第9話

 案の定、校長室では〈タルタロス〉を使った一連の行動に対する非難を浴びせられた。教師陣からは怒りよりも呆れが透けて見え、経緯の報告と破損した窓ガラスの費用負担は『ヴォーウェル』がすることを約束させられた。

「業者への発注はこちらでやっておきますが、もう二度とこのようなことがないように」


 教頭の最後の言葉は、まるで業務指示のように、空疎な気配が漂った。それでも、説教自体は気持ちのいいものではない。形式的であっても早く終わるならその方がいい。

「失礼しました」


 頭を下げて、ドアを閉める。廊下から声が聞こえ、そちらに顔を向けると、教師たちが並んで歩いてくるところだった。校長室の隣の職員室にぞろぞろと入っていく。こちらをちらりと見ながら、それでも表情を変えずに姿を消していく様に軽く頭を下げ、恵庭は校庭を覗いた。


 〈タルタロス〉が降り立った場所はすでに整地されていた。先ほどの教師たちが直したのだろう。倒れていたサッカーゴールも元に戻っていた。これができるのならば窓ガラスくらい直してくれてもいいのだが、そこは教育的指導、ということなのかもしれない。割れたガラスこそすでに清掃されて片付いていたが、吹きさらしになった廊下はやけに寒々として、自らの所業を痛感せずにはいられなかった。


 とはいえ、物理的な遮蔽物がなくても、雨風をしのぐのは容易い。教師陣の対応が淡々としていたのも、校舎を取り囲むように別の結界を張ることで対処可能だからだ。教頭が抱えていた書類の中に、運動部に対して物理的結界魔法の展開要請があった。明日練習の予定がある野球部やサッカー部の部員たちが応急処置をしてくれるだろう。


 校庭から目を離し、廊下を進む。すっかり時間を取られてしまった。階段を降りながら、今日の予定を再考する。図書室に行く気分ではなくなっていた。『ヴォーウェル』への報告だけして、学校へ提出する報告書は月曜日の午後にやってしまえばいい。


 一階に降りたところで、時計が目に入った。もう十二時を過ぎていた。その途端空腹が意識され、腹の虫が鳴り始める。駅前のラーメン屋に寄って帰ろう、そう思い廊下に目を向けると、生徒会室の前に見知った顔を見つけた。今まさにノックをしようと片手をドアに近づけるその横顔に、恵庭は声をかけた。


「柿崎一尉」

 紫紺色の制服に階級章をつけ、姿勢よく立つ佇まいは、まさに自衛官といった趣に溢れていた。袖章の細いラインが袖口に映える。幹部制服に身を包んでもなお、柔和な顔つきがそれを穏やかな雰囲気に変えていた。


 魔法が世間に公表されていないとはいえ、国家としてその暴走を許すわけにはいかず、『ヴォーウェル』が発足する以前から、魔法の世界には日本政府の介入があった。深く理解しているわけではないが、戦前、旧陸軍の実験施設があったというこの場所に高校ができ、そこで『ヴォーウェル』が産声を上げたのも、ただの偶然でないことは察していた。


 そういう事情で、この高校には自衛隊の部隊が常駐している。万が一にも『ヴォーウェル』や学校を狙ったテロが起こらないように牽制する意味合いが大きいが、実際の武力衝突を想定し、学校を巻き込んだ訓練も適宜行われている。柿崎は尉官として普通科第一小隊の小隊長を務める傍、自衛隊と『ヴォーウェル』を繋ぐ役目も果たしてくれている。


 柿崎は、恵庭に呼ばれるや否や、その表情を引き締め、敬礼をした。

「お疲れ様です。三佐」

 恵庭も敬礼を返す。「三佐はよしてください」そして、自分は『ヴォーウェル』所属でありながら自衛隊特務三等陸佐という曖昧な身分を拝命し、二足の草鞋を履いている。


 ドアを開け、生徒会室に招く。ソファーに座るよう促したのだが、「自分はここで」と固辞されてしまった。仕方なく、恵庭はひとり会長席に座る。

「昼間にこちらに来るのは珍しいですね。何かトラブルでも?」


 恵庭は努めて穏やかな声で問いかける。とはいえ、柿崎が自分を訪ねてくるのは、『ヴォーウェル』にとって何か問題が発生した時だ。いいことであるはずがなく、恵庭は内心身構えた。

