ、内側から剛性炭素繊維で編み込まれた半径十メートルほどの網を円形に広げる。恵庭はその軌跡に目を凝らした。ヘリがその包囲網を広げ、中心のドラゴンたちも何かを悟ったようにどよめきだす。しかし、変わらず向けられた対戦車ライフルの機銃はまっすぐにドラゴンの腹部に狙いをつけており、迂闊に動くことを防いでいた。


 そうした中で、ドラゴンの翼とヘリのローターが吹き上げる風が複雑に空気を揺らしていた。一触即発の空気を裂くように拘束網が展開し、ドラゴンの上空で大きくその網を広げた。風に煽られながらも急速に高度を落とす網の陰に鳥飼が入る。不規則な風に翻弄される鳥飼に視線が引き寄せられる。その一瞬、恵庭には、鳥飼の口元が不敵に歪んだように見えた。


 衝撃がドラゴンの群れの中心から迸ったのは、まさに網がドラゴンの群れに覆いかぶさろうとしているところで、恵庭はその刹那に感じた違和感も忘れ、ガッツポーズをしようと腕を掲げていた。横合いから前触れなく襲いかかった揺れが車体を揺らし、その拳をしたたかに装甲車の窓にぶつける。


 うめき声が聞こえ、それが自分のものだと遅れて気づく。「状況は?」喉の奥から言葉を絞り出し、運転席の柿崎に問いながら、視線を上げた。さっきまでドラゴンがうごめいていた場所は、砂埃が立ち込め、見通すことができない。周囲を警戒する対戦ヘリが左右に首を振り、戸惑いを拡散させていた。


「わかりません。中心で突然爆発的な——」

 頭をぶつけたのか、柿崎は右手を頭部に当て、顔をしかめていた。

『先輩、大丈夫ですか?』

 無線機から五十嵐の声がする。恵庭が無線機を掴むと、再びスピーカーから別の声が被さった。


『一頭のドラゴンが急速に上昇、捕捉できません』

 なぜ、という思考が沸き起こる前に、恵庭は無線機を掴み直した。

「五十嵐、そっちで何か見えるか?」

『いえ、煙しか、……待ってください』

『鳥飼先輩がこっちに——』


 奥寺の悲痛な声がする。後方部隊に向かったとなれば、突破されたと考えるしかない。錯綜する無線に埋もれ、それ以上奥寺の声は聞こえなかった。

「……三佐」

「後方へ!」

 柿崎はすでにハンドルを握り、アクセルを踏み込んでいた。ディーゼルエンジンがうなりを上げ、車体を揺らす。タイヤの振動が背中を伝わる。さらに急速転回する軽装甲機動車の生み出す遠心力が恵庭を運転席側へと引き倒した。

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