第37話.椿と薔薇


「……」


「……」


 セシルを伴って帰還した僕を出迎えたのは、嬉しそうな顔をしたメイド達や家令の人でも、セシルの身を案じていたカメリア侯爵でもない……怒った様な怖い顔をしていたカインさんだった。

 心配そうな顔のセシルを、少し離れた場所で興味深そうな顔をしているカメリア侯爵と目を瞑って無表情を心掛けているらしいヴィヴィアン先生の下へと先に行かせ、目の前の男性へときちんと向き合う。

 今回の僕の行動は完全に子どもの我が侭であり、暴走でしかなかった……どう言い繕おうと客観的にそうとしか見えないだろう事は理解している。

 ここで走り出さなきゃ二度と僕が立ち上がられないという確信があったにせよ、失敗したらセシルの命まで失っていたのかも知れないのだから、カインさんの怒りも尤もだと思う。


「……歯を食いしばりなさい」


「……はい」


 目を閉じて言われた通りに歯を食いしばったと同時に頬を刺す痛み……鍛えられた歴戦の兵士による手加減なしのそれに耐えられるはずもなく、そのまま数メートル吹き飛ばされ地面を跳ねていく。

 手加減なし、しかしながら本気ではないそれでも僕には十分な痛みを与え、セシルに悲鳴を上げさせるには十分だったらしい。

 勇者の力でによって既に痛みは引いてきてはいるけれど、彼女が自身の父親に止められているのがぼんやりと見える。


「私がどれだけ心配したと思っている」


「……ごめんなさい」


 そうだ、カインさんだっておそらく僕と同じなんだ……僕がセシルを救えなかったら立ち上がれなかった様に、カインさんだって僕が死んだら自分を責めるだろう事は想像に容易い。

 どれだけ落ち込んでくれるのかは分からないけれど、尊敬する上司であるおじさんと、可愛い部下達に託された命が僕だ。

 そんな大事なものが勝手に動いて、勝手に取り零してしまったとなったらやり切れないのではないか……そう、理解していた。


「……どうやら君は何か勘違いしているみたいだね?」


「……?」


 そう、片眉を吊り上げながら不機嫌に言うカインさんの気持ちがさっぱり分からなくて黙るしかない。

 再度僕へと伸ばされる手を見て、あぁ、もしかしたらセシルを助ける段取りや相手との交渉に狂いが出たから怒られているのかな……なんて、そんな事を考えながら、来るべき衝撃に備えてそっと目を閉じる。

 見せられるセシルには悪いけど、今回はカインさんの気が済むまで殴られよう​──そう、思っていたはずなのに。


「​団長や部下達の事は関係ないんだよ、ステラ……私はね、君の事を本当の弟の様に想ってるんだ」


「​──」


 悲しそうな声色で、震える手で頭を撫でられた衝撃は手加減なしの拳よりも痛かった。

 驚きに開いた視界に入ってくるのは、とても寂しそうで傷ついた様な顔を……普段は全く、それこそおじさんが死んだと分かった時ですら見せなかった顔をしているカインさんに言葉が出ない。

 どうやら僕は……酷くこの人を傷付けてしまったらしい。


「私は義務感や義理から君を保護した訳じゃない……少なくとも君が団長とする家族ごっことも言えないなにかは、私の中では本物だった」


「……」


「君はね、ステラ……私が団長や部下達に託された命じゃないんだ」


 僕の頭を撫でていた手でそのまま引き寄せられ、カインさんの胸に抱き締められる。

 まるで、本当に自分の家族の無事を安堵するかの様な安らぎがそこにはあって……自然と二人で涙を流す。


「​──たった二人、生き残った団員じゃないか」


 そのカインさんの言葉を聞いて僕の中に未だ僅かに残っていた靄がキレイさっぱりと消え去り、頭の中が冴え渡る。

 それまで曖昧にしか捉えられてなかった世界が急速に色彩を取り戻し、空から降り注ぐ光量が増していく。

 あぁ、そうだ……僕は救えなかった命は沢山あるけれど、全てを失った訳じゃないじゃないか。

 こうして僕の身を案じてくれる上司でもあり、兄でもある大事な人がすぐ近くに居たじゃないか。

 僕は本当に……どうしようもないくらいに馬鹿だった。


「ステラ君、私からはお礼を言っておこう​──セシルを、娘を助けてくれてありがとう。このお礼はいつか必ずするとしよう」


「……私からは特にありませんが、強いて言うならならまだまだ教えるべき事が山積みなのですから、今後は勝手に抜け出したりしない様に」


 頃合を見計らって、カメリア侯爵とヴィヴィアン先生が前に出てくる。

 にこやかな笑みを浮かべながらセシルの手を強く握る侯爵と、何でもない風を装いながらも目は全く笑っていない先生が対照的だった。

 ……というか、多分後でヴィヴィアン先生にもめちゃくちゃ怒られるんだろうな。


「さぁ、皆で家に帰ろう​──暖かい食事と寝床を用意している」


 そう言って屋敷へと手を翳す侯爵と、その背後にズラリと並んで頭を下げる使用人の皆さんが暖かい目をしている。

 こちらへと駆けて来て、僕の右手を握るセシルと彼女の背後に付き従うヴィヴィアン先生も先ほどの心配そうな目や、怒っている雰囲気は霧散し、今では優しい目で僕を見つめる。


