第17話
「恵庭先輩だって言ってたでしょ。それがいいんだって。そっちの眠り姫を起こして、学校に行こう。恵庭先輩にも連絡してあるから、そろそろ来る頃だろうし」
夏希が話題を変える。現実に引き戻された真紀は、気になっていたことを口にした。
「鳥飼先輩の言ってたことって、本当なの?」
「戦争の話? どうだろう。私も詳しい話は聞いたことないけど、危険な思想を持った過激派って感じの組織なら、知ってる」
「魔法の世界にも、そういうのがあるんだ」
「マジックファンダメンタリズム。魔法根本主義っていうんだけど。組織の名前は、『ニュー』。十三を表すギリシア語みたい」
「なんとか原理主義、みたいなやつってこと?」
「そうそう。色々あるらしいけど、表立った活動はしてないとも聞いたことがある。今回のことも表には出ないだろうから、そういう意味では、これまでも色々あったのかもね」
夏希の声は事実を淡々と伝えるのみで、冷たい。その渦中にいたことなど微塵も感じさせない。静かに寝息を立てる美鈴の上に落ちた言葉を、真紀は呆然と見つめた。
マンションの外にいた恵庭に美鈴を預け、真紀たちは一旦家路についた。朝日が昇ったばかりの街は静かだった。幹線道路を走る車はまばらで、車のエンジン音よりもカラスの鳴き声の方がより空気を揺らしていた。夢の中の出来事が真紀の頭を波のように寄せては返す。
「先輩、どうなっちゃうのかな」
隣を歩くアリスが、足元を見つめたままぽつりと呟いた。消え入りそうな声だった。
「ひとまず勾留、かな。向こうに引き渡すにしても、交渉のカードにできるかどうか……。その辺りの判断が下るころには、夏が終わってるかもね」
「人と違うことを認めろって恵庭先輩は言ってたけど……」真紀は、先週、恵庭が入学式で言ったセリフを思い出していた。けれどそれは、美鈴の言うことをそのまま受け入れろという意味ではないはずだ。何が間違っているのか、渦巻く違和感の正体に気づいているのにも関わらず、真紀はそれ以上のことが言えなかった。言う資格もない。
「戦争、あの人はそう言ってた。異なる主義がぶつかって、争って、その先に何があるのかなんて、わからないはずがないのに……」夏希も考えていることは似たようなもののようだ。その言葉には現実味があって、それがどうしようもないほどの憂いを伴っていた。
「悲しいよ」アリスが本当に悲しそうに言う。
「悲しいけど、だからって負けていいってことでもない。悲しさから目を背けて、絶望を受け入れるのは嫌だもん」
「それが、負けるってことなの?」夏希の横顔に、真紀は問いかけた。
「負けたら、これまで通りの生活はできないよ。魔法に支配される世界で、誰が真っ先に潰されるか、わかるでしょ」夏希が真紀の目を見て言う。
真紀は、それに答えることができなかった。沈黙が足音を際立たせる。アスファルトに転がる小石が跳ね、それに応えるように、夏希が再び口を開いた。
「絶望と希望を天秤にかけて、戦うことを選択するしかない状況を作り出す。それが正義、それが戦争、それが人間」
夏希の声は一層冷たく、真紀はその冷気で肌が焼けるのを感じた。ただ巻き込まれた、それだけでは済まされない何かが真紀の胸を締め付ける。戦争、その二文字が頭から離れない。美鈴の迷いのない目、夏希の冷たい声。それはどちらも、戦うことへの覚悟なのかもしれない。
「戦うことになって、勝てるの?」アリスが夏希の顔を覗き込む。青い瞳が朝日を受けて鈍く光る。それこそが、アリスの不安の根源なのかもしれない。
「それはわからないよ。向こうの戦力もわからないし。さっき真紀には話したけど、情報が少なすぎるんだ。今回みたいに迂遠な方法でくるのか、直接攻撃してくるのか、もっと狡猾な手段に出るのか」
「テロとか、そういうことも可能性があるってことだよね」
「うん。だから、しばらくは慌ただしくなるかも」
そうして話しているうちに、駅に着いた。六時になろうとしている時間を認め、真紀はため息を漏らした。
改札を入ったところで、夏希と別れた。夏希は横浜方面、真紀とアリスは海老名方面のホームに向かう。人がまばらに立つホームを縫って停車位置の表示の前に立ち、正面を向く。向かいのホームで、夏希が小さく手を振る。それに二人で応えながら、アリスが口を開いた。
「私、怖い」
「うん。戦争、なんだもんね」
