第30話

「説得、できるでしょうか」

「わかりません」

 柿崎の不安そうな声にも、恵庭は素直に答えるしかなかった。そもそも、一色を説得できたとして、上空で待機しているドラゴンが同調するのか、保証はない。今も、時折影が頭上をちらつくたび、控える部隊は銃を握り直し、じっと上空を伺っている。まだ結界の中に降りてくる気配はない。こちらの様子は見えないはずで、おそらく一色が呼びかけない限りは降りてこないとも思うが、油断することはできなかった。あの兵士と同様、誰がこの状況を見ているのか、想像しただけでも恐ろしくなる。


「そもそも、どうして一色さんはこんなことに」

「操られているはず、と奥寺は言っていましたけど……。鳥飼に術をかけられている、そういうことだと思います。どちらかというと、その方が簡単です。もし、本心から『ヴォーウェル』と敵対する道を選んだとすれば」


「ちょっと、やるせないですね」

「不安な思いをさせたのだとすれば、責任は私にあります」

「三佐、今はあの子たちを信じてあげましょう。信じられない相手を守るなんて、できませんよ」


「そう、ですね」

「あとは、向こうの目的ですね。ドラゴンを上空で待機させているのも、何か意図があるはずです」

 アビーが突然炎を周りに撒き散らし始めたのは、そうして柿崎が空を眺めた時だった。校庭を這い、それがひとつの生き物のように振る舞う炎を前に、ニプラツカが怯む。その隙をつくように、アビーが瞬く間にその姿を小型化し、足枷を解いた。一瞬早くアビーから飛び降りた一色が、炎をかいくぐり、校舎へと一目散に走り出した。すぐに元の大きさに戻ったアビーが牽制の炎をニプラツカに向かって吐き出す。海のように広がる炎にニプラツカが飛び退き、そうしているうちに、アビーも一色を追うように校舎へと飛び去っていく。低空で飛行するアビーが、砂埃を撒き散らし、つかの間その姿を覆い隠した。


(追いかけます。上空のドラゴンは任せます)

 一方的にそうして声を飛ばした奥寺が、ニプラツカの腕を伝って地面に降り、こちらを振り返ることなく一色の後ろ姿に追随していく。

「奥寺!」

(アリスの目的は〈オリハルコン〉です。真紀が危ない)

「ひとりじゃ無理だろ」

 恵庭は慌てて走り去る奥寺の背中に向けて声をかけたが、その背中に届いたかどうかはわからなかった。


「三佐!」

 状況が掴めない柿崎が恵庭の肩を掴む。

「一色は五十嵐の拉致を目的にしているかも知れない」

「そんな。奥寺さんひとりでは……」

 柿崎の悲痛な声を遮るように空気を割く甲高い音がし、呼応するように上空でドラゴンが咆哮を上げた。

「くそ、それで残したのか」


 一色が合図を送ったのだろう。結界の波をかき分けるように、その巨体を翻し、次々とドラゴンが降下してくる。その様子を、ニプラツカが忌々しそうに睨みつけていた。首からは未だ出血し、荒く息を吐くドラゴンは、すぐに戦うのは難しそうだった。

「ニプラツカ、お前は少し休んでいろ」


 恵庭が呼びかけると、ニプラツカは目だけをこちらに向け、瞼を細めた。自分なしでできるのか、と問いかける視線に、恵庭は頷いてみせた。

「柿崎一尉、応援部隊は」

「もうすぐです」

 隣で竦然と立つ柿崎は、焦りの色を浮かべていた。後ろを振り返る。残りの隊員も、被弾した装甲車の周りで銃を構えているだけで、もはや事態についていくのがやっとといった表情だった。


 緑ヶ丘駐屯地のいわゆる『ヴォーウェル』防衛隊は、どちらかといえば魔法の存在を認めない団体やテロリストから術者を守るためにあるのであって、魔法使いを相手にする訓練はほとんどしたことがない。奥寺がいなくなり、自分たちにお鉢が回ってくるとは思いもしなかったのだろう。


 けれど、やるしかない。向こうが足止めをするつもりなら、こちらは攻め込むしかない。そう胸に刻み、空車の軽装甲車へと乗り込む。

「三佐、どうするんです」

 背中から柿崎の詰問が飛び込んだ。恵庭はその声を背に、装甲車のハッチを開け、小塔へ上がった。

「時間を稼ぎます。私が牽制している間に、装甲車を盾にして陣地を確保してください」


「また無茶を言いますね」

 柿崎は再び呆れ顔になり、「一班と二班は校庭北東側、三班と四班は校庭北側へ展開」と無線に吹き込む。すぐに運転席に回ると、こちらに振り返った。

「三佐、予備の機関銃です。弾帯は残り五十です」

 柿崎から受け取った銃を構え、防楯の付いた銃架に据える。柿崎がエンジンをかける。車体がぶるぶると振動し、銃身が細かく揺れる。運転席から、向こうで右往左往する隊員に指示をする声が漏れ聞こえる。


 そうしている間にも、ドラゴンは次々と校庭に近づき、十数メートルの高さからこちらを睥睨していた。機関銃の銃床を肩に当て、上空のドラゴンに狙いをつけながら、恵庭は不可能を承知で真紀に思念を飛ばした。

(逃げろ)

