第23話
エアリアスは、それから律儀にも毎日、自衛隊内部、特に東部方面総監部の情報を寄越してきた。早くも芹沢の作戦要綱がまとまり、現在はその有効性が議論されていると知らされたのがついさっきだ。先週の戦闘分析も終わっていないのに、随分性急なことだ、とエアリアスは他人事のように呟いていた。
忸怩という言葉が恵庭の脳裏に浮かぶ。自分が手出しできない場所で、こちらの意思とは関係なく進んでいく現実。仕方がないという一言で片付けるには大きすぎるそれに、押し潰されそうになる。
恵庭は、エアリアスから受け取った小さな鍵をポケットから出した。一体何の鍵なのか、皆目検討もつかない。交信の度に尋ねているが、エアリアスは、今にわかる、を繰り返すばかりだった。そうして指で弄んでいると、ノックの音がドア越しに響いた。
続いてドアが開き、奥寺が顔を覗かせる。
「女の子を呼び出す時は、ムードが大切なんですよ」
奥寺は真顔でそう言うと、つかつかと恵庭の座る会長席までやってきた。
「ムードがなくて悪かったな。早速なんだが、これを見てくれ」
知るためには、エアリアスの言った通りに動くしかない。言いなりになるのも癪だったが、呑気に構えている時間はないだろうということくらい、恵庭にもわかっていた。
「鍵……?」
「ある人から、これをお前に渡すように頼まれた」
恵庭が差し出した鍵を、奥寺が摘む。黒目がちの目を大きく開き、くるくると鍵を回す。光にかざすように上を向いたかと思うと、奥寺はそのままの姿勢で話し始めた。
「この鍵、精神の宮殿の、しかもマスターキーですね」
「マスターキーだって?」
「これがあれば、たとえマインド・リアクターの能力がなくても、誰の心も見ることができるし、解放することができる。古い文献にその存在は示唆されていますけど」
「マジかよ。そんなもの、使っていいのか?」
「先輩が、私に使わせようとしているんでしょ? 相変わらず、おかしな人」
くすりとも笑わずにまっすぐ視線を向ける奥寺に、恵庭は視線を落とした。
「すまん」
「真紀ちゃんに、か……。誰だか知りませんけど、滅茶苦茶ですよ。でも、そうですね、やり方によっては、うまい解決法になるかも」
「解決って、鳥飼のような能力者ならともかく、五十嵐は多分……」
もしこれを自分が使っていたら、そう考えると恐ろしい。精神の宮殿と聞いて、確かにこれは奥寺でなければ扱えない代物だと改めて思った。
「まあ、先輩がそれをやったら、私はその時点で軽く軽蔑しますけどね」
「そういうことを言うなよ。例えばって話だ。マスターキーの使い道……。正直、これを託した相手は、俺よりも数倍未来が見える。もしかしたら、これは五十嵐のためじゃないかもしれない」
「可能性はあるでしょうけど、だったらいよいよわけわかんないですよ」
「マインド・リアクターは、そもそも自分の心をコントロールする力だ。テレパシーや相手の精神を操ったり乗っ取ったり、そういう力は後から術者が発展させたもの、だったな」
「はい。先輩も私も、その程度ならできるってわけです」
「だったら、俺たちはその相手の鍵を開けてるってことか?」
「感覚的には、相手に鍵を開けさせる、っていう方が近いですけど」
「そうだよな。だったら、やっぱり五十嵐に使ってはいけない。あいつは、あいつには、自分から進んで協力してほしいんだ」
「その気持ちは私も同じですけど……、難しいと思います。芹沢先生の話だと、私たちを助けるために力を使うのは許せても、それは自衛のためであって、過剰防衛は、況してや先制攻撃なんて、絶対に認めないって、結構な剣幕だったみたいですし」
「そうらしいな。それが普通なんだろうが……」
「私だって、本当は——。でも、そうも言っていられない現実があります。私から、説得してみます。それでいいでしょ?」
夏希の声はどこか悲しい響きがあった。
「ああ。すまない」
女子高生ひとり懐柔できない——。その芹沢の指摘が胸に迫り、恵庭は自分の不甲斐なさを省みる。けれど、自分より相応しいと思える人がいるというのは、いいことなのかもしれない、とも思える。
「それと、このマスターキーも。何に使うかは、これから考えますけど」
「そうだな。悪用するなよ」
「先輩じゃあるまいし」
