第30話.新月の夜


 ​──コンコン


「セシル? 居るかい?」


 家令のおじいさんに怒られて、罰として告げられた三日間の謹慎が終わった日の夜のこと……僕は約束通りにセシルの部屋を訪れてノックをしていた。

 何の話があるのかは分からないけれど、確かマナーの講師は夜中に女性の部屋を訪れるのも、女性側から誘うのも良い事ではないと言っていた気がする。

 まぁ、仮にも貴族であるセシルが良いって言ってるんだし、僕には分からない基準の元に判断したんだろう。


『鍵は掛けてないから入って』


「……失礼します」


 セシルに招かれて部屋へと入る。

 窓から差し込む星の瞬きに、所在なさげに灯された蝋燭の火が揺らめきが昼間に訪れる時とはまた違った感想を僕に抱かせる。

 そんな淡い明かりに照らされるセシルもいつもと違った様に見えてしまって、本当に僕がこんな場所に来ても良いのかと不安が顔を出す。


「? ……どうしたの?」


「あ、いや……別に……」


 今日は新月なのか、月明かりもない。

 それなのに僕の様子を感じ取ったらしいセシルの問い掛けを思わず誤魔化してしまう。


「それで、話って?」


 咳払いを一つして、そもそもの本題を切り出す。

 何の話があって僕を夜中に呼び出したのか、それが本当に気になるというのは嘘じゃない。


「うーんとね、なんて言うか……私の大事な友人がいつも浮かない顔をしてるし、理由を聞いても下手な笑顔で誤魔化すから」


「……」


「だから、一回ちゃんと話を聞こうかなって」


 セシルのその言葉に無理やり浮かべていた笑みが崩れるのが分かる……今の僕は酷く不細工な顔をしているだろう。


「……ねぇ、この一ヶ月近く一緒に過ごして来てどうだった?」


「……なにが」


 知らず、拳を強く握る。

 そんなの決まってるじゃないか……怖いくらい楽しかったよ。

 勇者としての使命だとか、魔王軍に対する復讐心だとか、おじさんを……僕が守れなくて救えなかった人達の事を一時的に忘れられるくらいには楽しかった。

 ……いや、そんな事を僕が考えないようにテラや五右衛門君……そして目の前のセシルが色んな場所に連れ出したりしていた事は分かってる。


「私では、私達ではステラの心の穴を埋める事は出来ない?」


「……」


 違うんだよ、そうじゃない……君達は僕の心にするすると入ってくるから怖いんだよ。

 テラが慣れない母親を演じる時、五右衛門君が馬鹿な事をする時、セシルが笑って話し掛けてくる時……そんな時に僕は村にいた頃を思い出す。

 忘れてはいけない、忘れられない惨事を忘れて楽しかった思い出に逃避してしまう。


「僕は、僕は……勇者、だから……」


「……」


「何も出来ず、誰も救えなかったから……だから、せめて……勇者らしく……」


 あの時、あの時の王都で僕は何も出来なかった……おじさんの足でまといにしかならなかった。

 だからこそ、こんなぬるま湯に浸っていてはダメなんだよ。

 おじさんとのぬるま湯に浸っていた結果どうなった? ……もうあんな事は経験したくはないんだ。


「……ルーティネス王国での戦いの話は聞いたわ」


「……」


 そうか、もうセシルの耳にも入ってるのか……僕の情けない姿が。


「この際だからハッキリと言うけれど​──あの時、誰もステラには期待していなかったと思うわ」


「……っ」


 セシルの忖度しない物言いに奥歯を噛み締める。

 全くもってその通りで何も言い返せないとはこの事を言うのだろう。


「でもその状況でステラは頑張ったと思うわ。……本当よ?」


「……そんな事はない」


 セシルは何が言いたいのだろうか……僕にはもう何も分からない。


「あの混乱する王都の中で真っ先に孤児院を目指して、最高位ハイエンドの魔族を二人も相手にして友人を一人逃がせたんでしょ? それに最高位ハイエンドの片方は金属器使い……とても十歳の子どもがした事とは思えないわ」


