第37話

「それで、まだ相手の居場所はわからないのか?」

「今のところは……。あ、待ってください」

 夏希が俯き、静かになった。何かの気配を察知したのか、時折頭を左右に振り、それに呼応するように、ドラゴン目線の画面もめまぐるしく動く。青と白が交錯するその隙間から、東京のビル群が見え、その向こうにうっすらと山並みが覗く。前を飛ぶドラゴンが、そこで身を翻し、西に急旋回する。それを追って夏希も体を左に傾ける。滑らかに映像が傾き、遠くの峰に鼻先を向けたドラゴンがスピードを上げていく。


「捕まえたか?」

「微弱ですが、規則的な信号が向こうの方から……」

 雲海を潜り抜け、視界が開ける。高層ビルを下に見ながら、ゆっくりとだが確実に背景が実景となって目の前に迫ってくる感覚があった。

「奥多摩か、それとも南アルプスまでいくつもりか……」


 真紀は、そのやりとりを神妙に聞いていた。ただ、掌が熱かった。じわじわと内側から発せられる熱に、掌はすっかり汗で濡れ、しっとりと湿った夏希の指先が手の甲を艶めかしく滑る。この力はどこから湧いてくるのだろう。人と交わることで力を迸らせる赤い結晶が、今も自分と夏希の間を結び、世界を前に進める力になっている。

 自分にできることは何か、それをずっと探していた。ただ隣にいるだけなのに、不思議な充足感があった。夏希の見えている景色が、自分にもわかる。夏希の感じている世界が、自分にもわかる。


「そんなに遠くないと思います」

「わかるのか?」

「なんとなく、ですけど。〈オリハルコン〉が、そう言っている気がして」

 真紀の言葉に呼応するように、掌に感じる拍動が早くなる。直感に間違いないことを確信する真紀の後ろから、柿崎が不安げな声をあげた。

「三佐、奥多摩だとしたら……」

「そうですね。被災地を隠れ蓑にする……。あり得る話です」


 被災地という言葉に、真紀の背中が強張る。奥多摩という言葉にピンと来ていなかった真紀は、そこでようやく、それが去年起こった甚大な災害を被った場所だと思い至る。

「あの地震、ですか?」

「ああ。奥多摩湖周辺、特に隣接していた西明野町は、今でも避難指示が出たままだ。道路も寸断され、住民は青梅市や八王子市に避難している。もぬけの殻になった土地は、格好の隠れ家だろう」


「ですが、復興庁や国土交通省の監視の目を、どうやって」

「重機等の持ち込みはできないでしょうが、魔法というものは、そのあたりの常識を飛び越えたところにありますから」

 恵庭は、レーダー画面にじっと目を向けながら、静かに言った。

「そろそろ、西明野町につきます。あれが奥多摩湖ですよね」


 夏希が声を上げる。新緑の青々とした山間部に、ぽっかりと穴が空いたように、山肌が露出した場所があった。赤茶色の土壌が露出し、湖岸は荒れ果てていたが、それでも深い青色の湖面は凪いでいた。

 地震直後の様子を映したニュースを思い出す。湖南西の斜面がことごとく崩れ、土砂が湖に落ち込んでいたが、それに勝るスピードで北東側の斜面が沈みこみ、更に北側に向けて尾根が崩壊。奥多摩湖は大きく北東側に拡大し、震災前の二倍以上の面積を深い緑色に染めていた。


「こんなところに……」

 ダムの壁は地震で崩壊したが、代わりに大量に崩れ落ちた土砂が出口を塞ぎ、遠目には普通のダム湖と変わらない。

「信号がはっきりしてきました。やっぱりここです。……嘘でしょ」

「どうしたの?」

 前のめりになってヘッドセットに手をかけ、夏希が驚愕する。

「湖の中です」

「まさか」


「先行するドラゴンの思考は、湖の中層域に及んでいます」

「水中に基地があるのか」

 恵庭が夏希に詰め寄る間にも、モニターの向こう側ではドラゴンたちが翼をたたみ、水中に飛び込む体勢をとった。体を縮めたドラゴンたちが水中に没していく。水しぶきが画面いっぱいに広がったと思えば、すぐに視界が閉ざされる。あまり透明度は高くないようだ。先行するドラゴンが、陰影となって水中を先導していく。


