第40話

「作戦部長はいつも自信満々だ」

「こんな時くらい、大きく出てみたいじゃん。自分がどこまでできるのか、試してみたいって気持ちもあるけど、真紀だって、やればなんでもできるはずだよ」

「〈オリハルコン〉が望むことでしょ? 何をしたら赦してくれると思う?」

「それは、真紀が自分で聞いてみないとね」

 車の音が近づき、会話はそこで途切れた。整備塔のある方から一台のジープが顔を出し、二人の話す通路に停まる。


「真紀ちゃん、夏希ちゃん」

 ジープの窓が開き、金色の髪が風に舞った。アリスの声だった。

「アリスちゃん、もう大丈夫なの?」

 真紀が駆け寄り、ドア枠に手をかける。アリスの指先が手の甲に触れる。体温が肌に伝わり、そして内出血を起こした爪が目に入る。人差し指と中指の爪の先端部分が赤黒く染まっていて、三日前の戦闘の、文字通り傷跡を見ることができた。


「うん。芹沢先生のおかげで、もう平気」

「よかった」ほっとして、瞼の端が熱くなる。怪我もたいしたことがなさそうだし、意識もしっかりしているようだ。芹沢の名前が出て体が強張ったが、そこは養護教諭の務めを果たしたということだろう。

「ほら、早く乗って」

 夏希に背中を押され、ドアを開ける。アリスが隅に寄り、真紀が中央の席に着く。


「出してください」ドアを閉めながら、夏希が運転席の自衛隊員に伝えた。

 大砲や戦車が並んでいる光景を想像していた真紀は、アンテナを高く伸ばした装甲車やパラボラを積んだジープが整然と停まり、隊員たちが忙しなく動いている姿をぼんやりと見た。褐色のテントから漏れ聞こえる声は切迫し、「ちょっと待っていてください」と運転していた隊員がそのテントに入ってしまえば、真紀たちは所在なくその場で周囲を見回すしかなかった。


 前線はここから二百メートルほど前方らしく、戦車の類は指先ほどの大きさしかない。あそこに恵庭がいる。孤独な背中を支える手のイメージが真紀の脳裏に浮かぶ。

「もう一分を切った。もうそろそろだと思うんだけど」

 映像が切り替わるタイミングを図っているのだろう。焦れた様子で腕時計を見つめる夏希を目の当たりにし、自然と緊張感が高まっていく。アリスも、そしてその肩に乗ったアピーも不安そうな顔を向けていた。そろそろと吹いていた風が不意に凪いだ。


「始まった」

 夏希の呟きに、真紀は視線を彷徨わせた。変化は正面、戦車部隊の更に向こう側に広がる空に起こった。まるで何かに押し出されたように雲が不自然に晴れ、楕円形の青い空がぽっかりと浮かんだ。よく見れば、その輪郭は金色に輝き、まやかしの陽光を反射している。それは以前に教室から異界へとつながったゲートによく似ていた。


 その空間が、膨らんだように見えた。周りの雲が空へ吸い込まれ、勢いよく空気が揺れる。その衝撃が平原を揺さぶり、轟々と風が巻き起こる。そして空が呼吸をするように、風の向きが変わった。びゅうっと風切り音がし、それに押し出されるように、中空の穴からドラゴンの一団が躍り出てきた。

「間に合った」

 夏希が安堵の声を漏らす。


 翼をばたつかせ、散り散りに飛び荒ぶドラゴンは、統制を失い、混乱しているようにも見える。その混沌の中心が、連続的に弾ける。戦車の砲身から煙がほとばしっていた。そしてすぐに、胸を叩くような振動が連続的に鼓膜を震わせる。弾幕が上空を覆い、ドラゴンたちの様子はもう見えない。

 そこで背中から別の振動が響いてきた。ヘリコプターのローター音だとわかった時には、頭の上を飛び去る編隊と、機関砲の細かな破裂音が真紀の視覚と聴覚を占領した。



  **



 射撃訓練を切り上げて前線へと集結する戦車中隊と合流した恵庭は、陣形を整え始めた戦車群の後方で柿崎に停車を促した。普段なら圧倒される装甲車も、戦車に囲まれればまるでおもちゃだ。普通科小隊はここから少し降った場所にその半数が待機し、残りは後方に回していた。

「中隊長と話してきます」

 恵庭は柿崎にそう告げると、外へ出た。アイドリングしていてもディーゼルエンジンの唸るような振動は腹に響いてくる。中隊長の乗り込む隊長機に近づく。


(染谷一尉、状況はどうですか)

