第7話

「それで私たちを呼んだんですか?」

 夏希が詰問の声を上げた。穏やかだった雰囲気に若干の棘が混ざっていた。恵庭はそれには気づかない振りをした。

「ああ。能力者にももちろん個性があるんだが、組織と親和性が高い人物は、統計的に名字が母音で始まることが多い。実際には系統的なつながり、ということになるけど」


「母音ってヴォーウェルっていうの?」

 五十嵐が一色と奥寺に顔を向けた。一色は首を斜めに傾けたが、同時に奥寺が頷く。神妙な顔つきで一色と視線を絡めた奥寺が、こちらを向くなり挑戦的な目つきをする。

「合格した、ってことですか?」


 主語を欠いたその言い方が、かえって真実を浮き彫りにする。話し方ひとつで印象は随分と変わるものだ、と恵庭は場違いにも感心してしまう。

「気づいていたのか」

「当たり前です。私のマインド・リアクターは標的の意識に介入するんですから。しかも、さっきは〈オリハルコン〉もあった」


 言葉は冷たくもあったが、背後の色は緑からオレンジ色に遷移していく。この場合は、得意げな気持ちが現れたのだろう

「そうか……。全てお見通しか」

 やれやれ、と恵庭は息を吐く。この三人は、確かに異例を受け入れるだけのものを持ち合わせている、ということか。五十嵐が〈オリハルコン〉を渡されたのも、異能を持たない五十嵐に能力を補うためだけではなかったのかもしれない。奥寺はそれ以上何も言わず、残された五十嵐と一色は一層戸惑いの色を強くしていた。


「ねえ、何がどうなってるの?」五十嵐が一色の腕を小突く。

「私もよくわかんないけど、多分、さっきのあれ、恵庭先輩がやったんじゃないかな」

 一色がちらりとこちらを見た。遅れて五十嵐も不安げに恵庭を見上げた。頃合いだろう、と恵庭は再びホワイトボードに向かった。『Vowel』と綴った下に、『厚生労働省』と『日本特能研究開発機構』と書き込んだ。ペンのキャップを閉じる音が思いの外大きく鳴る。


 三人の会話を聞きながら、どこから話すべきか考えていたが、結局のところ、『ヴォーウェル』の置かれた立場を説明するしかない。多少遠回りでも、その方がいいだろう、と恵庭は三人に再び向き直った。


「組織といっても、独立しているわけじゃないし、孤立もしていない。『ヴォーウェル』は厚生労働省が所管する、この『日本特能研究開発機構』、いわゆる独立行政法人に所属しているんだ。『特能』っていうのは、『特殊能力強化新人類』略しに略して、何のことやらって感じだけど。とりあえず覚えておいて」


「その組織と、私たちがどう関係するんですか?」五十嵐が小さく指を差して言う。「夏希ちゃんの言ってた、合格って一体……」

「この学校が、能力者ばかりの学校だっていうのはみんな知っての通りだ。全国にはここ以外に十校程度あるんだけど、ヴォーウェルと直に繋がっているのはここだけだ。だからこの学校には全国から強力な能力者が集まってくる。そこから組織の構成員を発掘するのも大切な仕事なんだ。入学式の前、魔法を使いたくて仕方がないという雰囲気を全校に拡散させて、君たちの動きを見させてもらった」


 正確には学校からの指示に従っただけだが、その裏には当然『ヴォーウェル』の意思がある。自分より先に学校へ連絡が入ったのは、残念ながら学校内の指示命令系統との折り合いがあるからで、それはいつものことだ。

 頭を掠める規則やしがらみを無理やり脇に追いやり、恵庭は努めて自然に話を続ける。


「その後のことは、君たちの方が詳しいな。さしあたって君たちに最終選考を受けてもらうことになった。〈タルタロス〉を使ったのは俺だ。不意打ちをして、出方を見ることにした」

「あれはやりすぎですよ」

 すかさず奥寺の非難が差し込まれる。こちらの真意を推し量るように、その目は自分を捉えて離さない。油断すればペースを握られてしまいそうだ。恵庭は咳払いをし、「すまない」と頭を下げた。


「予告しては意味がないし、難しいんだ。それにしても、奥寺夏希、君は俺以上に精神感応に長けている。〈タルタロス〉の制御権を奪取されるとは思っていなかった。そして一色アリス、君はあの〈ガルディス〉種をいとも簡単に駆り、形態変化まで起こさせるほどの強力なドラゴン使いだ。最後に五十嵐真紀——」

 それは率直な感想だった。一人ずつ、目を見ながら総評を述べる。奥寺は当然とばかりに表情を変えず、一色はさっきまでの不安はどこへ言ったのか、笑みを浮かべ照れている。どちらも素直な反応なのだろう。五十嵐は、まだ不安そうな顔をしている。それも当然だろう、と思う。