「大丈夫なのか?」

「平気です。この子たちは、水中でも呼吸できますから。それより、北西側の湖底に、何かあります」

 左右に揺れる映像の奥に光が見えた。サーチライトのように、湖底を照らす光の中心で、土砂が舞い上がり、更に視界が悪くなる。その砂煙の向こう側へ、ドラゴンたちは躊躇することなく進んでいく。


「ゲートか何かがあるんでしょうか?」

「だとすると、基地は地下か。ここと似たような構造なのかもしれない」

「かもしれません。魔力の反応が強くなっています」

「注意しろ。悟られないように」

 水が少しずつ透明度を増し、そうかと思えば水面が近づいてきた。勢いをつけて外に飛び出したドラゴンの視界がモニターに映る。映画で目にする潜水艦のドックのように、左右に岸壁があり、跨ぐように黄色のクレーンが鎮座していた。奥では非常口を示す表示が緑色に光っている。


 左側の岸に着地する。水滴を飛ばしながら、ドラゴンたちが互いに鳴き声を上げる。

「迎えは、ないようですね」

 ドックは無人だった。映像を見る限り、窓のようなものも見当たらない。

「先輩、誰か来ましたよ」

 ドックの隅にある扉が開いた。人影が三つ、順番にドッグに入ってきた。窓はなくてもカメラの類は付いているのかもしれない。


「先頭は、鳥飼か」

「鳥飼先輩……」

 学校にいた時は背中に付くくらいの長さだった髪は、ショートになっていた。眼光鋭くドラゴンを見上げる様子は、夢の中で見た美鈴と同じ、厳しさと鋭さを真紀に突き付けた。

「何か話してる」


 夏希がつぶやく。画面をよく見ると、美鈴の口元が微かに動いている。後ろに従える男になにやら指示をしているようだ。

「これ、音声は拾えないのか?」

「ドラゴンの聴覚は特殊で、通常の周波数に再変換するのは難しいんです」

「マインド・リアクターといっても、結局は脳神経で無線通信している形なので、私にも、何かが聞こえているという感覚はありません」

「わかった。鳥飼の挙動から目を逸らすなよ」


 相良と夏希から相次いで真面目な声で返され、恵庭が咳払いをしてごまかす。その様子がおかしくもあったが、真紀がそうして一瞬画面から目を離した間に、隣に座る夏希が突然体を仰け反らせた。

「奥寺、大丈夫か?」

 恵庭の呼びかけに応える間もなく、夏希の体がこわばったかと思えば、すぐに力が抜けたようにテーブルに突っ伏してしまう。


「何があったんです?」

「わかりません」

 柿崎と恵庭がおろおろと夏希の椅子に手をかける。

「夏希ちゃん!」

 真紀は慌てて夏希の顔に手を添えてヘッドレストを外し、頬に手を当てる。口元がかすかに動き、息をしているのがわかった。


「気を失ってるみたいです」

 真紀はほっと胸をなで下ろす。

「すぐに医務室に連絡してください」

 柿崎が司令室隅の電話に手を伸ばす。

「鳥飼さんが何かやったみたいです」

 胸の前で手を重ねた相良が、小さい声で言った。


「見てたんですか?」

 恵庭がちらりと相良の様子を窺う。

「ええ。腕を振り上げただけですけど、そのすぐ後に奥寺さんが……」

「こちらの動きに、気づいたということでしょうね」

「おそらく。やはり、彼女の能力は相当です」


 司令室の扉が開き、担架を担いだ隊員がなだれ込んできた。恵庭と柿崎が夏希を抱え、担架に乗せる。夏希はくったりと頭を横に倒していたが、苦しそうな様子はない。

「居場所はわかったが、一色に続いて奥寺も……」


 夏希を乗せた担架を見送るや、恵庭が呟いた。精神感応が強制的に切断されたということなら、もう同じ手は使えないということだろう。恵庭が肩を落とすのが、やるせなかった。使命と責任の狭間で、もがいているように見えた。陸上自衛隊の三佐として、生徒会の副会長として、『ヴォーウェル』の生徒代表として、それぞれに目指す姿があり、きっと重圧もあるはずだ。

「三佐、内海司令に報告しましょう」

「そうですね。すいません」

 そうして肩を落とした恵庭の姿を、真紀は直視することができなかった。

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