決戦
第35話
校舎の中は静かで、自分の足音が妙に大きく感じられた。自衛隊の指示に従い、生徒は避難したままだ。戦闘が終わったとはいえ、未だドラゴンも自衛隊も校庭にいる段階では、教職員に仕事はなく、彼らは職員室でことの推移を見守っていた。
教頭に事情を説明すると、午前中と同じように相良の担任に話を取り次いでくれた。
「一年の生徒はまだ意識が戻らないんですか?」
一色のことを指しているのであろうその声を、恵庭は沈痛な思いで聞いた。
「はい。精神感応や解術時の反動で、状態は安定していますが、まだ……」
職員室に来る前に、保健室に寄り、芹沢一佐から一色の容態を聞いていた。幸い校舎には五十嵐たちの教室以外に目立った被害はなく、保健室は見た目には普段と変わらなかった。椅子に腰掛け、書類を眺めていた芹沢は、恵庭が入ってくると、うっすらと笑みを浮かべ、着席を促した。
「とりあえず、大丈夫ね。まさか、マスターキーを持っているとは思わなかったけど、それがなかったら危なかったのは事実だから、礼を言わないとね」
「礼なら、エアリアスに言ってください」
「それは遠慮しておく。でも、一色さんの意識が戻るまでには、まだ時間がかかるでしょうね」
「やはり、強力な精神感応による意識混濁ですか?」
「どちらかというと、彼女自身の防衛本能が脳をオーバーフロー状態にしてしまった、というのが私の見解ね。まあ、いずれにしても大事には至っていないから安心しなさい。一晩寝れば、元気になる」
これまでの言動からすると拍子抜けするほど穏やかな口調に、恵庭は虚を突かれたのを思い出す。相良の担任は、そんな恵庭の回想など想像できるはずもなく、すぐに本題に移った。
「この学校に、ドラゴン使いは相良さんと一年生のその子しかいませんからね、仕方がないと思います。本人の理解が得られるのならば、私たちはあなたを信じます」
教師に面と向かって信じると言われるとは思わなかった。
「いえ、身勝手ばかりですいません。自衛隊としても、民間人の協力を得なければ作戦行動が成り立たない現状について、憂慮しているところです。ご協力に感謝いたします」
丁寧に言おうとすると、不遜に聞こえるのは気のせいだろうか。自分の言葉を顧みている間に、当の教師は頷きを返して自席に戻り、どこかに連絡を入れた。
「避難先には伝えました。すぐにこちらに来るそうです」
「助かります」
恵庭は軽く会釈をする。
職員室は白んだ空気に満ちていた。いくら『ヴォーウェル』が支援している学校とは言っても、教鞭をとる教師は地方公務員に過ぎず、自衛隊が出動するような事態を目の前にして、できることは生徒の安全を守ることだけだ。避難が完了してしまえば、あとは待機するしかない。そうした無力感が、恵庭自身も不安になるほどの気まずさを発散している気がした。
「失礼します」
白濁した空気を切り裂くように声が響き、教師の耳目がドアに集まる。制服を着た少女が、そこに立っていた。今朝方、奥寺と二人で対面した時と同じく、スカートの裾を軽やかに翻し、長く伸ばした髪を揺らせながら、こちらに歩み寄ってきた。
「副会長、呼びました?」
担任教師と短く視線を絡ませたあと、すぐにこちらに向き直った相良は、超然とした表情で言った。背格好は自分よりやや小柄だが、女性では上背のある方だろう。ぱっちりと開いた瞳を閃かせ、恵庭と対峙する。
「すいません。ニプラツカのお礼もまだなのに呼び出してしまって」
まっすぐ向けられた瞳から、ついつい視線を外してしまう。
「いえ、あの子は自分がしたいと思ったことをしただけですから、怪我も大したことありませんでしたし」
年下の自分に敬語で話す彼女の声は温かく、恐縮頻りの恵庭は、それでも疑問を口にした。
「避難されていたのに、わかるんですか?」
「私たちのクラスはテレポートをして、すぐ近くの公園にいました。一キロくらいなら、あの子のことは手に取るようにわかりますし、ずっと励ましていました」
ニプラツカの目を思い出す。こちらを値踏みするような視線の裏側には、主人と自分の間の葛藤があったのかもしれない。
「そうだったんですか。ニプラツカは校庭で休ませています。すでに出血は止まっていますが、そのままでも大丈夫なんでしょうか?」