(三佐、間に合ったんですね。あと数分で配置完了するはずです)

(わかりました。タイミングが勝負です。慎重にお願いします)

 腕にはめた時計を見る。内海が示した時間まで、あと二百秒ほどだ。分刻みのスケジュールを卒なくこなす部隊の作戦遂行能力は高い。自衛隊は訓練ばかりだと揶揄されることもあるが、そうした日々の研鑽の積み重ねが、こうした有事の際にこそ、その真価を発揮する。


 それでも、猶予はほとんどない。文字通り、刻一刻と時間は過ぎていき、そしてその時は確実に近づいてくる。

「三佐、司令からです」

 装甲車から身を乗り出し、柳瀬がこちらに手を振っていた。その手に握られている無線機からは、今はあまり意識したくない人の気配を感じた。

「はい、恵庭です」

『内海です。陣形はそろそろ整う頃でしょうか。奥多摩の状況も同様です。あと二分ほどで戦闘が始まります。抜かりなく、頼みますよ』


「はい」

『それと、『ヴォーウェル』のお嬢さんたちは、後方でいいのですか? 戦力にするものとばかり思っていました』

「彼女たちを危険な目に遭わせるわけにはいきません。それに、敵は何も銃やドラゴンだけじゃありませんから」

「懐深く入り込み、どれだけ相手を引きずり出せるのか、それが鍵です。三佐としての采配、期待しています」


 内海は相変わらず、一方的に話を切り上げた。内海は、自分をどうしたいと思っているのだろう。『ヴォーウェル』と自衛隊を行ったり来たりする自身の心のうちを見透かされているようで、恵庭は自分がわからなくなる。

 戦闘が近づいているのに、つい雑多に物事を考えてしまう。集中しなければいけない時に限ってそうして気がそぞろになるのは、テストが近づく度に机の整理をしようとする心境と同じなのだろう。


「三佐、私たちもそろそろ」

 柿崎が言う。戦車部隊の最後列から五十メートル離れた場所が、所定の配置だった。柿崎の提案に、恵庭は首を縦に振った。

 装甲車に乗り込み、バックで進む。恵庭はじっと空を見た。本当の空と区別のつかないそこに浮かんだ雲が、不気味に歪む。淡く輪郭が浮かんだと思ったのも束の間、金色の縁を配したゲートが開き、ドラゴンの群が猛然と飛び出してきた。

「作戦第一段階、戦車中隊攻撃開始」


 恵庭は無線機を手に、何度も胸中で唱えていた命令を発した。一呼吸置き、戦車の砲身が一斉に火を吹く。巨大な鋼鉄の体躯が衝撃で揺れ、轟音が耳をつんざく。

 四十四口径の百二十ミリ砲弾の軌跡は当然見えず、ゲートの出口付近でバラバラに動いていたドラゴン群の中心から噴きこぼれる爆炎が、初弾の命中を恵庭に告げた。

 爆煙が群れを包むが、次弾が次々と打ち込まれていく。弾幕が広がり、向こうの様子を伺い知ることはできない。


「全弾命中です」

 観測手からの報告を受け、柿崎が短く状況を伝えた。緒戦は成功したようだ。段階的に行われる作戦にあって、これはまだ陽動に過ぎない。相手に悟られないように、慎重に進める必要があり、この場合、矢継ぎ早に攻撃手段を代えることで、相手の思考をパンクさせるのが最も効果的だ。


 戦車の轟音とは反対側から、ヘリコプターのローター音が近づいていた。時間通りだ。恵庭は先ほどと同様、無線機を口元に当て、短く息を吸った。

「作戦第二段階、対戦ヘリ中隊、攻撃開始」

 恵庭の号令はすぐに伝達され、パラパラと細かい破裂音が頭上にこだまする。弾幕の中から躍り出てきドラゴンたちの眼前で、アパッチの三十ミリ機関砲が火花を散らす。左右に展開したヘリコプターがホバリングをしながら執拗に機関砲を打ち込む。全弾直撃しているはずだが、よく見れば、弾がその鼻先で弾かれているのがわかる。


「やはり、シールドがありますね」

「戦車の攻撃から、そろそろ立ち直る頃です。ここが正念場です」恵庭は窓の外をにらんだ。術者を従えて飛来するからには、それなりの準備をしているであろうことは予測していた。ニプラツカと同じように、ドラゴンたちは前方に魔法陣を伴った防御シールドを展開し、実弾の直撃を免れていた。

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