第22話
学校は、三日間の臨時休校の後、週末を挟んで一昨日から授業を再開していた。生徒のほとんども、認識は外の一般人と変わらない。ヘリ墜落の真相は、職員と『ヴォーウェル』の関係者しか知らない。
そういうわけで、『ヴォーウェル』としての活動は、停滞気味だった。奥寺と一色は、月曜日に一度来て以来顔を出さないし、五十嵐からは、当然のように返事がない。学校には来ているらしいが、明らかに避けられていた。
五十嵐と〈オリハルコン〉、その関係を初めて聞いたのは、一昨日の午後だった。生徒会室を訪れた芹沢が、とうとうと先日と同じ自分の考えを述べ、まるでもののついでのように五十嵐の話題に移ったのだ。
「もう少しだったのに、残念」
訝しる恵庭に、芹沢は「知らないの?」とさも意外そうな顔を向けた。
「私にあの子をそそのかすように仕向けておいて……。あの子の持ってる〈オリハルコン〉、あれは元々、日本政府、より正確にいえば、奈良時代から現代まで、時の権力者へ脈々と受け継がれてきた神器なのよ」
「どうしたんです、突然」
突如として飛び出した神器という耳慣れない言葉に、恵庭は困惑する。
「〈オリハルコン〉自体は、それほど珍しいものではないけど、あれは特別なの。人との関わりを一千年以上続けて、あれは、もう未来を与えるなんて生易しいことでは満足しなくなった」
「〈オリハルコン〉が、人の意志を越えるとでも言うんですか?」
「あの石があれば、自衛隊は神に匹敵する力を手に入れることができる」
「そんなこと、この国の国民が望んでいませんよ」
「国民っていうのは、ただのお飾りに過ぎない。憲法に謳われているところの主権なんて、一体いつ誰が行使しているの? 結局、選抜された数百人の国会議員と、そこに取り入ろうとする官僚たちが、自分たちの権益を守るために法律を作り、この国を動かしている。その他大勢は、そのレールの上で、さも自分が作ったみたいに我が物顔で人生を生きている」
「何が言いたいんですか?」
「そんな国を守るために、私たちは組織された。こんな滑稽なことがある? 自衛隊は、その傲慢の上に成り立っている。来る日も来る日も訓練に明け暮れて、それなのに、市街戦のひとつまともにやったことがない。そのつけが、先週の鳥飼。こちらのシナリオ通りに動かない相手に、なす術もなかった」
「問題があったとすれば、準備不足と指揮の遅れです。それについては、報告を上げたはずです。私が個人的判断で動かせる部隊には限りがありますし、不確定要素の大きかった先の戦闘において、私の立てた作戦は最善ではなくても及第点は頂けるはずですが」
事の重大さに鑑みて、駐屯地司令からその更に上位組織である東部方面総監部へと報告がなされ、今はその戦闘データの分析がなされていると聞いていた。駐屯地司令の内海からは、特段のコメントもなく、少なくとも失敗の烙印を押されているという印象はなかった。
「本当にそう言い切れる? 〈オリハルコン〉がなかったとしたら、あんなことはできなかった。それくらい、私たちはあれに依存している。今だけじゃない。この国の均衡は、今やあの石なしには成り立たない。それがこの場所にある。そのことになんの疑問も抱かないの?」
「言いたいことはわかります。未来を引き寄せる、そういう力が、確かに私たちには必要かもしれません」
恵庭はそう答えたが、それは決して本心ではなかった。けれど、それさえも芹沢の求めていた回答ではなかったらしい。首を横に振り、唇の端を釣り上げるその仕草に、恵庭はざらりとした不快感を感じた。
「政府は、我々に勝利を求めている。魔法には屈せず、しかし魔法の力に頼るしかない無能なこの国が、唯一出した合理的結論だ」
「それが、五十嵐を入学させた理由ですか? 〈オリハルコン〉を操り、戦いに勝つために」
「普通であることにコンプレックスを持ち、他人への奉仕を厭わない、そういう性質が必要だった。すべては、あの石が望んだこと。所詮、あの石も自分が可愛いからね、自分は負けたくないんだ。狡猾な政府はそれを利用しようとしている。だったら、その力を私たちのために使ったっていいじゃない」
「それは、一等陸佐としての発言ですか?」
「私個人の意見だよ、恵庭くん。ただ、虚言を述べているつもりもないけど」
