第29話

 恵庭は柿崎に目で合図を送った。

「攻撃開始」

 柿崎が無線に指示を出すと、すぐさま銃が火を吹いた。弾頭が一直線にアビーに向かう。アビーが攻撃を避けようと小刻みに軌道を変えようとするが、その度にニプラツカが頭を抑えるように火球を吐き出す。

 避けきれず、アビーの脚部に命中の火花が散る。アビーの表面を覆う褐色の鱗が捲れ、血飛沫が舞った。


 アビーがひときわ大きな声を上げ、その身を翻した。すかさずニプラツカが上昇し、アビーの頭上から火球を叩きつける。直前でかわしたアビーが、小隊に向けて大きく口を開いた。背後のオーラが急速にその密度を増していく。その姿を見て、恵庭は柿崎の持つ無線を掴んだ。

「回避!」

 無線に吹き込む間に、アビーの口から火球が迸った。恵庭は目を瞑ることもできなかった。回転しながら突き進む火球が軽装甲車の小塔部分を掠める。ぐずぐずになった機銃が内部から爆発の炎を吹き上げた。間一髪で頭を引っ込めた隊員を含め、車内にいた第一小隊の面々が大慌てで車外に飛び出す。


「くそ、これじゃあ釘付けにもできない」

 恵庭は奥歯で憤懣を噛みしだき、アビーの挙動に目を凝らした。こちらが攻撃を止めたと見るや、アビーは再びニプラツカに肉薄し、鋭い牙の並んだ顎をニプラツカの喉元に食い込ませた。その巨体が大きく仰け反り、ニプラツカが苦悶の呻き声を漏らす。

「奥寺!」


 恵庭は、堪らず声を張り上げた。背中にすがりつく奥寺は、振り落とされないように必死の様子だったが、それ以上のことができる状況とは思えなかった。

 ニプラツカが腕を振り上げ、アビーの喉元を数度打ち付ける。力が緩んだ隙をつき、ニプラツカが距離を取った。首から赤黒い血を流し、荒く息を吐くニプラツカがアビーを睨み付ける。

「夏希ちゃん、下がって。邪魔しないで」

 アビーの背中に掴まっていた一色が叫んだ。アビーがぶわりと浮上し、ニプラツカを、その背に跨る奥寺を見下ろす。

「アリス」


 奥寺の声音には、やはり好戦的な色はついていない。こちらから見える背中は、わずかに震えて見えた。

 あの背中を支えることができない自分は、どうしてここにいるのだろう。通常の火力ではほとんど歯が立たず、ニプラツカを守ることもできない。それどころか、アビーの放つ殺気に押されている。自分の能力も、こうなっては役に立たない。空を飛ぶことはできても、攻撃に転嫁できるほどの打撃を与えるはできないのだ。


 どうすることもできない時、人は何も考えられない。前に進むことも後ろに下がることもできず、懊悩するだけの自分。これではいけないと思っていても、アビーとニプラツカの戦いを止めることさえできない。同じ『ヴォーウェル』の仲間が火花を散らしているのに、黙って見ていることしかできない。

「恵庭三佐。どうします? 突っ込みますか」

「無茶ですよ。策もないのに、正面切っていっても、すぐにやられます」

 アビーの火力は、ニプラツカには劣るようだが、それは五十と百の違いであり、自分たちのような一には、どちらでも対して違いはない。残念ながらいちころだ。


 どうしたらいいのだ、と思っていると、唐突に夏希の声が頭に響いた。

(先輩、そろそろ、いけますか?)

「なんだって?」

 思わず声で答える。ちょうどアビーが火を噴き、ニプラツカが直前で急上昇して避けるところで、声が届いたとも思えないが、それでも奥寺は返事を寄越した。

(アビーの後ろに回り込んで。なんとかして、牽引ワイヤーを……)

「おい、奥寺」

 それ以上は声が届かなかった。ノイズが奥寺の声を覆い隠し、ぶつりと回線が切れてしまった。マインド・リアクターも万能ではない。集中力が散漫になれば不安定にもなる。奥寺の足を引っ張ることは避けなければいけない。


「三佐、彼女はなんと……?」

「牽引ワイヤーをアビーに」

「無茶を言いますね」

「ですが、やるしかありません。私が行きます。援護をお願いします」

 できることをする。自分の言葉に嘘はつけない。奥寺ができることをしているのに、自分が手をこまねいているわけにはいかない。ついさっき、突っ込むのは危険だと言った自分を省みて、それでも、やると決めた。