「お前は、どうしても俺を犯罪者にしたいんだな」
夏希は満面の笑みを返し、鍵を摘んだ手をくるくると回した。
「用って、これだけですか?」
「あともうひとつ。一色はどうした? あいつも、生徒会から距離を取っている系か?」
恵庭は自虐的に言った。奥寺はその言い方がおかしかったのか、少しはにかみながら答えた。
「アリスは、最近家の手伝いが忙しいみたいです」
「あいつは代々ドラゴン使いの家系なんだよな。忙しいって、行事でもあるのか?」
「詳しくは……。映画の撮影とか、そういうこともあるって聞いたことありますよ」
「そんなの、いいのか?」
「近頃は、CGもよくできてるから、逆にCGって言ってもバレないって話してました」
「いい加減なものだな。まあ、それなら心配ないか」
「アリスは、あれで肝が座ってますから、大丈夫ですよ」
奥寺の声を聞くと、本当に安心するから不思議だ。恵庭が頷き、それを潮に奥寺は生徒会室を出ていった。
奥寺がいなくなると、途端に部屋は静かになる。放課後の学校は、普段なら部活の喧騒で暗くなるまで賑やかなのだが、鳥飼の一件以来、部活動は自粛を余儀なくされていた。保護者からの要請もあったし、学校側としても警備に割く人員が不足しているのだ。
その代わり、駐屯する部隊ではこれまで以上に、訓練に時間を費やしていた。『ニュー』の動きが見えない以上、安穏としているわけにもいかない。いつ攻撃を受けるかわからないし、もしかしたら、拠点攻撃を下命されるかもしれない。
芹沢の作戦が承認されたら、もう後には引けなくなる。五十嵐は巻き込まれ、戦争は続く。
戦争は悪なのか、正義は何をしても許されるのか、それまで考えたこともなかった事柄が頭に浮かんでは消えていく。国の秩序を守り、国民の生命と財産を第一とする政府であり、その指揮で動く自衛隊が、大きな岐路に立たされていることは疑う余地がなかった。
戦争というのは、そういうことなのかもしれない。これまでの常識が崩れ、混沌とした世界に翻弄される国民と、濁流の中でもがくしかない政府、自分たちの構える銃口がどこに向いているのかわからないまま、引き金を引くしかない自衛隊——。
暗い未来の予感に、恵庭は肌が寒々と萎縮するのを感じた。
机の電話が鳴り出す。白い受話器をじっと見た恵庭は、ひとつ咳払いをしてから、手を伸ばした。
「はい、生徒会室、恵庭です」
『柿崎です。三佐、今お時間よろしいですか?』
「はい。大丈夫です。珍しいですね、柿崎さんが電話なんて」
『ええ、すいません。込み入った事情なので、申し訳ないのですが……』
「いい知らせ、じゃあなさそうですね。わかりました。今からそちらへ」
場所だけ聞いて、恵庭は電話を切った。
スニーカーに履き替え、校舎沿いを進む。校庭に目を向ける。週末に応急的に土をかぶせたそこに、戦闘の面影はない。見えなくしてしまえば、それ以上考えなくて済む。そうやって目を背けて、戦いに身を投じてきた。
魔法世界の規律を束ねる『ヴォーウェル』と、現実世界の秩序を守る自衛隊。そのどちらにも属する自分は、どこへ向かおうとしているのだろう。目的の場所が近くにつれ、頭に浮かぶのは結論のない煩悶だった。コウモリのように左から右へと移動する様は、自分でも滑稽だと思うことがある。平穏な日々では、それも自分の立場ゆえだと客観的に見ることもできたが、戦争状態に突入した今は、そんな太平楽な気持ちではいられない。どうすればいいか、顎に指先を当てて思考を巡らせても、これといって事態打開の算段が立つわけでもなく、そうして思いあぐねているうちに、校舎の端まで来てしまった。
校舎と体育館をつなぐ通路を跨ぎ、裏手に回る。フェンスの向こうは、マンションの立ち並ぶ住宅街だ。向こうにある日常と、こちらの日常は違う。ここを通るたび、それを考えてしまう。その日常が変わってしまうとすれば、それを守るのが自分の仕事だと、言い聞かせてきた。けれど、そのために誰かが血を流すとしたら——。
ヤジロベエのように行ったり来たりする気持ちの行き場を、エレベーターの行き先表示にぶつける。下を向いている場合ではないが、残念ながら、行き先は下しかない。
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