「ほら、行こうステラ」


 セシルとは反対側の僕の左手を握るカインさんに促されながら、僕は​──久しぶりに人の温もりというものを真正面から受け取った。


▼▼▼▼▼▼▼


「​──クソがッ!! どいつこいつも役立たずかぁッ?!」


 帝国四大貴族家が一つ、ローズ侯爵家の邸宅の一室で激しい怒号と物が壊れる音が鳴り響く。

 身分の高いその少年が怒鳴り散らし、八つ当たりに高価な調度品を投げ付ける度にその部屋に居合わせている使用人達の緊張は増していくばかり。


「だいたい何なんだレッドヘイズの奴は?! あれだけ偉そうに大口を叩いておいて死んだと?! 馬鹿がッ!!」


「嫌っ! お辞め下さいっ!」


 たまたま目に付いただけの、自分と同い歳くらいのメイドを引き寄せ、そのままただ鬱憤を発散させる様に暴力を振るう。

 この場に居る誰もがその蛮行を止めない様から彼の身分の高さが、その蛮行を諌めない事で彼の人望のなさが同時に見て取れる。


「どうせあの忌々しい若作りの魔女に油断しているところを不意打ちでもされたんだろうがッ!! あの間抜けがッ!!」


「嫌っ! 痛いっ!」


 泣き叫んで拒絶を訴えるメイドの言葉を無視してその力任せの蛮行は勢いを増していく。

 それは、それだけ彼の怒りが深い事をそのまま表していた。


「どいつもこいつも使えん愚図共めッ!!」


「その辺になされてはどうか」


「あん?! 誰だ​──」


 いつもでは有り得ない自身を制止する声にさらに機嫌を悪くしながら彼が​──アレン・ファム・ローズが振り向いた先に、その魔族は立っていた。


「……ブラックヘイズか」


「人質を取るまでは良いですがな、その後の諸々が杜撰過ぎましたね? 先ずは流れの腕利きを雇ったのにも関わらず、報酬を出し渋ったせいで彼らの能力を活かしきれてはおらず​──」


 人間の上半身を持った二足歩行の馬とも言うべき容姿をした二対四本の腕を持つその魔族は淡々と事実を指摘するかの様にアレンの計画の不備を一つずつ指摘していく。


「さらには​──」


「もういいッ!!」


「……そうですか?」


 ウンザリだ聞きたくないとでも言う様にアレンは魔族の言葉を遮る。

 基本的にこの少年は自分のする事が絶対的に正しく、自分の計画が失敗するのは全て部下達のせいだと思っているのでブラックヘイズの的を得た指摘は不愉快でしかない。


「どいつもこいつも僕を馬鹿にしやがって……あん?」


 しかしながらこれ以上の暴言や反論をしても、力で敵わないブラックヘイズに殺されてしまうかも知れないという小心者の理性が彼の怒りを少しばかり沈めた。

 そんな、ただ小さくブツブツと文句を言うしかないくらいにまで落ち着いた彼の耳に風切り音が入ってくる。


「……またあの女か」


「精が出ますな」


「ふん、父上も耄碌したらしい。あんな氏素性も分からない平民の女を養子に取るなど……しかも女の癖に四六時中木剣を振るうときた」


 自身の部屋から中庭を見下ろすアレンと、彼の背後に立つブラックヘイズの目に映るのはまだ十歳程度の少女がただ無心に木剣を振り下ろし続ける姿だった。

 ローズ侯爵が最近養子にとったという、その赤毛が美しい少女はただ愚直に……まるで、まだこれしか教えて貰っていないと主張するか様に上段からの振り下ろしという動作を繰り返す。


「兄上や弟ならいざ知らず、あの様な薔薇の血を継いでいない穢れた平民に家督を奪われてなるものか……ローズ侯爵はこの僕が継ぐ」


「その為に我々が協力している」


「ふん、今のところ大して役に立っていないぞ」


「貴方が勝手に動くからでしょう? 我々は同盟を結んでいるのであって、部下になった訳じゃない……もっとちゃんと連携というものを考えて貰わないと困りますね」


「……チッ!」


 反論すれば殺されてしまうとでも思ったのか、アレンは舌打ちをひとつしただけで引き下がる。

 代わりに犠牲になったのは彼よりも立場が下の者達だった。


「おいそこのメイド! 後で遊び部屋に来い!」


「っ?! そ、そんな?! 私には婚約者が居るのです! どうかお慈悲を!」


「煩い黙れッ!! その婚約者を見つけ出して処刑しても良いんだぞッ!!」


 アレンが荒々しく部屋を出ると同時に泣き崩れるメイドには一切の興味を示さず、部屋に残ったブラックヘイズはただ中庭を見下ろしている。


「​──エリーゼ・ローズ……お前は本当に美しいな」


 その目にはただ妖しい炎だけが見て取れた。


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