 いや、僕は誰も助ける事なんて出来なかった。

 ハンナやドコラはもうこの世には居らず、エリーゼの心だって守れなかった……その唯一命は助けられたエリーゼだって現在は消息不明なんだ。


「まだ納得してないって顔ね……あの聖騎士アルデバランが討ち取られた激戦の中でも退くことはせず、最高位ハイエンドの一人を一分も足止めしたのよ?」


「……それしか、出来なかったんだ」


 あの時の僕にもう少し力があれば、おじさんは死ななくても良かったかも知れない。


「ねぇ、ステラ? それは欲張り過ぎというものよ?」


「……欲張り?」


「えぇ、貴方が稼いだ一分のお陰で聖騎士アルデバランは取り残された国民を逃がす事が出来たと言われているわ……つまりは貴方は間接的に多くの人を救ったのよ」


「……僕が?」


 救ったのはおじさんであって、僕じゃない。

 おじさんとは違って、僕はとても無力な​──


「​​──貴方も私もまだ子どもなのよ、無力で良いの」


 ……まだ子ども、そんな言い訳で許されて良いのか……僕はテラと契約して奴らに、魔王軍の奴らに復讐とすると誓ったんだ。

 それなのに、そんな理由で許されて良いはずがない。


「そんな無力な子どもが強大な敵に恐れず立ち向かい、多くの人を救う助けをした……我が国の高位の騎士でも貴方と同じ戦果は上げられないわね」


 だから何なんだ……僕の弱さのせいで目の前でおじさんが殺されてしまった事に変わりはないんだよ。


「ねぇ、ステラ? あの状況は本当にどうしようも無かった事なの……お願いだから、そんなに一人で背負わないで?」


「でも、僕は……」


 僕が、僕だけがあの状況で何かが出来た筈なんだ……そんな思考が頭から離れない。


「貴方は十分に〝勇者〟だったわよ」


「勇、者……」


 セシルから出たその言葉……テラの事を知らない彼女が嘲る様な意図は持たず、本来の意味でその言葉を僕に贈った。


「ステラ、貴方は​──勇気ある人だわ」


「……っ」


 僕は、そんな大層な動機で動いていない……奴らに対する浅ましい復讐心なんだよ、そんな綺麗な人間じゃないんだ。


「貴方が家に来る前から色んな情報が入って来たわ……反攻作戦の失敗、ルーティネス王国の陥落、聖騎士アルデバランの戦死……どれも絶望的なモノばかりだった」


「……」


「そんな中で私と同い歳の男の子が魔王軍に立ち向かい、大多数の人達を間接的に救ったなんて情報が入って来た……最初は何かの間違いで、混乱によって情報が錯綜してるのかと思った」


「……」


「でも違った……日が経つにれて情報の精度は上がっていくし、何よりも耳飾りの様な金属器を持った方がそれが正しいと教えてくれた」


 ロッキー、だろうか……彼は今の僕は面白くないと言って去っていったけれど、情報を人類側へと提供していたのか。


「そして目の前に本物の男の子が現れた……大きくなって金属器と契約できるまで生きていられるのか分からない私を勇気付けてくれた男の子が」


「……」


 それで、彼女は初対面の僕を友達に誘ったのだろうか。


「ねぇ、ステラ……お願いだから、辛そうな顔はしないで? 嫌な事は友達である私が聞いてあげるから」


「……っ」


「五右衛門君だって、貴方の愚痴や不満くらい快く聞いてくれるわ……」


 そう言って、セシルは無理やりに笑おうとする僕へと手を伸ばす。


「​──だからね​少しは泣いても良いのよ?」


「​──」


 そのまま頭を胸に抱え込まれ、思考が真っ白になる。


「で、でもおじさんが笑っていろって……」


「あのねぇ……アルデバランさんだって、ずっと笑って泣くななんて言ってないと思うわよ? 辛い時は泣いたって良いの……泣いて泣いて、そして笑えって事だと思うの」


 そう、なんだろうか……笑わずに泣いても良いのだろうか。


「ぼ、僕は頑張ったんだ……」


「うん」


 たった一言、発しただけで涙がどんどん溢れ出てくる。


「手に入れた力で奴らに報いを与えようって、大事な人を救けて守ろうって……」


「うん」


 涙と一緒に言葉もとめどなく溢れ出てくる。


「だけど僕が出来た事は少なくて……両手から取りこぼした物が多すぎて……」


「うん」


 次第に難しい事なんて考えられなくなってくる。

 ただただ同い歳の女の子の胸に顔を押し付けて、みっともなく泣きじゃくるだけ。

 これでは本当にただの無力な子どもでしかない。


「め、目の前っで……おじさんがぁっ……」


「……うん」


「なんっにも、出来なかったんだっ……なにもぉ……!!」


「……うん」


 一度吐き出してしまえば止まらない。

 堰を切ったように後から後から湧いて出てくる涙と、どうしようもない現実に対する不満の言葉。

 セシルの腕の中は酷く心地好くて……気付けば彼女に甘え、今まで溜めてたものを全て吐き出す勢いで泣きじゃくる。


「私が……私と、五右衛門君もカインさんも居るんだから……」


 セシルの幼い子をあやす様な、耳触りの良い声が僕の心の隙間へとするすると入ってくる。


「……まだ私達は子どもなんだから」


 新月の夜という静かな部屋に、ただ僕の嗚咽だけが響き渡った。


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