決壊

第20話

 恵庭は出迎えた校長や宇佐美教諭と握手を交わしながら、(五十嵐、よくやった)と胸の中で呟いた。

「お疲れ様でした」

 恵庭に続いて軽装甲機動車を降りた奥寺がため息混じりに頭を下げた。

「ああ。お疲れ。一色も無事か?」


「死ぬかと思いました」一色は奥寺の後ろからよろよろと校庭に足をつけた。

 ヘリを引きつけながら時間を稼ぐ。そのためには、とにかく大通りと路地を行き来しながら攻撃を避けるために蛇行しなければならず、助手席にいた恵庭はともかく、後部座席の二人には大きな負担だったはずだ。


 校庭に飛散したヘリの残骸は、まだ炎を上げていた。生々しい油と血の匂いが春の風に乗って流れている。

「変なことになっちゃいましたね」

 そのヘリに視線を向けたまま、一色が不安げな声を出す。

「遅かれ早かれ、『ニュー』とは衝突していた」


 恵庭の答えに、一色は硬い表情を崩さない。目の前で繰り広げられた戦いは、到底組織だったものではなく、突発的で生々しいものだった。相手の出方を見ているうちに戦況は悪化し、待機していた部隊だけでは対処することができなかった。真紀がアビーと行動していたのは、本当に僥倖だった。


「そういうことは、もっと事前に教えてくださいよ」

 夏希の声は落ち着いていた。いつもと何も変わらない。それがかえって冷たくも聞こえる。

「昨日の今日だからな、すまない。俺の読みが甘かったよ。鳥飼が怪しいとは思っていたが、まさかこのタイミングで宣戦布告してくるとは」


「それで、この先はどうするんです?」

 呆れた、とでも言いたげな顔を向けた夏希が問いかける。

「潰し合いは避けたいが、どうだろうな。鳥飼のように、こちらに潜伏している工作員がいないとも限らない」

 今日、『ニュー』の部隊は明らかにこちらの手の内を把握していた。鳥飼を捕縛したことも、その護送ルートも知っていた。五十嵐たちもつけられていたはずだ。


「やっぱり、そうですよね」

 装甲車の中で、奥寺と一色には、『ヴォーウェル』と自衛隊の関係、自分の立場を含め、思う限りの事情を話していた。半分は鳥飼の言っていたという勢力図の通りなのだが、そうでない側面もある。ある意味中立的立場の見解を語ったのだが、したり顔で頷く奥寺の隣で、一色は戸惑っていた。


 戦争、そのふた文字は、恵庭の中でも実感があるわけではない。むしろ、一色の反応の方が自然だとも思える。会長から全権を委譲され、今次作戦の指揮を執った恵庭にしても、自分の判断が正しかったのかどうなのか、わからない部分が多かった。

「それから、わかってると思いますけど」

「何がだ?」

「真紀はきっと怒ってますよ」

「……ああ」


 宇佐美や芹沢に連絡を取り、〈オリハルコン〉の秘密を話してもらったのも、全ては恵庭の筋書きだった。自分さえも知らないその秘密、それを芹沢が知っていたことに今更驚くこともない。自衛隊の情報統制は、『ヴォーウェル』とは比べ物にならないほど強固で絶対だ。本来であれば自分は考えることなど許されず、知ることなどもってのほかだ。


 マインド・リアクターの回線を介して恵庭がそれを知ることを芹沢が許容したのも、ただ自衛隊と『ヴォーウェル』の利害が一致しただけだ。この街を守るため、そして世界の均衡を保つために。神奈川県には、鳥飼が『ニュー』の構成員だとわかった段階で、自衛隊に治安出動を要請するよう官邸を通じて手を回していた。これだけ迅速に部隊を動かすことができたのも、自身の立てたバックアッププランに因るものだ。それだけを考えれば、被害を最小限に留めることができたとも言える。けれど、そんな組織の論理に巻き込まれ、五十嵐が飲んだ苦渋はどれほどであっただろう。


 芹沢が話していたのを又聞きしていただけでも、彼女一人に背負わせてよいものではない。けれど、しかし、それでも——。

 ジャリっと校庭の砂が鳴り、一人煩悶していた恵庭は、その音に振り向いた。サングラスに朝日を反射させた宇佐美が、「恵庭、ちょっといいか」と声をかけてきた。


「二人に生徒会室で待機するように伝えてくれ。君も一緒だ。五十嵐を連れて、私も向かう」

 宇佐美はそう告げると、校長と教頭を引き連れて校舎に戻っていった。その背中の向こう側に、装甲車とジープがゆっくりと校内に進入してくるのが見えた。防御陣地を張っていた第一小隊が戻ってきたようだ。

