第26話
「その顔、何か思いつきました?」
「ああ。これなら、いけるかもしれない」
家庭科室に小麦粉を運び入れると、それで奥寺の仕事は終わったようだった。家庭科室から生徒会室に戻る道程で、恵庭はそのアイディアを奥寺に伝えた。念のためマインド・リアクターを飛ばしたのだが、同じ能力者同士、それは普通に話すのとあまり感覚は変わらない。
(匂いをつけて、それを追いかけるっていうのはどうだろう。微量なら、相手にも気づかれないし、匂いを防ぐ手段まで持っていないだろう)
(対オールレンジ・ディフェンダーにその戦法は、聞いたことありませんね)
「他に方法があるのか?」
「相手が途中から姿を消した場合は、塗料を空間に噴霧して、そうして迷彩を解くとか、ですかね。そもそも痕跡を見せないためのオールレンジ・ディフェンスですから、銃弾を残してその存在を誇示するのもおかしな話なんですけどね」
「それは、確かにそうかもしれないが……」
奥寺はオールレンジ・ディフェンダーの存在にも頓着せず、それどころかその対処方法まで熟知していた。精神感応を突き詰めた先に、目に見えない存在との対峙があるのだろうが、そこまでの境地に達していない自分が恥ずかしくもある。
「本当は何が目的なんでしょうかね」
「残念ながら、鳥飼のこともあるし、こちらの戦力やら布陣やらはすでに知られている可能性もあるしな。捕まえてから聞いてみるさ。しかし、塗料か……。その方がいいかな」
「いえ、最初から姿を消している場合、いるかどうかわからないのに特定の範囲でそういうことをすると、網にかからないばかりか、より警戒されるのであまりお勧めしません」
「そうか。なら、これしかない、か」
「それにしても、めちゃくちゃですよ」
「そのくらいの方がいいんだよ。今は、とにかく芹沢一佐を出し抜くことが大切だ。時間が経てば経つほど、引き返すことができなくなる」
「でも、先輩のやり方だと……」奥寺はそこで言い澱み、(誘い出す必要があるんですよね? それはどうするんです?)
(それは、まだ考えてない)
「それじゃあ、ダメじゃないですか」
「もう少し考えないといけないな」
「そんな悠長なこと言って、大丈夫なんですか?」
「漫画みたいに、うまい方法がぽんぽん思いつけばいいんだけどな」
「現実はそんなもんですよ」
どこまでも現実的な声は、曖昧な思いつきを恵庭から引き剥がす。作戦を立てるのに、ひとりで考えるのも危険、ということだろう。
「とはいえ、悠長に考えている時間もない」
「だから、そう言ってるじゃないですか」奥寺がそこで会話を区切る。何かを言いかけ、結局は思念を飛ばしてくる。(私だったら、普通のエレベーターの方には乗るのを控えると思うんです。何人乗ってくるのか、外に何人いるのかわからない状況で、誰の体にも触れずに動くのは、リスクが大きすぎます)
(ということは、貨物用の方を使うはず、か)
(ええ。私も正確に把握しているわけじゃないですけど、そっちの方って、そうそう動かしませんよね。もしかしたらその人、動くのを待っているかもしれません。地上との連絡は有線に限定されています。携帯電話の基地局が設置されていないから当然なんですけど、ということは、敵は外と連絡が取れていないことになります)
(それなら、貨物エレベーターを稼働させれば、食いつくかもしれない)
(あくまでも仮説の上に推測を重ねた不確実な条件ですけど、やる価値はあると思います。地上でアクションを起こすのなら、地下に情報を漏らさなければ、機会は何回でもあります)
(相手が地上に出ていなければ、だけどな)
(向こうが自由に出入りしているとしたら、もうお手上げです)
「賭けてみるさ」
賭ける価値はある、と思った。
「あとは、どうやって見つけるか、だな」
(それなら、ドラゴンがいいと思いますよ)
(ドラゴンか。そうか、そういうことか。……なんだか、ほとんど奥寺が考えた作戦になったな)
「私も、こういうのは好きなんですよ」
「ドラゴンは、一色のアビーが適任か」
「そうですね。アリスには私から連絡しておきます。あとは、教頭先生に頼めばなんとかなりそうですね」
「そうだな。頼む」
家庭科室の前で話し込むこと十分あまり、この短時間で作戦がまとまるとは思わなかった。
「詳しいことは明日の朝、また話しましょう」
「ああ。明日生徒会室で」