向こう側のホームで手を振る夏希がカバンからスマートフォンを取り出すのが見え、アリスと真紀も手を降ろした。ホームにアナウンスが流れる。まもなく列車が到着する、と抑揚のない声が告げた。
自分の口から出た『戦争』という言葉に戦慄を覚えた。海外のニュースか歴史の授業でしか触れる機会のない、残酷で非情な言葉が、真紀の胸の中を占領していた。
「生徒に敵が紛れ込んでたってことでしょ? 学校、大丈夫なのかな」アリスが眉をひそめ、唇を尖らせる。
「わかんない。でも、魔法が使えるって一括りに考えてちゃだめなんだね」
「せっかくこの学校に入ったのに、余計に危ないのかも」
「そうかも、しれないね」
考えれば考えるほど、何が正しいのかわからなくなる。アリスに曖昧な笑顔を向けることしかできない。自分の言葉が白々しい空気をはらみ、ぐっと唇を噛みしめる。どうしてこうなってしまったのか、入学式から今日までのことに思いを巡らせている途中で、不意に、体が前につんのめった。
一瞬のことで何が起こったのかわからなくなる。次の瞬間には、真紀の体がホームの縁から溢れた。視界が揺れる。景色の端に、迫り来る列車が見えた。スローモーションの映像を見ているように、全てがゆっくりと感じた。傾く体、目の前の線路、近づく車両、アリスの声——。
「アビー!」
視界の隅を影がよぎったと思った時には、下に向かって落ちていた体がぐわりと持ち上がった。足元を通り過ぎるけたたましい警笛をやり過ごし、アビーに咥えられた体を捻る。大きい目がちらりとこちらを捉えたが、ひとつ瞬きをすると、アビーは大きく翼をはためかせ、体の向きを変えた。
旋回しながらゆっくりと上昇を続けるアビーの背中越しに、視線を降ろす。車くらいの大きさになった駅から爆発の煙が上がったのは、その時だった。
「アビー、降ろして。降ろしてってば」
最初の爆発の後、立て続けに二回、爆炎が上がり、煙が駅を疎らに塞いだ。体を捻り、アビーの口元を叩いても、アビーは旋回したまま、逆に高度を上げていく。
「夏希ちゃんとアリスちゃんが……!」
肩や下腹部に当たるアビーの歯が、体を揺らすたびに食い込む。構わずあがいていると、アビーが喉を鳴らす音がした。
「お願いだから」
真紀が懇願する。困ったような目を真紀に向けたアビーが、急に首を横に振った。
脳を揺さぶる衝撃に悲鳴を上げた真紀の頭上を、耳をつんざくような轟音を従えた影が横切る。太陽の光を反射しながら翻る戦闘機のシルエットが視界の端を掠めたかと思うと、機首をこちらに向けた機体がみるみる近づいてくる。
アビーが上空を跳躍する。斜め上に飛びのいたアビーを追って、機銃の閃光が空を走った。撃たれている、と遅ればせながら理解した頭が沸騰する。戦闘機は距離を取ったまま一度通り過ぎ、またその機首をぐるりと返し、こちらに直進するコースをとる。
「どうして攻撃されてるの!?」
アビーに訴えても答えてくれるとも思えなかったが、話していないと気を失いそうだった。アビーは向かってくる機体を視界に捉えながらも、ぎりぎりまで引き付けるつもりなのか、スピードを上げようとしない。
機銃がまた火を噴く。寸前で身をかわしたアビーが降下し、機体をやり過ごす。バリバリと空気の弾ける音とともにエンジン音が遠ざかる。接近と旋回を交互に繰り返し、そうして少しずつこちらの動きを牽制し、掌握しようとしているのかもしれない。
アビーも火を吐いて応戦するなり逃げるなりできるのだろうが、自分を咥えていればそれも無理な話だ。ここでも、自分は足手まといだ。どうすればいいの、と胸の中で叫び声をあげた。
(大丈夫か!)
唐突に、頭に声が響く。ひどく懐かしい声音に、真紀は思わず涙が出そうになる。
「大丈夫なわけないじゃないですか!」
頭の中の恵庭に、大声で答える。美鈴を預けたのがまだ数十分前とはとても思えない。事態の変容に、全くついていけなかった。
(悪い。詳しいことはまた後だ。相手は一機か?)
「たぶん、そうだと思います」
そうであってほしい、という願望が真紀にそう言わせた。
(市街地上空でF-35を飛ばすなんて、いい度胸している)
「感心してる場合じゃないですよ」
恵庭と話しながらも、真紀はアビーの顔の動きに合わせて、戦闘機の姿をその目に捉えていた。まっすぐに頭を向けた機体がみるみる近づいて来る。思わず真紀は目を瞑った。
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