「いい目をしている。素早い状況把握が困難を突破する起爆剤になることもある。隠し球を放り投げる勇気も。能力はなくても、それなら……」

 その瞬間、五十嵐の目が見開かれ、自分の言葉の意味に気づいた恵庭は「ヤベ……」と声を漏らした。空気が真冬のように冷たくなるのを感じた。


「え、真紀ちゃんって一般人なの?」とアリスが大声を張り上げた。五十嵐に睨みつけられ、恵庭は慌てて取り繕う。

「いや、それはあれだ、言葉の綾ちゃんというもので」

 自分でも何を言っているのかわからなかった。綾ちゃんって誰だよ、と突っ込みたくなる。

「注意しろって言ってた人がこれじゃあ、どうしようもない」


 夏希が呆れたとばかりに腕を組んだ。その言葉は、五十嵐の自己紹介の時に彼女へ伝えた内容だった。

「夏希ちゃんも知ってたの?」

 さすがに五十嵐もそれに気づいたようで、奥寺に詰め寄る素ぶりを見せる。

「周りで能力を使っているとそれを選択的に傍受することもできるの。普段閉ざされている思惟が、誰かとつながることで隙が生まれる、みたいな。こんなことできるのは、私くらいだろうけど」


 一口にマインド・リアクターといっても、自己の精神を他者とつなぎ合わせる方法や方向は人それぞれだ。奥寺の場合、その指向性と精度がずば抜けている。特定の相手に語りかけるのがせいぜいの自分とはレベルが違う。

「お前、本当にすごいんだな」

「それで、真紀ちゃんは本当に普通の人なの?」


 話題の中心が逸れて油断していた恵庭だったが、一色が話を蒸し返した。余計なことを、と思いながら、一色の目に真剣な色が宿るのを恵庭は見た。特殊な能力を持つものと、持たないもの。この二者の間には、筆舌に尽くし難い隔たりがある。事前にある程度察していた奥寺と違い、〈タルタロス〉と共闘した相手が一般人だと知った一色の戸惑いは、色の変化を見なくても想像がついた。


 今の日本社会では、持たないものが多数派で、魔術など特殊な能力を操れる人間は稀な存在だ。中世の魔女狩りがいい例で、異端のものは排斥され、その存在そのものが表舞台から消し去られてしまう。宗教的観念の違いから日本では近代になってもある程度の権利が認められていたが、急速な西洋化を経て、魔法に目を向けるものはいなくなった。


 そして訪れたのが、無関心と無慈悲の世界だった。存在は認めず、けれど能力への関心は高い。それが政府主導の研究機関設立の背景でもある。

 環境が変わらない限り、自分たちの役割を変えることはできない。そしてこちらから働きかけない限り、環境は変わらない。そういう意味では、『ヴォーウェル』の選択は間違ってはいない。それを伝えるのも自分の役目だ。じっとこちらを見る五十嵐の目を見返す。小さく頷く様子に、五十嵐自身も覚悟を決めたようだ。


「五十嵐は、普通の女の子だ。俺も、今朝校長から聞かされた。でもな一色、普通であることこそ、俺たちが変われるチャンスなんだ」

 一色の張り詰めた視線が恵庭に刺さる。一瞬の交錯のあと、一色はすぐにそれを逸らせた。

「普通であるかそうでないか、それを決めているのは、結局は世間かもしれない。それは多数派と言い換えることもできる。世界の人口のうち、僕たちのような存在は一万分の一程度だ。世界と渡り合うためには、その普通を正しく理解する必要がある。それがひいては五十嵐が俺たちを理解することにもなる」


 恵庭は一息にまくし立てた。持つものと持たざるものが融和することこそ、これからの『ヴォーウェル』を示すものだと信じたかった。

「真紀は真紀だからね」

 それまで黙っていた奥寺が不意に口を開いた。


「他人の精神を覗き見する私が言えることじゃないけど、人の気持ちはどんな能力よりも強力な武器になると思う。それが真紀にはある。そう思ったから、私はさっきも、真紀を信じてた。目に見えるものが全てではないから」

 先ほどまでとは違い、奥寺の声は穏やかだった。それはまるで母のように温かく心を照らす光のように思えた。彼女自身の考えなのか、それとも恵庭の思考を読んで合わせたのかはわからなかったが、それでも助かったと思った。


「夏希ちゃん……」

 五十嵐の緊張した表情が和らぐのがわかる。この三人を『ヴォーウェル』に招く。それが達成されるかどうかは、ひとえにこの五十嵐の気持ちにかかっている。自分もまだ学校や『ヴォーウェル』本体から詳しい話を聞いていないが、それが今日この場所に三人を呼んだ意味のはずだ。


「それぞれ思うこともあるだろう。今すぐに結論を出せとは言わない。ただ、僕らは君たちを必要としている。『ヴォーウェル』として、君たちを歓迎するつもりだ」

 恵庭には、それ以外の言葉は浮かばなかった。神妙な顔つきの三人は、互いに目を合わせる。静かな空気が、生徒会室に冷たい気配を充満させる。三人の背後のオーラが混ざり合い、複雑に色が変化していった。

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