第25話

「そのスナイパーの気配は、探れますか?」

「一緒にやってみましたが、ダメでした。一週間、色々探っていましたが……」

 侵入者、というよりは、何か芹沢の目論見に対して先手を打てないか、と考えていた。これまで以上にそうして気を張っていたのに、それでも感知できなかった。自分の能力を上回る存在の気配は、探ることさえできない、ということだろうか。鳥飼ひとりにさえ手を焼き、大火傷を負っているというのに、相手の能力値さえ不明な敵と、どうやって対峙すればいいのだろう。


「そうですか。いずれにしても、司令に連絡した方が良さそうですね」

「ええ。柿崎一尉も同行お願いします」

 歩きながら、柿崎の無線機から司令室に連絡を入れる。搬入口を挟んで反対側にある管理棟の地下、そこにあるコマンドルームに詰める内海陸将補は、鷹揚な声で『じゃあ、イエローを発動しましょう』とだけ返答した。


「哨戒配備ですか」

 管理棟の正面で立ち止まる。

『詳しいことは、直接伺いますよ、三佐』

 ぷつっと回線の切れる音だけが耳に残る。いつ聞いても、何を考えているかわからない声音だ。

「内海司令は、なんと?」

「話は直接、とのことです」


 苦笑いを浮かべながら、柿崎と並んで自動ドアをくぐる。管理棟は、その名の通り緑ヶ丘駐屯地の管理運営を司る場所だ。駐屯地とはいえ、公式には存在しないことになっている場所。その司令を務める内海は、簡単に言ってしまえば出世の本流からは外れてしまった人物だ。学校に常駐する芹沢とは違い、魔術の類にもあまり関心がない様子で、自分たちのことをどこまで理解しているのか、計りかねる部分が大きい。


 不確かなものを隠匿するという後ろ暗い仕事を淡々とこなしながらも、『ヴォーウェル』の組織や運営には全く興味を示さず、そればかりか先の不正アクセスさえも、最終的には「そうですか」の一言で済ませてしまうほどの無関心ぶりだった。

「私は、正直内海司令が苦手です」

 エレベーターの前で、柿崎が呟く。

「それは、私も一緒です」


 エレベーターの到着を告げるランプが点灯し、扉が開く。無人のそれに乗り込み、エレベーターは降る。地下基地の地下、というのも不思議だ、とこれに乗るたびに恵庭は思う。

 司令室のドアを開けると、薄暗い空間を照らす幾多のモニターが目に入った。幾何学模様が複雑に交錯するグラフ、基地内の各所に設置されたカメラの映像、配備された兵器の整備状況、そういう類の情報がランダムに表示される。平時とほとんど変わらない、つまるところ意味のない映像が垂れ流されるだけの空間、それを『陰気な監視室』と揶揄する人もいるが、恵庭はまた別の感想を持っていた。


「相変わらず、ここは居心地が悪いですね。内海司令」

 恵庭は、部屋の奥、一番大きなモニターに向かう内海の背中に言葉を投げかけた。直立不動で敬礼した柿崎がぎょっとした顔を硬直させ、席に座る隊員たちが、じっとりとした視線を向けてくる。

「これは、今日の未明、整備棟周辺の監視カメラの映像です。ここをご覧なさい」

 内海はこちらを振り返ることもなく、唐突に喋り始めた。手に持った機械を画面にかざし、映像を止め、レーザーポインターを向ける。緑色の光が薄暗い映像に吸い込まれるようだ。恵庭は画面に近づき、程なく動き出した映像を凝視した。内海が差す場所は、ちょうど建物の外観を照らすライトが地面に反射している場所だった。一瞬、画面がざらりと乱れる。コマ送りになる映像に、ライトが不自然に明滅する様子が映っていた。


「今の一瞬、ライトが確かに消えたように見えました。けれど、影の部分はほとんど変化がありません。空間が歪んでいるんですよ」

 侵入者、その痕跡ということだろう。

「位相転移の能力、ですね」

「私は詳しくありませんが、芹沢一佐によれば、ごく限られたものにしかない能力のようですね。赤外線カメラの映像に切り替えます」

 瞬時に切り替わった画面も、見え方は大差なかった。照明が放つ赤外線量が多く、ハレーション気味の画面に、しかし人影は見当たらない。


「可視光線だけでなく、あらゆる電磁波を歪める力……」

 映像に釘付けになった。自分自身、それは過去に文献で読んだことがあるだけで、本物に遭遇したことはなかった。

「体温さえも漏らさない、絶対防御。オールレンジ・ディフェンダーの存在、これはなかなか面白くなってきました」

「それなら、どうしてすぐに戦闘配置に移行しないんです?」


「得策でないと判断したからです。今動いたところで、こちらに勝ち目はありません。あなた方のすぐ後ろに、その人物がいないとも限らない。白旗を揚げる気はありませんが、かといってあなたと玉砕するなんてお断りです」