 この一週間、何度となく五十嵐に呼びかけても、反応はなかった。五十嵐の拒否反応に呼応して、〈オリハルコン〉が強力なジャミングをしているのだろうと想像していたが、今だけは繋がってほしかった。


(早く逃げろ。一色が〈オリハルコン〉を狙っている)

 届くはずのない言葉は、ただただ恵庭の胸を反響し、心を乱していく。ゆっくりと高度を下げるドラゴンが、ついに校庭に降り立つ。衝撃が車体を揺らし、恵庭は機関銃のグリップを強く握った。

「目標、敵頭部および脚部。攻撃開始!」

 恵庭が大声を張り上げる。引金にかけた指に力を込める。フルオートの機関銃が火を吹き、連続して肩に衝撃を伝える。ドラゴンの鼻先や顎に命中の火花が散るが、アビーより外装が厚いのか、ダメージがあるようには見えなかった。


「これじゃあ、牽制にもならないかもな」

 引金から一旦指を離し、口を狙う。こちらを威嚇しようと口を開けたところで再び引金を引いた。口腔内で血が飛び散るのが見えたが、ドラゴンは僅かに怯むのみで、鋭い視線を恵庭に向けた。背中に悪寒が走り、それが予感となって恵庭の皮膚をざわつかせる。

「回避!」


 その眼球を覗き込んだまま、恵庭が叫ぶ。その刹那、ドラゴンが口を大きく開け、喉の奥から火球が飛び出した。一瞬早く発進した軽装甲車の上を掠めた火球が校舎を囲むフェンスを吹き飛ばす。ちらりと振り返ってその様子を見た恵庭は、ドラゴンの左側に回り込んだ車体から、残り僅かになった弾丸を打ち込んだ。車の動きに合わせて、ドラゴンが首を擡げ、威嚇の咆哮を響かせる。

 注意をこちらに引き付けたところで、隊員たちが攻撃を仕掛けた。なけなしの対戦車ミサイルが尾を引きながら猪突し、ドラゴンの大腿部に命中する。大きな爆発音に紛れてドラゴンの悲鳴が沸き起こり、爆煙が辺りを覆った。


「三佐、あれは……!」

 その煙の向こうで、何かが光る。青白いスパークをあげたかと思うと、煙を裂くように眩い光が発射された。それはさながらSF映画に出てくるレーザー光線のようで、隊員たちが盾にしていた軽装甲車のすぐ脇に着弾したレーザーが爆散し、無数の飛沫が装甲車を擦過した。タイヤが軋み、車体が傾くと、炎が上がった。隊員のうちの何人かもレーザーの屑に被弾したようで、苦悶の表情を浮かべ、脚を引きずりながらその場を離れようとしている。


 ドラゴンの口先に魔法陣が見えた。特別な術式が使われているのかもしれない。それが回転し、再び光が収束する。狙いはまたもやこちらではない。

 恵庭が指示するよりも早く柿崎がハンドルを切るが、ドラゴンの後ろを回ることになった軽装甲車が到底間に合う距離ではなかった。恵庭は小塔の銃架を回し、ドラゴンの顔を見上げた。魔法陣が回転の速度を上げ、光が強くなる。コンマ数秒のうちに発射されたレーザーに部隊が八つ裂きにされる映像が脳裏を掠めた時、大きな影が恵庭の視界を覆った。


 ニプラツカだとわかった頃には、影の向こうで鋭い光が発せられた。ドラゴンの前に躍り出たニプラツカが正面からレーザーを受け止めた。直前に展開した結界によって相手の攻撃は減衰したようだったが、あまりにも距離が近い。軽装甲車が隊員たちの前で停止した時には、ニプラツカは体からいく筋もの煙を上げ、翼を力なく広げたまま、うな垂れるようにして倒れ込んだ。地面が揺れる。

 勝ち誇ったように咆哮をあげるドラゴンが、一歩こちらに近づく。もはや勝利を確信した様子で、上空を飛び回っていた他のドラゴンも次々と校庭に着地してくる。


「残弾は?」

 装甲車の上から隊員に呼びかけるが、隊員たちは力なく首を横に振るのみだった。自身が握る機関銃も、残弾は一だ。恵庭は機関銃に縋り、ドラゴンの目を狙い、スコープを睨みつけた。じっとこちらを見据えるドラゴンとしばし視線を絡める。これが最後になるかもしれない。そんな感慨と、だからこそ一矢報いてやると息巻く感情のせめぎ合いの中で、不意にドラゴンが視線を逸らせた。

 何かを避けるように首を動かすドラゴンが、みるみるうちに動きを鈍らせる。前脚で体を支えようにも叶わず、胸を地面に打ち付けたドラゴンは、うめき声を上げながらついにはその頭を地面に預ける。ずん、と校庭が揺れ、砂煙が巻き上がった。


「三佐、第二小隊です」

 何事かと思うそばから、柿崎が運転席から身を乗り出して顔を覗かせた。

 体育館裏の搬出口が大きく開き、軽装甲車とトラックが勢いよくこちらに向かって走ってくる。周りの歩兵部隊が、何やら火器をドラゴンに向けていた。

「あれは、ワイヤーガンか」

 超高剛性ワイヤーを射出する、『ヴォーウェル』防衛隊に配備されているワイヤーガンを携帯した隊員が、そうしている間にも矢継ぎ早にドラゴンに向かってワイヤーを放つ。

『遅くなりました。柳瀬以下、第二小隊ただいま現着しました』

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