第21話

「だから、また〈オリハルコン〉を使うつもりですか?」奥寺が詰問する。

「それは……」

 恵庭は、答えることができなかった。赤いベールを背に、鋭い視線を送る奥寺から目を逸らすと、今度は五十嵐が声をあげた。


「それで、また人が死ぬんですか?」

 五十嵐の張り詰めた表情には、理解を超えた出来事に対する拒否反応が見て取れた。苛立ちや非難を決壊寸前の瞼に湛え、それでもまだこちらの真意を確かめようとする瞳。その瞳が、横から挟まれた声に揺れた。


「五十嵐さん、戦うっていうのは、そういうことなんだよ」

 それまで黙っていた芹沢が、話し始めた。苛立ちを僅かに覗かせる声音だった。こちらを向いていた五十嵐も、それを聞いていた奥寺も、全員の視線が芹沢に集まる。


「自陣も敵陣も、どちらも犠牲の上に掲げられた勝利を追い求める。戦争は勝ってなんぼの世界だから。必死だよ。そう、だからそこには、必ず死がある」

 芹沢にとっては自然なことなのだろう。それは、自衛官でもある自分としては、否定できないこの世界の理だ。戦いが始まれば、勝つしかない。ただ、犠牲を前提にした勝利にどの程度の価値があるのかは、自衛官でさえわかるものではない。それを五十嵐に求めるのは、あまりにも酷だ。


「先生……?」

 一色が不安げに芹沢を見つめる。一方の芹沢は、ちらりと一色を見たが、すぐに顔を恵庭の方に向ける。挑発的であり扇情的でもあるその顔には、戦争へ向かう世界への羨望と歓喜が透けて見えた。

「芹沢先生は、どう思っているんですか?」


 わかっていて、恵庭は聞いた。

「私は、根っからの主戦論者だからね。向こうがご丁寧に宣戦布告してきたんだ。こちらとしては、拠点攻撃を仕掛けて一気に攻め落とす、それしか考えていないよ」

 さも当然のように宣言する芹沢に、その場の空気に緊張が漂う。


「先生って、なんなんですか?」

 一色が探るように言う。

「そういえば、自己紹介してなかったね。私は陸上自衛隊朝霞駐屯地所属、一等陸佐。三佐と同じく、この学校の養護教諭との二足の草鞋を履いている」


 芹沢の抑揚を欠いた声音に、既知であっても背筋が凍る思いがした。一色はぴんときていないのか、困惑した気配が消えない。三人が萎縮しないように、努めて養護教諭としての芹沢と話をしていたはずなのに、どうしてこうも、思い通りにならないのだろう。


「恵庭先輩も、戦うべきだって思ってますか?」

 そんな中、五十嵐は、芹沢の言葉を無視するように、恵庭に問いかけた。五十嵐のオーラだけは、先ほどと変わらず恵庭に向かっていた。わずかに首を動かすだけの芹沢を見遣り、恵庭は五十嵐に向き直った。


「始まってしまったものは、もうどうしようもない。こちから撃って出るかどうかはともかく、備えは必要だ」

「備えって、どうするんですか? 鳥飼先輩から色々聞き出そうとしていたんですよね?」奥寺が言い、恵庭は苦々しい思いがした。


「そうだな。それを突かれると痛い。状況は不利のままだ。こちらの拠点は割れているのに、向こうの情報は皆無に等しい」

「軍事的拠点はそうだろうけど、政治的拠点なら検討はついてる」

「一佐、それはまだ……」


「ここにきて、そういうのはナシにしようよ。サンサ殿」

 鋭い眼光が恵庭を撃ち抜く。階級を盾に話を進めようとする芹沢に、蛇に睨まれたマングースは、こういう気持ちなのか、と場違いな感慨がよぎった。


「すいません」

 結局はそんな言葉しか出てこない。

「奴らは、慈善団体と称した政治組織を持っているんだ。やっていることは『ヴォーウェル』と似たようなものだけど、そこを制圧することができれば、状況は一気に好転する」


「それはダメです。民間人に多くの犠牲が出る」

「殺したりはしないよ。暴れれば、向こうから迎えにきてくれそうじゃないか」

「潜入するんですか?」

「そうだよ。それとも、他に方法が? ダウジングでもしてみる?」


 どこまでも挑発的で挑戦的な口調に、恵庭は気圧されまいと拳を握った。

「危険ですよ。第一、もし捕縛されたら、どうやってその位置情報を送るつもりですか? 発信機はすぐに見つかるでしょうし、魔法を使うにしても、向こうの能力値もわからないのに迂闊なことはできません。こちらの存在を知られたら、それこそ市街地で戦闘が始まってしまう」