「どこまでも、食えない人ですよ、あなたは」
「あら、私を誘惑する気?」
「ふざけないでください。五十嵐は、それを望んでいないんです。僕には、どうすることもできませんよ」
「それでも男なの? 陸将が私に泣きついてくる姿が目に浮かぶわ」
「父のことは、今は関係ありません」
恵庭にはそれしか言うことができなかった。父親の作った道を進むということは、こういうことなのだと思い知る。今や自衛隊組織のトップに名前を連ねるその名前に近づき、益を得ようと画策する姿と、それさえも自身の権力維持のための道具と割り切る姿、そのどちらも、恵庭は見たくなかった。
「とにかく、女子高生ひとり懐柔できないで、この先何ができるの、って言ってるの。しっかりしなさい。これは、保健室の先生としての忠告。嫌でもわかる時は来るけど、覚悟はしておきなさい」
「どういう意味ですか?」
「お友達のドイツ人に聞いてみれば?」
「……そんなことまで、知ってるんですか」
「自衛隊を舐めたらいけないよ。もっとも、別件でマークしてただけだけど」
「あいつは、僕に何も期待していませんよ」
「そう? それは残念。とにかく、五十嵐真紀のこと、くれぐれも頼んだわよ」
芹沢は片手をひらひらと振りながら、生徒会室を出ていった。その後ろ姿に、母親の姿が重なり、恵庭は引き出しに掛けていた指先を離した。
「聞いていたな」と小さく声を出す。芹沢が部屋に入ったすぐあとに頭に響いた接続音に辟易しながら、無視を決め込んで芹沢と話をすること十数分、その間じっと押し黙っていた件のドイツ人に、恵庭は話しかけた。
(ああ。あのおばさん、まだ三十代なのにもう一佐なんだな)
どこかで見ていたとしか思えないほどのタイミングの良さだった。下手をすれば日本政府を転覆させることもできるほどの重大情報を、いとも容易く仕入れる狡猾さは、敵に回す気も起こさせない。諦めにも似た思いを胸にしまいながら、さも自然に冗談を返すエアリアスに、恵庭は思わず語気を強めた。
「そこじゃない。自衛隊の動きは、お前が調べてくれ」
(内部にいるのは君の方だろう)
「内側にいるからって、外様の僕じゃあ大差ない。むしろ、下手に動いたら叛逆の汚名を着せられるのがせいぜいだ。向こうも、僕がドジを踏むのを虎視眈々と狙ってるからな」
(日本人は本当に陰湿だな)
エアリアスは喉を鳴らして笑った。本当に面白がっているのだろう。
「仕方がないさ。歪んだ島国根性を今更嘆いている時間もない。頼むよ」
気安く頼めることでもないが、ものは試しだ。僅かに時間をおいて、エアリアスのため息が漏れ聞こえた。
(わかった。それより、五十嵐という生徒の方は、大丈夫なのか?)
エアリアスから五十嵐の名前が出るとは思わなかった。この会話だけでなく、こちらで起こっていることは大抵把握している、ということだろう。この学校には、エアリアスの配下も潜り込んでいるのかもしれない。
「かなり憔悴してるみたいだ」
(お前のせいだ)
期待はしていなかったが、せめてオブラートに包んでほしいものだと思う。
「そんなことはわかってる。だからこそ、芹沢一佐の思い通りにさせるわけにはいかない」
(相変わらず大変だな、お前は)
「わかってるなら、手を貸してくれよ」
(僕は、君に期待しているんだ)
「嘘つけ」
(本当だよ。ただ、こっちも人手が足りなくてね。だからこれを貸そう)
「なんだよ」
唐突に机の上の空間が歪み、光の粒子がどこからともなく集まってくる。凝集し、光の密度が増すほどに質感が露わになっていく。金属光沢を放つそれが、ことりと机の上に落ちた。鍵だった。
(奥寺さん、だったかな。勝気なあの子に、それを渡してくれ)
恵庭は鍵を摘み、指先でくるくると回した。形としては古い、アンティーク調の歯が並んでいた。持ち手のところには三日月が模られ、繊細な造形から凝った装飾であることがわかる。
「これを渡して、どうしろって言うんだ」
(今にわかる)
回線はそこで途切れた。すぐにエアリアスの気配を追いかけるが、受信拒否をしているのか、呼びかけても応答はなかった。
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