第51話.人間憎悪その5


 人の胎を占領する事でこの世に生を受ける我らゴブリンという種族。

 その特性上、他種族の雌を攫っては孕ませるという行為が日々の生活の中で不可欠であるが故に嫌われる我が種族。


 ゴブリンの巣穴から帰ってきた女など腫れ物の代名詞であり、大半の女性はそのまま自死するか教会へと籠るのが普通らしい。

 人の身でありながら、人を害する魔物を産み落とす……それは人間の女にとっては耐え難き苦痛でしかないと、そういう事の様だ。


 そんな繁殖の為に女を攫う我らゴブリンと、我らから大切な人を守ろうとする人間との争いが数千年続き、この先数千年も続くだろう歴史の中で稀有な事例が一つだけあった。

 大半が望まれない生を受け、仲間からも尊重されず、人からは見つけ次第に討伐され、他の魔族から雑兵として扱われるゴブリンを愛した女性が居たのだ。


 その女性は貧しい農村で共同体維持の為に決まった相手と結婚した何処にでもいる妙齢の女性だった。

 ただ一つだけ違う点を挙げるのであれば、その女性と夫の間には子どもは全く生まれず、村の至る所で『奴の胎には岩が入っている』と陰口を叩かれている事だろうか。


 将来の夢は王子様のお嫁さん……でも歳をとるごとに現実を見て、自分の子どもを腕に抱く事がささやかな、貧しい農村での見れる精一杯の夢とした女性だった。


 そんな女性にとって、今の自分の現状と故郷の有り様は酷く耐え難いものだった。


 何度もかつての夫にまた自分を抱くように懇願し、それでも産まれず、やはりアイツはダメだと村での居場所を無くしていく悪循環……女性は自殺すら考えたらしい。


 そうして女性がいつもの様に下を向いて歩いていた時、村を我の同族であるゴブリンが襲ったのだ。


 何も珍しい話ではない。

 この様に傭兵を雇う事も出来ず、巡回の兵士すら来ない様な貧しい農村が、我らゴブリンの様な弱小種族にとってちょうどい略奪対象だったというだけの話だ。


 だが弱小種族といっても魔族は魔族……ろくに食事のとれない貧しい農村が、貧弱な人間共が束になって勝てる相手ではなかった。……それだけだ。


 そうして他の村の女と一緒に巣穴へと連れ帰られた女性を待っていたのは語るまでもなく、激しい陵辱の限りだ。

 最初は拒絶し、助けを呼ぶ元気のあった人間達も三匹目からは瞳から光を失くし、言葉を発さなくなる人間達にとっての地獄。


 そんな地獄の様な日々が二週間くらい続いたある日の事だ──産まれたのだ、女性に、子どもが。


 あれだけ望んだ我が子がついに産まれ、自分の腕の中でスヤスヤと寝ている。


 あぁ、なんと愛おしいのだろうか?


 長く尖った爪も、額から伸びる小さなツノも、他とは少し薄めの緑色の肌も、長い耳も、その耳まで裂けた大きな口も全てが愛おしい。


 女性は涙を流した……ゴブリンに陵辱されて悲しかったからではない。

 こんな自分でも自身の子を抱けるという至上の喜びに浸って泣いたのだ。


 同じ村出身の女達へと嬉しそうに我が子を見せびらかす女性を見て、同郷の者たちの精神は限界だったらしい。

 もうこんな異常な空間は耐えられないと舌を噛んで自殺した。


 それを見て女性はまた涙を流した。

 死んでしまった皆の為にも、この子を大事に育てると決意をして。


 そこから女性の常軌を逸した〝教育〟が始まった。


 産まれてから直ぐに魔物としての本能に目覚め、自身を産んだ母親となった女性すら犯し、食べてしまう我が子に対して女性は社会常識、言葉、簡単な算学、そして日々の生活の知恵を叩き込んでいった。