「ドラゴンは治癒力の高い動物ですから、そろそろ傷口がふさがっている頃だと思います。体力が戻るには一晩程度かかるでしょうけど、心配は要りません」相良の柔和な笑顔が安心を誘う。かと思えば、「それに、副会長さんはそれが言いたくて私を呼んだわけではないでしょう」と見透かしたように言い、さらに恵庭を萎縮させる。
「はい、すいません。度重なる協力要請になって、本当に申し訳ないんですが……」
「杓子定規にならなくてもいいんですよ。奥寺さんがまた何かよからぬこと、を考えたんでしょう?」
いたずらっ子のようにこちらを覗き込むその瞳を見るにつけ、ニプラツカを借り出されたことに特段の感情もなさそうだったが、その柔らかな物腰の向こう側にある強い思惟を無視できるほど、恵庭も鈍感ではなかった。
「はい。状況は不確実性を増しています。捕縛した『ニュー』のドラゴンから、奥寺が駆るにふさわしい個体の選定をお願いしたいと思いまして」
「それはまた、大胆なことを考えますね」
相良はそう言って、軽く息を吐いた。大胆なこと、という形容は、確かに的を射ている。何より、先に訪ねた芹沢から、同じようなことを言われたのだ。
「今更ですが、一佐がこちらにいるとは思いませんでした。朝霞にいるものとばかり」
恵庭は嫌味のつもりで言った。芹沢が主導して進めている政治拠点への攻撃が、あと一歩のところで承認が下りていない、と別れ際に柳瀬から聞いていたのだ。東部方面総監部にいても進展がないと見るや、現場へ介入して梃入れなり多数派工作を図るなり、やることはいくらでもあるのだろう。
けれど、言われた本人はそんな恵庭の下世話な考えを一蹴するように、にんまりと笑った。
「政治拠点攻撃の件? あんなの、冗談に決まってるじゃない」
「なっ……!」
虚を突かれ、一瞬芹沢が何を言ったのかわからなくなる。
「いくら過激派組織の掃討を企図しているといっても、非人道的なことをするはずがないし、できるわけがないじゃない」
「それではあの作戦要項は……」
「政治拠点を狙ったテロ対策訓練の要項の甲と乙を入れ替えただけ」
右手に持っていたペンをくるくると回し、いたずらっ子のように囁く芹沢に、恵庭は愕然となる。
「焚きつけた、というわけですか」
「最善の一手を打つのが、私の仕事だから」
「そういう話は、部下や彼女らにはしないでください」
「相変わらず可愛げがない。それより、これから先、どうするつもりなの?」
「まだわかりません。相手の居場所を探るようなことが必要なんだと思いますが、今は、奥寺さんに何か考えがあるみたいで」
「この状況で偵察か。大胆さがあの子の売りなんだろうけど……。あの子がどこまで事態を把握しているのか、あなたはどう思ってるの?」
「それはまだ……。ただ、正しい方向に向かっている確信はあります」
「言うことだけは立派なんだから。そういうところ、陸将とそっくり」
その言い方は、まるで母親のようで、恵庭はひどく狼狽した。これまでの芹沢に対するイメージが瓦解していく。その方がいいはずなのに、違和感が拭えなかった。
「親父を持ち出すのはやめてください」
気づけば、いつかと同じ台詞を返している自分がいる。
「国のために、そうやって意地を張っていきなさい」
「はい」
上官からそう言われれば、反射的に頷き、敬礼さえしそうになる自分がいる。
意地を張っているつもりはなかったが、膠着した状況に固執するあまり、周りが見えていなかったのも事実だった。それを諭してくれたのが柿崎であり、支えてくれたのが柳瀬や五十嵐、一色、そして奥寺だった。
「それで、そのあとはどうするつもりなんですか」
相良の声が、恵庭を現実に引き戻す。この相良にも、恵庭は助けられている。こうして自然と振舞ってくれる人は、自分の周りにはあまりいないのだ。
「それは、奥寺さんに任せています。作戦があるようです」
恵庭の返答に、相良は合点がいったように微笑みを浮かべた。
「作戦部長ですか。副会長のそういうところ、私は好きですよ」
「からかわないでください」
女性というのは、たとえ同年代でも大人びて見える。感情が言葉ではなく表情や仕草に現れるからだろうか。
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