第46話.友の身と、心を救う為に


 ​──篠突く雨。


「……」


 日の光が薄らと空を染め始めた早朝の頃、窓から見える景色は全て土砂降りの雨に隠されていた。

 陰鬱な思いにさせるその光景が、何だか無性に僕の焦燥感を掻き乱して堪らない。

 あれから、ウィルクが二つの護衛班を率いて森に向かってから四日が経過している。

 それだけじゃない、森からゴブリンの大軍が村を目掛けて迫っているという報告まで上がって来た……それはつまり、ウィルクの生存が絶望的であり、敵はただのゴブリンだけではない可能性があるという事だった。


 ​──ぎりっ


 奥歯を強く噛み締める……こんな時でも僕に出来る事など何もなく、ただじっと待っているだけだというのが酷く気に入らない。

 一番辛いはずのロジーナは一人でも気丈に、淡々と子爵邸へと帰還する手配を進めているというのに、この差はなんだろうか?

 彼女が不安から一人で泣いている時も、僕はセシルと違って慰める事も出来やしない。

 セシルだって、自身の従兄弟が生死不明なんていう状況に置かれているのに……本当に強いと思う。


「……何処に行くんだ、相棒?」


「……五右衛門君」


 雨避けの為の外套を羽織り、僕達が寝泊まりしている屋敷……その裏口のドアノブへと手を掛けたところで背後から声を掛けられる。

 振り向けば、そこには呆れた様な顔をした五右衛門君と心配そうな顔をしたテラが居た。


「まーた一人で無茶をする気なのか? ん?」


「まだ今日の分の加護は丸々残ってる……この中で一番死ぬ可能性が低い僕がウィルクを助けに行った方が合理的、というやつだと思う」


 少しだけ後ろめたくて、親友から目を逸らしながら言い訳でしかない戯れ言を口走る。

 本当はどれが正しいのかとかどうでも良くて、ただ僕自身が友を助けたくて、魔族が許せなくて……ただそんな、個人的な感情に突き動かされているに過ぎないのにね。


「……ま、いいぜ! 行ってこいよ!」


『ご、五右衛門君?!』


 おそらく引き止められるんだろうと思っていたコチラの予想に反して、あまりにもあっけらかんと言い放つ親友に驚いて思わず顔を上げてしまう。

 テラの慌て様を見るに、彼女にとっても予想外だったんだろうというのが分かる。


「俺はもう相棒を信じるって決めたんだ……親友の背中を押してやるのも友の役目だろ? テラの姐さんはどうだ? 男を信じて待つ女ってのも魅力的だぜ?」


『私、は……私は、無理です……少なくとも彼を勇者として選んだ責任があります。どうせ危険に飛び込むと言うのなら、私もステラと一緒に飛び込みます』


「へっ! 俺はそっちの方が魅力的だと思うぜ!」


「二人共……」


 あぁ、彼らはあの時から何も変わっていない……僕が情けなくも折れかけたあの時から、ちっとも。

 僕を肯定し、良しとしてくれる……少し、不安さえ抱く心地良さだった。


「まぁ俺たちなんかよりも、もっと説得しないといけない人物が居るだろ? そっちを頑張れよ」


「……説得しないといけない人物?」


 五右衛門君の言葉に首を傾げ、それは誰だろうかと思い浮かべようと​──


「​──護衛が護衛対象を放って何処に行くつもりなんだい?」


 いつの間にか開いてた裏口から現れたカインさんに背後から声を掛けられ、驚きのあまり一瞬だけ硬直してしまう。


「来るかなぁと思って裏口で待機していたら本当に来ちゃんだもんなぁ……本心を聞こうか?」


 ゆっくりと振り返り、全く笑っていない無表情で淡々と発言するカインさんを仰ぎ見ながらゆっくりと口を開く。


「……ウィルクを心配するロジーナも、そんな彼女を自分の心を押し殺しながら慰めるセシルも……ただ、気に食わない」


 何でそんなに……一人で泣くくらい辛い筈なのに、さも当たり前であるかの様に毅然と大人達に指示を出すロジーナも、そんな彼女を自分も辛い筈なのに慰められるセシルも……おかしいじゃないか。

 なんでもっと、こう……僕みたいにならないんだ? 敵が憎くないのか? なぜ他人を優先できるんだ?