「はい。システムに、外部からの不正アクセスがありました」

「サーバーのプロテクトは?」


「正常に機能しています。一から五までの階層のうち、三階層目まで破られましたが、情報の流出はありません」

「わかりました。相手の情報は何かありますか?」

 恵庭は儀礼的に問いかけた。

「いえ。追跡はしていますが、幾つものサーバーを経由しているようで、特定にはまだ時間がかかるかと……」


「そうですか。最近多いですね」

 柿崎がこうしてやってくる案件のうち、サイバー攻撃の頻度は最近高くなっている気がした。

「ええ。情報部の報告では、今年に入ってすでに十回を超えているとのことです。過去に第四階層まで破られたことはありませんが、プロテクトコードの高度化を進めています」


「面倒をかけます」

「いえ。仕事ですから」

「サイバーテロを仕掛けてくるとは、予想外でした」


 具体的な相手がわからなくても、候補になるような団体はある。魔法に敵対心を持つ保守的な集団もいるし、同じ魔法世界にありながら『ヴォーウェル』とは相容れない考え方を持ったグループもある。そういった組織から『ヴォーウェル』を守るための自衛隊でもあるのだが、世界は、軍事力では対峙できない敵を作りだそうとしているようだ。


「そうですね。しかし、一番順当なやり方かもしれません。情報の前に、武器や弾薬は無力です。現代の戦争は情報戦ですから」

「それでも、負けるわけにはいきません」

 情報の流出が招く混乱は、単にミサイルを撃ち込まれることとは比べものにならない。学校の敷地を囲むように常時張り巡らされている結界の制御さえコンピューターに頼っている現状では、ネットワークを掌握される事態だけは避けなければいけない。


「ええ。そのための我々ですから。対策は進めています。特にプロテクトコードの高度化と並行して相手のIPアドレスを自動追跡するプログラムの精度を高める予定です」

「こういう対策はイタチごっこになりがちですから、唯が外れないうちに、抜本的な対応策を検討する必要がありそうですね」


「東部方面総監部でも、常時とは言えませんが、敵対勢力に対する偵察は行なっていると聞いています。公安も動いているという噂もありますし」

「公安の方は、こちらの動きも込みでしょうが……。『ヴォーウェル』でも、上層部は何か動いているようです。今日の動きもその一環だという話もあります」

「腹の探り合い、といったところでしょうか?」


 柿崎が思案顔になる。思うところもあるのだろうが、こちらをじっと見る様子に、何か意見を求められているのだと察する。

「だと思います。私も、全容の把握には至っていませんから、予断を許しません。だからこそ、備えは必要ですね」


「はい。部隊にも警戒を厳とするように伝えます。司令には、どうしますか」

 司令、という言葉に、恵庭は内心暗澹となる。『ヴォーウェル』の守備を任されている基地司令の内海陸将補は、正直苦手だった。何を考えているのかさっぱりわからず、恵庭はできる限り接触を避けていた。


「内海司令、ですか。いえ、上から連絡を入れさせます。上には上の都合もあるでしょうし」そうしてごまかし、恵庭は咳払いをした。

「わかりました。それでは」

 柿崎は穏やかな笑顔を浮かべ、生徒会室を出ていった。


 恵庭は、机の上に放置していたタブレット端末を拾い上げた。『ヴォーウェル』のサーバーへ接続し、柿崎の言っていた外部からの侵入履歴を探る。確かに、ここ最近は不正アクセスの頻度が上がっているようだ。

 情報戦、と柿崎は言っていた。考えなければいけないことがまた増えてしまった。新学期が始まったそばからこれでは、先が思いやられる。さっきまで感じていた空腹感はすでになく、恵庭はバッグを掴み、立ち上がった。

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