「それを考えるのが、君の仕事でしょう? サンサ殿」

 芹沢はそこで立ち上がり、白衣を翻す。恵庭はその背中に呼びかけたが、片手をひらひらと降るだけで、こちらを振り向くことはなかった。そのまま扉を開け、部屋を出ていく。


「先輩」

 腰を浮かしていた恵庭に、奥寺が声をかける。掌を強く握りしめ、机に打ち付ける。ごとりと音がして、それが生徒会室の温度をさらに下げた。

 芹沢の言う戦いは、明らかに自衛隊としての職責から逸脱したテロ行為に他ならない。そんなことは上層部が認めるはずがない。けれど、結成以来初の戦争状態に突入した自衛隊に、どの程度の自制心があるのか、恵庭には確信が持てなかった。


 静かになった部屋で、奥寺も一色も五十嵐も、それぞれ俯いたまま動かなかった。見えるのは、不安と混乱を宿した黄色いオーラだ。特に五十嵐のそれは、渦を巻いて、少しずつ色が濁っていく。否定的な空気が漂いだし、ついに五十嵐が頭をあげた。


「私は、もうできません」

「真紀ちゃん……」

 アリスがその顔を覗き込む。アリスの陰に入っても、オーラは消えない。渦は大きくなる一方だった。そして、その色がグレーに固定される。否定の色だ。


「私、いえ、〈オリハルコン〉の力を、戦いに使うのは嫌です」

「もう無理強いはしない。一佐の案は、手続きに従って、上が承認しない限り実行はされない」

 恵庭は会長室から立ち上がり、ソファーの傍まで移動した。近づけば近づくほどに感じる五十嵐の強い意志が、高い壁となって恵庭の前に立ち塞がった。


「でも、他に方法はないって」

「今は……。だが、政治団体も軍事拠点も、攻め込むつもりはない」

「じゃあ、どうするんですか?」

 叫びにも似た声が響く。悲痛な顔でこちらを見る五十嵐は、すでに泣いていた。「私には、できません」


 頬を伝う涙を指で拭いながら、五十嵐は立ち上がった。憔悴した背中がドアの向こうに消える。奥寺と目配せをしたが、その顔は横に振られるばかりだった。

「ここで追いかけても、焼け石に水です。ドラマじゃないんだから」奥寺が、ため息を吐きながら立ち上がる。「作戦失敗、ですね」


「何でもかんでも作戦にするなって」

 奥寺に当たっても仕方がないのだが、憎まれ口には慣れているのか、奥寺は臆する様子もなかった。首を僅かに傾げ、腕を組む。考えを巡らす素ぶりに、恵庭はソファーの肘置きに腰を預けてため息を吐いた。


「約束、ちゃんと覚えてます?」

「できることとできないこと、だろ。わかってる。それを履き違えた僕が悪い」

「そういうことじゃないですよ。そういうことじゃ……」奥寺が頭を振るが、それ以上の言葉は続かないようだった。更に混迷を深める奥寺をよそに、隣で静かに俯くばかりだった一色がぼそりと呟く。

「でも、真紀ちゃんの力がなくちゃ」


「……まあな」

「真紀は普通の子。先輩は、まだそこにすがるつもりなんですか?」

 奥寺のその声は、恵庭の胸を深く穿った。答えることができない質問に、ただ時間だけが過ぎていった。




 現場の責任者として、やることは山のようにあった。撃ち落としたヘリの回収、自治体や厚生局への説明、公安警察との折衝。足を運んだ先はどこも、これを機に魔法と手を切るか、それともより深い関係を築くか、思い倦ねている節があった。


 わからないことも、山のようにあった。どうしてF-35が攻撃を仕掛けてきたのか。あの戦闘ヘリはどこからきたのか。そもそも、『ニュー』がどの程度の戦力を保持しているのか、それさえもわからない。銃火器の調達さえ容易ではないのに、戦闘機や戦闘ヘリまでも、しかも西側諸国が保有する兵器を運用している事実を前に、自衛隊はその入手経路の手がかりさえ見つけられずにいた。


 幸いだったのは、一週間が経った今日まで、『ニュー』から特段のアクションがなかったことだ。政府もほおかぶりを決め込み、一般には無差別テロ攻撃があったとだけ報道された。『ニュー』の宣戦布告は、自衛隊法の定めるところの〈我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つ〉ことを阻害する行為であると認定され、武力行使の新三要件を満たすものと判断された。通常国会の会期末に起こった事件は、それら閣議決定の内容も踏まえて事後承認という形で国会決議もなされた。死傷者も出た、戦後初めての偶発的武力衝突が、まさか魔法界の内戦だと知っているのは一部の人間だけだ。


 ただし、自衛隊の出動は容認されたものの、それでも国民感情を意識した政府は、ヘリの撃墜だけは事故として処理した。それが、あの一時間程度の時間で起こったことの顛末だった。

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