 ……貴族、だからなのか? 貴族だから自分の憎い、辛い、悲しい……そういった感情を優先出来ないのか?


「だったら……背負うべき責任のない平民である僕が……彼女達の代わりにその暗い気持ちを晴らす」


 色んなしがらみがあって動けない彼女達の代わりに、僕が動く……僕が力を持たない、動きたくても動けない人達の​──復讐の代行者勇者となる。


「……それに、何よりも友達を助けたいし、また僕の大事な人達を奪っていく魔族が許せない」


 そうだ、この感情は最初から最後まで僕個人の私情ばっかりだ……彼女達の思いを代行したいのも、友人を自身の手で救いたいのも​……全部僕の感情だ。


「そうか、なら​──建前は?」


「護衛対象の心も護衛範囲、でどうだろう?」


「良いだろう、私の命令は絶対に聞くように」


「分かった」


 呆れた様に軽く息を吐き、仕方がないとばかりに肩を竦めるカインさんは外套のフードを被りながら手を振って、僕の頭越しに何処かへと合図を送る。

 それが気になって振り返ってみれば、二階へと続く階段からセシルとロジーナが降りて来るところだった。


「「……」」


 セシルは口を引き結んでは腰に手を当て、ロジーナは胸の前で両手を握り締めては俯いたまま……ただ、黙っている。

 そんな、どうしたらいい良いのか分からない状況下でまず先に口を開いたのはセシルだった。


「はぁ、結局こうなるのよね。私の勇者様は本当に欲張りみたい」


「……ごめん」


「良いのよ、無事に帰って来てくれれば。……ウィルクをよろしくね、どうか私みたいにあの子も救ってあげて」


「……必ず」


 苦笑と微笑みが混ざった様な、そんな複雑な笑みを浮かべてからセシルは一歩下がり、そっとロジーナの背中を押す。

 僕の目の前へと踏み出したロジーナは、一瞬だけ何かを躊躇しながら口を開いた。


「わ、わたっ……わたしの、兄を……どうか……どうか……っ!!」


 言葉を発すると同時に涙をポロポロと零すロジーナの頬を、目の前で跪いてからその雫を親指で拭い去る。

 未婚の貴族女性にみだりに触れてはいけないと習った様な気もするけれど、今この瞬間は泣く友を元気付けたかった。

 ウィルクが森に行ってから改めて出した救援要請に子爵が応えてくれたとしてもまだ日数が掛かるし、これ以上護衛の班を森に行かせる訳にはいかないという事情が彼女を泣かせている。

 戦力の逐次投入は愚策で、また侯爵令嬢であるセシルと子爵令嬢であるロジーナを守る人材が居なくなるのも問題だったからだ。


「ウィルクは僕と、カインさんが必ず連れ戻す……だから、どうかもう泣かないで欲しい」


 両手で彼女の顔を下から包み込む様に触れ、親指で目元を撫でさする。

 赤くなった目尻を労る様に、腫れが引く様にと願いながら。


「ロジーナ、小指を出して?」


「……小指、でごさいますか?」


「あぁ、僕の親友である五右衛門君の故郷ではね……絶対を誓う時に行うらしいんだ」


 胸の前で固く閉ざされた彼女の両手を優しく解し、右手を小指を立てながら差し出す。


「僕に、ウィルクを必ず連れて戻ると……そう、約束させて欲しい」


「は、はい……」


 おずおずと差し出された彼女の小指に、自身の物を絡めて不思議なリズムのおまじないを唱える。


「ゆ〜び〜き〜りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます​──指切った」


 そうして、改めて手を離した時​……ロジーナはもう泣いてはいなかった。

 目尻や頬こそ赤く、瞳も潤んではいるけれど大丈夫そうに見える。


「じゃあ​──行ってきます」


「行ってらっしゃい、気を付けてね」


「本気でヤバそうだったら逃げろよなー!」


「い、行ってらっしゃい……ませ……」


 何故だかカインさんにアホの子を見るような目で見られ、その理由が分からなくて首を傾げながらも、改めてウィルクを……友を助け出す為に外套を深く被り直す。

 ロジーナと、もう一人の友とも絶対にと……そう、約束したのだから。




「相棒ってさらっとああいう事をやるよな」


「本人にあまり自覚がないのよ」


「……」


「……心ここに在らず、って感じだな」


「……そのうち我に返るわよ」


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