 自分に犯されながら特定の同族に愛おしそうに語り掛ける様子に他のゴブリンも、また産まれた時から魔性である為に女性が産んだゴブリン自身も不可解な想いを抱いた。


 何度も自分の母親と名乗る女性を犯し、殴り、突き飛ばしても女性の我が子への執着が無くなる事はなかった。


 それどころか次第に女性が産んだゴブリンは種族としてはじめて『無償の愛』というものを学んだのだ。


 ……学んで、しまったのだ。


 それから薄緑のゴブリンは母親の言う事をよく聞き、その言い付け通りに困っている同族を助けて回った。


 無論、他のゴブリンにとっては便利な奴としか思われていなかったが、何となく良い事をした気分になったから良いのだ。

 とにかくそのゴブリンは母親を慕い、次第にその母親が生まれ育った『人間社会』というものにも興味を持つ様になった。


 ゴブリンが食う、寝る、犯す、奪う以外の事に興味を持つなど、これまたゴブリン至上初の出来事だったのではなかろうか。


 そうとなれば早速行動だと、そのゴブリンは同族の目を盗んで巣穴から抜け出した……もちろん母親を連れて。

 突然の事に目を白黒させていた女性だったが、我が子が望むならと、街についたら案内をしてあげようと張り切った。


 しかし現実は非常である。


 街に近付き、人目が出てきた所で襲われたのだ。人間の兵士に。


 当然である。だってゴブリンが攫った人間の女性を連れ回している様にしか見えないのだから。


 母親と同じ見た目をした〝同族〟に襲われて困惑し、ただただ血を流して蹲るゴブリンの味方をする者など誰も──いや、一人だけ居た。


 彼の母親が身を呈してゴブリンを庇ったのだ、この子は自分の子だと。


 何度もそう主張しながら斬り捨てられた。


 魔性に堕ちた女だと、巣穴で起きた出来事によって錯乱してしまったのだと……そんな言葉があちこちから聞こえてくる。


 母親を目の前で殺されたゴブリンは逃げた。


 逃げながら憎悪を募らせた。


 無償の愛を識るが故に、またそれが奪われ裏切られた時の気持ちが増幅されてしまったのだ。


 もともとゴブリンという種族にとって嫉妬や憎悪という感情は相性が良い。


 彼は未来永劫、人に対する恨みを忘れはしないだろう。






 そんな数百年は過去の、自身の幼少期・・・・・・を見せられ、我は酷く困惑した……これが話に聞く走馬灯というやつなのかとも思った。

 けれど直ぐに違うと確信した……奴だ、あの大地の精霊が我に何かしているのだと、自身の身の内に宿るマレフィセント様の加護が囁いている。

 こんなものをわざわざ見せ付けて何がしたいのか、我の神経を逆撫でしたいのか。


『……ぅ、あ』


『死ね、死ね死ね……死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね​──』


 死ねない、我はまだ死ねない……人間社会へと復讐するその時まで​──だと、言うのに。

 今、首を斬られた我の目の前に広がる景色はなんであろうか。


『​──ぁ? 母上?』


 母だ、我の母が目の前に居る……あの日、同じ人間に斬り捨てられ死んだはずの……ボクのママが居る。

 あぁ待っててね、同胞であるハズのママを殺した人間社会を、半分は人間であるハズのボクを受容しなかった人間社会を破壊するから。

 その為に頑張って来たんだよ? 頑張って頑張って……数百年の時を掛けて最高位ハイエンドにまで進化したんだよ?

 ほら見て? ママから貰った身体を大事にしててね、今も健康的なんだよ?

 でもね、悲しい事に進化していく度に角がね、ママから貰った身体に異物が生えてきたんだ……それも四本も。

 嫌だよね、抉っても抉ってもまた生えて来るんだ。


『……』


 ねぇ、なんでそんなに悲しそうな顔をしているの? まだ斬られた所が痛むの? 大丈夫なの?

 あのねあのね、ボクはもうすっごく強いんだよ? あのオークやオーガさえもボクの言うことを聞くんだよ?

 ここまで強くなる為にね、いっぱいいっぱいがんばったんだよ?

 ままのむねんをはらすためにね、いっぱいいっぱいじぶんのたましいをぶっしつかさせたんだよ。

 そのせいでわすれたこともおおいけど……それでもままのことをわすれたことはいちどもないんだよ?

 だからね、つよくなったぼくがにんげんしゃかいにふくしゅうするからね、だからなかないで。


『……もう、いいのよ』


『あ、ぇ……なに、が?』


『一緒に暮らしましょう? 二人で、静かに……』


『ぁ、母さん……』


 溢れ出させた魂が肉体として定着せず、進化は失敗に終わる……それでもボロボロと朽ちていく身体を懸命に動かし、母の元へと必死に手を伸ばす。

 ボクの、オレの、私の、我の……ママ、母さん、母上、母……大事な大事な肉親。

 眷属でも何でもない、ただ世界で唯一我に愛情を注いでくれるヒト。

 そんなヒトが泣いている……親を泣かせる親不孝者にはなりたくはない。

 我はいつだって立派な息子でありたいのだ。


『母は、それでよろしいのですか?』


『えぇ、貴方が数百年も頑張っていたのを母は知っています』


『人間を、人間社会を恨んではいないのですか?』


『そんな事よりも母は息子と一緒に暮らしたいのです』


『そう、ですか……実は恥ずかしいのですが、私も……その、母に甘えたいのです』


『奇遇ですね、母は息子に甘えて貰いたいのです』


 肉体が崩れ落ち、欠けていた自身の魂が、記憶が、精神が戻ってくる……こんなにも世界が広く見えたのは何時ぶりであろうか。

 このところの私は酷く情緒不安定で、口調も定まらず、何かを破壊する事以外を何も考えていなかった気がする。

 その隙をついて邪心の精霊の加護が表に出て、私の身体を勝手に動かしていた時間の方が長かったのではないだろうか。

 私の意識が完全に表に出れるのは母から貰った自身の身体を傷付けられた時だけ……怒りと悲しみで邪心の加護を追いやった時だけだった。


『さぁ、一緒に逝きましょう? 邪心が覗き見る前に』


『えぇ、えぇ……私も共に、母と共に……』


 母へと伸ばした腕が崩れ落ちる……けれども肉の器から解放された魂の手で、しっかりと……母の手を握る。

 いつの間に自身の姿が脆弱で小さな、薄緑色の小鬼の姿になっていたが気にならない。

 目線の高さにある繋いだ手から上を見上げ、お互いに向き合った母と笑い合う。

 あぁ、なんと……なんと心地の良い時間であろうか。





『かん、しゃ……する……』


 最後に残った頭だけで感謝の言葉を口にして、それっきり私の現世の器は大地へと還る。

 あぁ大地の精霊よ、慈愛と忍耐の末子よ……お前は私ですら庇護する対象なのだな。

 どうか、どうか許して欲しい……私はお前を勘違いしていた。

 そしてありがとう……最期に私と母を会わせてくれて、本当にありがとう。


『いいえ、安らかに……父なる創造神と一緒にお眠りよ』


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