「なら、せめて痕跡を探してください。私なら、犯人の気配を探れます」

「過去の気配を探って何になるというのですか」

「少なくとも、行動範囲は絞れます。それがわかれば、罠を張ることだって」


「見えない敵を、どうやって捕縛する気ですか? 捕縛できているかさえも観測できないのに、それでは霧を掴もうとしているのと同じです」

 恵庭はぐっと言葉を詰まらせる。打つ手なし、ということだろうか。けれど、何か引っかかるものがあった。内海司令が、ここまで語気を強めるほど相手を警戒するのは、本当に敵わないと思っているからなのだろうか。

 恵庭は、内海にマインド・リアクターを飛ばした。その心のうちが知りたかった。何か、別のことを考えているのではないか。


(いつものことですが、やはり気持ちのいいものではありませんね)

 内海の心の声だ。繋がった感覚に、恵庭は思考を飛ばす。

(司令は、どうすればいいのか、わかっているのではないですか?)

(少しは自分の頭で考えてみることです。ヒントは、もうあげたはずですよ)


 内海の言葉を反芻する。見えない敵、電磁波、それに囚われて、見落としているもの、それを伝えようとしているのかもしれない。後ろにいるかもしれない敵に悟られないように。あまりに迂遠なやり方だ。マインド・リアクターさえ信用していない口ぶりは、しかしこちらを全面的に否定しているというわけでもなさそうだった。


「わかりました。哨戒配置で、警戒を厳とするよう、高校にも伝えます」

「よろしく、頼みますよ、恵庭副会長」

 内海は終始後ろを向いたままだった。いつもこの調子で、考えてみれば、恵庭はその顔を見たことがなかった。

 入室した時と変わらず微動打にしない柿崎の背中に手を当てる。びくりと体を震わせる柿崎を引き連れ、部屋を出た。ドアが閉まる寸前、部屋の中で内海が振り返る挙動を見せた。モニターの灯りが逆光となってシルエットを映し出す。その瞳だけが光を反射していて、寒々とした気配に鳥肌が立った。




 内海の迂遠な指示を受け、何をするべきか、考える時間が必要だった。整備棟へ向かうという柿崎と別れ、恵庭は一度学校へ戻った。搬入口脇のエレベーターに乗り込み、地上へ出る。

 地下にいると時間感覚が狂う。それほど時間をかけていたつもりはなかったが、体育館裏に位置する扉が開くと、強烈な西日が差し込んだ。視界を歪めるほどの日差し、これさえも、あの敵は捻じ曲げてしまうのだろうか。


 恵庭はひとまず生徒会室に向かった。校舎に入り、廊下を歩いていると、前から奥寺が歩いてきた。

「奥寺、まだ残っていたのか?」

 マスターキーを渡して別れたきりだったが、てっきり帰宅したと思っていた。


「はい。明日の授業の準備を頼まれてて」

「実習か?」

「魔法の実習なら多少はやる気も出るんですけど、調理実習ですからね。食料倉庫と家庭科室の往復の度に休憩してたらこんな時間に」

 奥寺は腕に小麦粉の袋を抱えていた。

「手伝うよ」

「でも、生徒会室に行くんじゃないんですか?」


「戻って何かしようとしていたわけじゃないから」奥寺の腕から袋をひとつ、二つと摘み上げる。「そういえば、柳瀬三尉がお前のことすごいって言ってたぞ」

「柳瀬さんと会ったんですか?」

「さっき基地に降りるときにな。勉強になるって言ってたけど、何をしてたんだ?」


「能力のこととか、聞いたんです。柳瀬さんの能力、グラビティー・ウォールっていう重力操作の能力なんですね」

「ほとんど報告例がないくらい希少な能力らしい」

「そうなんですよね。能力の限界とか、そういう話も聞けましたし」

「よくそういうこと聞けるよな。何かコツでもあるのか?」


 能力の限界というのは能力者にとって秘中の秘のはずだ。それを易々と聞き出すあたり、奥寺のしたたかさや狡猾さを感じなくもないが、「それは乙女の秘密です」とはぐらかされては、それ以上の詮索をするのは憚られた。


「なんだそれ。——それにしても、小麦粉って意外と重いんだな」

 笑いそうになるのを堪え、小麦粉の袋を抱え直す。話題を変える。

「重力をいじったわけじゃないですからね」

「だとしたら大変だ」

 気を紛らせようと袋に顔を近づける。小麦粉の粉っぽい匂いが鼻腔をくすぐり、その刺激が恵庭の頭に閃きを与えた。

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