「生徒会室に行こう」


 墜落したヘリを避けるように、北側のフェンスに沿って止まる車両を横目に、恵庭は奥寺と一色に声をかけた。

 校舎は誰の気配も感じさせなかった。生徒はまだ誰も登校しておらず、教師はそのほとんどが会議室に籠っているはずだ。いつもは陽気な一色も、この時ばかりは殊勝にうつむいたまま歩いていた。奥寺は普段と変わった様子はないが、背中に漂う赤茶けたオーラは、奥寺の憔悴を物語っていた。鳥飼との一戦でかなり体力を消耗しているのだろう。加えて今朝の攻防だ。普通の女子高生なら、とっくに泣き出すか逃げ出している。


 生徒会室の扉を開き、ひとまず二人を座らせる。コーヒーでも入れようと電気ポットに水を入れていると、宇佐美が五十嵐と芹沢を連れて入ってきた。

「芹沢先生、あとはよろしくお願いします。私はこれから職員会議がありますので」

 芹沢が敬礼を返す。宇佐美が部屋を出ていくと、視線が恵庭に集まる。窓際の壁に寄りかかり、ひとつ息を吐くと、恵庭は芹沢を座るように促し、自分も会長席に腰をかけた。


「まずは、無事にここに戻ってくれたことに感謝する。大変な状況だったが、みんなよく頑張ってくれた」

「私とアリスはちょっと聞いたけど、真紀もいるし、ちゃんと話した方が良くないですか?」

 真っ先に口を開いた奥寺が、詰問を差し向けた。


「そうだな。鳥飼が夢の中で語っていたという『ニュー』という組織とその思想、それは概ね我々が把握しているものと相違ない。『ニュー』は、マジック・ファンダメンタリズムを掲げるテロ組織、ということになっているが、魔法族の権義に忠実にあろうとする姿勢は、一定の支持を得ているのも事実だ。我々が穏健派とすれば、向こうは過激派。ただ、ここまで武力に訴えてきたのは、今回が——」


「先輩、そこじゃなくて、先輩のことです」

「……そうか」

 奥寺に促され、恵庭は無意識にこの話題を避けている自分に気づいた。いや、そうではないと思い直す。こんな話は、正直最後まで話したくはなかった。平和であれば、話す機会もその必要もなかったのだ。そう言う意味では、鳥飼という魔物の出現は、エアリアスが言っていたように泉の水を溢れさせ、恵庭の想像もしていなかった場所へと流れ、氾濫し、災厄をもたらしている。


「この高校に自衛隊の部隊が駐屯していることは、すでに宇佐美先生から聞かされているだろうけど、……私は、三佐の階級を持つ佐官で、駐屯している中隊の隊長だ。『ヴォーウェル』としての任務と合わせ、私には、この学校だけでなく、この街を災厄から守る使命がある」


 三佐で中隊長、陸上自衛隊としては適当な職掌ではあるが、実質的な指揮は柿沢一尉に任せている。さすがに高校生が部隊の最前線に立つわけにはいかない。少年兵を徴募することを禁止する国際法も存在するのだ。自分の立場は、公式にはあくまでも非営利団体である『ヴォーウェル』の生徒代表代理だ。


 それでも、と思う。今、迷彩服に身を包み、底の厚いブーツを履いてここにいることから逃げるわけにはいかない。恵庭はただじっと五十嵐たちの目を見ていた。軽装甲車の中で話をし、そして実際にヘリの追撃を受けた奥寺と一色はまだしも、事情もわからず屋上に連れられ、都合のいい言葉で力の行使を強要された五十嵐の怒りと悲しみは、緋色となって五十嵐の周りを取り巻いていた。鮮烈な色合いが、使命という言葉にピクリと反応した。


「今次作戦を立案したのは私だ。結果に対する責任は、すべて私にある。鳥飼を捕縛するところまでは計画通り進んでいたが、相手の反撃がこれほど電撃的なものになるとは想定していなかった。対応が後手に回ったことで、君たちには大きな負担をかけてしまった。申し訳ない」


 恵庭は椅子から立ち上がり、三人に向かって頭を下げた。部屋には寒々とした空気が漂い、戸惑いと困惑が混濁したまま浮遊していた。自分の言葉が、空虚な響きを伴っていることに気づいても、どうすることもできなかった。

「状況が動き出した今、相手の反撃がいつ、どのようにあるのかもわからない」

 そうして言い訳めいたことを言ってしまい、不穏な空気がその密度を増していく。

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