「無茶は承知、ですか」

 柿崎は呆れと諦めを内包した目を恵庭に向けたのも一瞬、そばにいた隊員に「三佐に牽引ワイヤーと手袋を」と告げた。


 上空に上がったニプラツカが、じっとアビーを睨み付けていた。頭を押さえ、アビーの注意を惹きつけているように見える。既にこちらが動くことさえ想定しているとも思え、すぐにでも飛び出したい衝動に駆られる。

「三佐、これを」

 隊員からワイヤーと擦過防止用の手袋を受け取る。素早く右手に嵌め、ワイヤーのフックを人差し指で支える。

「左側から回り込みます。ワイヤーは出来る限り伸ばしてください。旋回時に弧を描けるように」

 隊員にそれだけを伝え、恵庭は地面を強く蹴った。

「アビーの右側に攻撃を集中させろ」


 柿崎が命令を下す声が急速に遠のく。ひと蹴りで十メートルほど前に躍り出た恵庭は、五十センチメートル程度の高さでアビーの足元に迫った。体を包む空気を凝集させ密度を増すことで過大な浮力を得る。物理学の応用だが、それを自覚し、コントロールできるようになるのには随分と時間がかかった。周りの空気の流れを自分の指揮下に入れるというのは、分子一つひとつに語りかけるようなものだ。推進力を得るために気流を起こすのも同様で、速度と加速度の調整を瞬時に行うのは簡単ではない。


 アビーがこちらに視線を送ったが、そこにニプラツカが火球を打ち込んだ。飛び上がって避けたアビーの足元に回り込む。体を横倒しにして大きく旋回する。遠心力とワイヤーの張力に、掌が悲鳴をあげる。

 煙の燻る中を飛ぶ。上空のニプラツカが続け様にアビーの頭上へ火球を放ち、堪らずといった様子で地面に降りたアビーの足を視界に入れた恵庭は、そこで急速転回した。ワイヤーがアビーの足に絡んだ感触が掌を伝わる。


 フックにかかる指の具合を確かめ、スピードを緩める。待機する車両から伸びるワイヤーを探す。地面すれすれからでは、距離感が鈍る。ワイヤーの片鱗を求め左右に視線を振る。薄日を反射し、わずかに光沢の放つそれが視界に入ったときだ。

(先輩、避けて)

 と脳を揺さぶるほどの大音量で奥寺の声がこだました。体に急制動をかける。頭上すれすれに火球が飛び去り、目の前の地面を穿つ。土埃が視界を埋め尽くしたが、ここで頭を上げればまた標的になりかねない。恵庭は体をひねり、目を凝らし、黄土色の土煙の向こう側にアビーの気配を探った。


 散発的に聞こえる機銃の発射音に呼応するように、アビーの赤いオーラが見える。柿崎の陽動にアビーが反応しているのだろう。こちらとは違う方向へ向けられたその思惟を感じ、恵庭はわずかに体を浮かせて風上へ出た。再びワイヤーの存在に目を凝らす。

 地面から少し宙に浮いた状態でピンと貼るそれを、今度はすぐに見つけた。肉薄し、速度を緩めることなく、わずかに並走する瞬間に、ワイヤーの下にフックを通し、勢いよく引き上げる。かちゃりと小さい音がして、フックがワイヤーに噛み付いた。

(柿崎一尉、ワイヤー牽引お願いします)


 恵庭は心の中で最大限叫んだ。すぐに体を起こし、急上昇する。

 時間をかけすぎたのかもしれない、と不安になりながら、恵庭はアビーの姿を追った。

 アビーはまだニプラツカの火球と機銃の応戦に釘付けになっていた。その足元を凝視する。ワイヤーが巻き込まれ、フックが勢いよくアビーの足元に飛び去って行くのが見えた。足首に通ったワイヤーは、どうやら先ほどの攻撃でできた傷口に当たり、さらに食い込むようにしてアビーの足を固定しているようだった。遠目にも、ワイヤーが赤褐色に染まっているのがわかる。苦悶の声を上げるアビーの足首にがっちりとワイヤーが食い込むと、アビーは態勢を崩し、ついには足を引っ張られて地面に伏した。


(成功です、三佐)

 繋ぎっぱなしのマインド・リアクターから柿崎のほっとした声がした。

「奥寺はどうするつもりなんだ」

 恵庭はするすると高度を下げ、隊が待つ校庭の端に降りたった。すかさず柿崎が走り寄ってくる。

「お疲れ様です」

 恵庭はそれに小さくうなずき、ニプラツカとアビーの対峙する校庭に視線を移した。奥寺が乗るニプラツカは、羽を広げ、アビーを威嚇している。一方のアビーは、地面に爪を立て、どうにか態勢を立て直そうと必死な様子だった。ドラゴンの咆哮と息遣いの合間を縫うように、奥寺と一色の声が漏れ聞こえる。

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