奥寺は一度教室に戻るようで、階段を登っていった。恵庭も生徒会室に向かう。柿崎に呼び出しを受けてから、一時間半近くが経っていた。廊下の窓から覗く空は、すでに茜色に染まっていた。今日はもう帰ってしまおうか、それとも明日の準備をしていこうか、緩やかに考えながら歩く。
そうして歩きながら、知らず恵庭は五十嵐のことを考えていた。戦うことを躊躇し、平和を望む、それは普通のことだ。能力を持たないひとりの少女の、それが当たり前の考えなのだということは、恵庭も理解しているつもりだった。それでも恵庭は、戦うことを諦めるわけにもいかなかった。五十嵐が嫌だと思っていることを、進んでやらなければいけない。それがこの世界を守ることだ、と信じている。
どうすれば、五十嵐に協力してもらえるのだろうか。奥寺に全てを任せっぱなしというわけにもいかない。自衛隊に守られているこの場所が、いつ戦場になるかわからないのだ。
国に守られている一方で、国からは認めてもらえない存在——。そんなあやふやで曖昧な関係が、いつ瓦解するかわからない。法律があっても、それを運用するのは人なのだ。柿崎や柳瀬のように理解のある人ばかりではない。こちらが失敗するのを手ぐすね引いて待っている人は、この学校にもいるはずだ。
考えていても仕方がないのかもしれない。正解なんてどこにもなく、自分が信じるものを見つけるしかないのだ。
生徒会室の扉を開く。窓から差し込む夕焼けが、悲しげに机を見下ろしていた。
翌日は、朝から快晴だった。普段より一時間早く学校に着いた恵庭は、結局今日に回した準備に時間を費やすことになった。授業が始まるまでに、教頭の許可をとって用具倉庫から必要なものを調達し、地下では柿崎に事情を話し、訓練前の一個小隊の半数を借りる算段をとった。そうして生徒会室を出たり入ったりしているうちに、奥寺が扉をノックし、部屋に入ってきた。浮かない顔で近づく奥寺が、言いにくそうに口を開いた。
「すいません、アリスと連絡がつかなくて」
「家の仕事が忙しいのか。学校は来ているんだよな」
「ええ。昨日は何も言ってなかったですけど」
「ドラゴン使いは、三年生にひとりいたはずだ。教頭に話してみるか」
恵庭は机の電話を取ると、職員室の教頭へ連絡をとった。用件を話すと、教頭はすぐに了解してくれた。担任に話を通しておく、と明るい声で答える教頭に礼を言い、電話を切る。
「一時間目が終わったあと、教室に行ってみよう。大丈夫、きっと間に合う」
「よかった。先輩の方は準備終わったんですか?」
「あとは、エレベーターに仕掛けをするだけだよ。第一小隊には十一時に上がってもらうように伝えているから、そうだな、三時間目は授業を抜けることになる」
「三時間目って授業なんだったかな」
「理由が理由だ。事前に言っておけば問題ない」
「そうですね。じゃあ、私は十分前に体育館裏に」
「体育館裏って、なんか不良に絡まれてるみたいだな」
「告白じゃないことだけは確かですよ」
「誰も期待していないよ」
朗らかに笑う奥寺が、手を振りながら部屋を出ていく。
搬入用のエレベーターは常に地上に留まっているから、準備はいつでもできるが、仕掛けるのは直前の方がいいだろう。「ひとまず、自分の教室に行った方がいい、か」と恵庭はひとりごちた。
高校の授業というのは、なかなかにして単調で退屈だ。魔法の使える生徒ばかり集まっているが、授業の風景は普通の学校とさして変わらない。魔法に特化した授業がないわけではないが、それよりは数学や英語など学習指導要領に則した教科教育の比重の方が大きい。
その魔法の授業も、個々の能力を伸ばすというよりは、魔法世界の歴史と、魔法世界と現代社会との関係を論じる授業がほとんどだ。個々の能力はほとんど完成されていて、鍛錬はそれぞれが好き勝手に行っているのが現状だ。
だから、この学校における魔法の役割は、いかに教師に気づかれずに行使するか、その一点に集約される。それが自己研鑽に繋がっている側面もあり、ある程度のレベルを越えれば、教師は黙認するか、本当に気づかない。恵庭など、教師が授業中に間違うことがあれば、こっそり指摘することもある。
一時間目の数学も二時間目の魔法の歴史も、授業はやはり単調で退屈だった。新学期が始まってまだ一週間、教科書の内容に触れることはほとんどなく、担当する教師の考え方だったり、学問そのものの歴史だったり、そういう話をするだけで時間は緩やかに過ぎていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます