第24話

 陸上自衛隊緑ヶ丘駐屯地の拠点は、学校の地下にある。魔法によって拡張された地下空間は、東京ドーム千八百個分、富士演習場と同じくらいの面積を持つ。出入りできるのは体育館の裏にある、幅十メートル、奥行き二十メートルの搬入口と、併設されたエレベーターだけだ。

 扉が開く。行き先ボタンを押して、扉を閉めようとした。


「あ、すいません。ちょっと待って」

 扉の向こうから声がして、恵庭は慌てて開くボタンを押す。

「柳瀬三尉、すいません」

 ドアから覗いた顔に、恵庭は声をかけた。先週の防衛戦で第二小隊の小隊長を務めた尉官だった。高卒からの叩き上げである彼女は、下士官から幾度の試験をパスし、まだ二十代なのに、若くして部隊を任されている。一言で言えば優秀な隊員だった。しかも緑ヶ丘高校の卒業、つまりは能力者だ。


「恵庭三佐、申し訳ありません」

 頭を下げると、長い髪が揺れる。ドアが閉まり、箱が動き出す。異なる空間を結んでいるはずなのに、動きはまるで普通のエレベーターと変わらない。むしろ、空間的隔たりがない分、実際には動かす必要も時間をかける必要もないのだが、密閉空間に閉じ込められていると錯覚することを防ぐために、擬似的に三百メートル程度の移動感覚を与えている。


「これから訓練ですか?」

「はい。市街地戦を想定した模擬戦です。芹沢一佐の作戦要綱、すでに総監部で議論がなされているそうで……、柿崎一尉とも話したのですが、小隊として今から準備をする必要があるだろうと」

「そうですか。本当は、それを回避したいんですが……」

「恵庭三佐なら、いえ、恵庭“先輩”なら、そう言うと思っていました」


 あえて言い直すあたり、こちらの立場を慮っているのだろうが、それでも年下をからかう気配が漂う。その方がむしろ居心地がいい。恵庭は自然と頬が緩む。

「拠点攻撃をせず、相手を無力化する方法があれば、それが一番いいんです」

 そうして本音を漏らし、ため息をつく。鳥飼を確保できなかったことで、交渉のカードに使うこともできなくなった。状況は悪くなる一方だ。

「三佐、自衛官として、一番誇れることって、なんですか?」


「突然ですね。……魔法を扱う身としては、社会的弱者を守れるような組織である、ということでしょうか」

「私自身は、これまで人に銃を向けたことがない、ということです」

「今の自衛隊では、そういう人が圧倒的でしょうけど。そうですね、本当の平和は、そういうことなのかもしれません」

「もちろん、訓練の時は、この銃口の先に人がいる。そう思って取り組んでいます。でも、それは訓練の中だけにしたいんです。身勝手な気持ちかもしれませんが……」


「実際の戦闘になればどうなるかはわかりませんが、柳瀬三尉の考え方は、私は好きです」

 先の戦闘でヘリを撃ち落としたのは、おそらく自衛隊史上初めてなされた実弾による敵部隊への破壊行為だ。自衛隊という括りでは、すでに禁忌は破られてしまった。公表されなくても、その事実は変わらない。

 だから、柳瀬の感情は、どこまでも個人的だ。自衛官として、それが正しいのか誤りなのか、それを判断することを、恵庭はしたくなかった。


「ありがとうございます」

 はにかむように頬を緩める柳瀬の目を見ているうちに、ごとっと音がして、静かにドアが開いた。柳瀬に目配せをし、先に出るように促した。

 外は明るい。しかも自然光だ。空には太陽としか思えない光源があり、雲も浮かんでいる。どういう原理でこの空間が保たれているのかは、恵庭も知らない。


「そういえば、奥寺さんってすごいですね?」

 エレベーターを降りたところで、柳瀬が振り返り、言った。唐突ともいえる言いように、恵庭は思わず「何かありましたか?」と聞き返した。

「いえ、色々と勉強になりました」

「はあ」


 恵庭は生返事をした。奥寺は一体何をしているのだろう。能力といい気概といい、とても同年代とは思えないことばかりだが、まさか自衛隊にまでその触手を伸ばしているとは思わなかった。

 どう言葉を繋げたものかと考えあぐねているうちに、柳瀬が「三佐は、これから会議ですか?」と問いかけた。

「いえ、柿崎一尉から連絡を貰っていて、整備棟に」

「そうなんですか。私は演習塔に行きますので、ここで失礼します」


 敬礼に返すと、柳瀬は柔らかく笑みを浮かべたまま、踵を返し、正面の建物に小走りで向かった。

 広大な面積を誇る地下空間にあって、建物はこの搬入口を中心とした半径一キロの範囲に集中している。隊員の多くが生活する居住区、兵器の整備や修繕ができる工場区、演習・実習施設のある実習区に別れており、ひとつの街と表現した方がいい規模だが、世界はその外側にも広がっている。区画の北側には、戦車やヘリの演習に使われる荒野があり、その奥にはサバイバル訓練さえ可能な原生林もある。


 気候は日本と同じで四季があり、ここも今は春うららだ。ただ、生態系は東京よりも多少南方系らしく、詳しくは知らないが、奄美群島以南の植生と類似する要素が多いらしい。

 時間があれば、自分でも散策してみたいのだが、ついぞそんな時間を取れた試しはなかった。ここに来るときは、決まって何かよくないことが起こったときだ。


 柿崎の指定した、工場区にある第二整備棟は、主に装甲車の整備や点検をする場所だ。エレベーターからぐるりと反対に周り、通路を歩くこと十分あまり、ひとつ路地を入ったところに、大きな搬入口を開けた建物が横たわっていた。搬入口の上には安全第一とプレートがかかり、作業の現場だということを実感させる。その入り口近くに人集りがあった。


 柿崎はその中心にいた。周りを固めるのは、第一小隊の面々だ。下士官が尉官を囲む姿に、恵庭は頬を強張らせた。

「柿崎一尉、どうしました?」

 意を決し、柿崎に言葉を投げかける。こちらに背を向けていた柿崎が、その他大勢を引き連れて振り返る。鋭い目つきのまま起立敬礼する様子に、恵庭は気後れしてしまう。


「恵庭三佐、すいません。お呼びだてしてしまって」

「いえ、こちらの状況も気になっていたところなんです」

「早速なんですが……」

 柿崎の視線が、そこで地面に向けられる。搬入口から伸びるコンクリートの面が、一箇所穿たれていた。歪んだ楕円形をした穴の周囲にヒビ割れが走り、強い衝撃が加わったことを物語っていた。


「これは……」

「はい。おそらく、ライフル射撃の跡だと思われます」

「誤射、ということではなさそうですね」

 整備棟は屋外訓練施設の反対側に位置する。流れ弾が飛んでくるとしても、障害物が多すぎる。そもそも、訓練中のものであればこんな風に自分を呼びつけたりしないだろう。


「故意に、意志を持ってここを狙った、としか考えられないんです。それで、小隊のみんなで議論していたんですが」

 部隊の揉め事でないことに安心する気にもなれず、恵庭はその痕跡をじっと見つめた。

「ちょっとすいません」

 恵庭はしゃがみこみ、穴に顔を近づけた。傾斜がついた穿孔は、確かに銃撃を受けたものに見える。恵庭は手をかざし、その穴に意識を凝らした。


 物には人の想いが宿ることがある。それは愛着や執着として形になる。残留思念とも換言できるそれを、恵庭は探った。

 精神の波動とそれ以外の無機的な振動を選り分けるのは、マインド・リアクターの応用だ。そしてそれに色をつけていくのは、オーラを見分けるのに似ている。能力の応用と合わせ技で、恵庭の頭のスクリーンには、版画絵を作るように、少しずつ像が浮かび上がってきた。真っ赤に塗り固められた背景を背にこちらを覗く人の視線と、その赤を蝕むように広がる夥しい数の黒い影。それらが代わる代わる明滅し、異変を察知した体が強張る。


「……敵」

 びりびりと掌を打つ、予想より遥かに強い思念に、恵庭はかざしていた手を引っ込めた。

「何か、見えましたか?」

「敵意と、殺意ですね」

 赤と黒、その二つは、言ってみれば強烈な否定の感情だ。それが二つ重なり、具体的なイメージまで纏っているのは、あまり経験がない。

「やはり、敵が……」


「警告、でしょうね。いつでも狙っている、と」

「あのとき、あの爆発のさなかに、ですか?」

「ヘリに乗っていたスナイパーか、そうでなければ、結界を解いたあの瞬間に侵入したんでしょう。武器の類は、あらかじめ登録しているものでなければ結界を通ることはできませんから」

 結界の設定自体は、駐屯地の関係者なら知っている。鳥飼がどこまでその情報網を広げていたかはわからないが、こちらの設備や装備を把握した上で、潜入する算段を立てることくらいできる気がした。

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