第26話.学び
「さぁ、こっち……よ……!」
セシルが僕を友人に誘ってからおよそ一週間程度……今日もまた彼女に腕を引かれながら屋敷内を探検? する。
彼女は身体が弱いのかいつも咳き込んでいるし、それによって痛めた喉では喋りづらいのも相まって言葉は途切れ途切れになる。
……まぁ、声が枯れている訳ではないようなので、彼女の言葉が途切れ途切れになるのは別の要因があるとは思うけれど。
「ここがっ……げほっ! ……ここが私の、部屋……よ」
「……」
……本当に入って良いのだろうか?
仮にも帝国の高位貴族の一人娘の部屋に僕みたいな平民が入っても本当に大丈夫なんだろうか?
でもセシルはそんな事を気にしないとはがりに僕の手を引っ張って部屋へと入っていく。
この一週間、彼女はこんな調子で僕を屋敷のあちこちへと連れ回した……庭園から東屋から始まり、図書館に練兵場まで幅広く。
……まぁ、そんな彼女にしては珍しく活動的だったようで、昨日は体調を崩してぶっ倒れたんだけどね。
そんなんだから今日は外に出る事を禁止されるんだと思う。
「おや、お早いお着きですねお嬢様」
「今日、は……友達も一、緒……に受け……るか、ら……」
横で『相棒の親友の地位がヤバい……?』なんてぶつぶつ呟いている五右衛門君を無視しつつ、先に部屋に滞在していた大人の女の人に向けて胸の前で腕を交差しながら跪く挨拶をする。
……もうマナーなんか何も分からないから、とりあえず初対面の相手にはこの挨拶をしては変な顔で見られるけれど仕方ない。
「……お嬢様の友人であるならば必要ありませんよ」
「……いえ、何も分かりませんので」
「そうですか?」
扇子を口元に当てながら首を傾げる彼女は非常に不思議そうな顔をしながらも、まぁどうでもいいと思ったのか並んだ机の上へと本と紙の束を置き始める。
……たしか外には出られないのと、日にちが重なったのもあって今日は一緒に何かを学ぶとか言っていたっけ。
「今日も魔術の授業をしますか……そのご友人の方も一緒という事でよろしいですね?」
「え、ぇ……そう、よ……」
セシルの示すままに隣の椅子に座り、五右衛門君を膝の上に乗せるけれど……戸惑いしかない。
本当に僕なんかが教育を受けても良いんだろうか?
貧しい田舎の農村出身の平民でしかない僕が、貴族のお嬢様の勉強にタダ乗りしても良いんだろうか?
「お嬢様は前回の復習を、ご友人のステラ様はまずはこの教科書をご覧下さい」
他に分からない所があったら声を掛けて下さいね、と言ってヴィヴィアンと名乗った女性は少し後ろに下がる。
困惑する僕とは対照的に、五右衛門君はワクワクとした様子で早速とばかりに渡された教科書を開く。
「……?」
「あー、これ子ども向けだぜ相棒」
『へぇ、今の世にはこの様に伝わっているんですねぇ……』
開いた途端にガックリする五右衛門君に女の人が苦笑しているのが見えるし、テラはテラで何か別の事に感心している様子だった。
……けど、この中で僕一人だけ固まっていた。
「? どう、した……の?」
「あ、いや……文字が読めなくて……」
僕の様子に気付いたセシルの声に返す様に返事をすればその場の空気が一気に凍り付いてしまう……何か不味かっただろうか?
やはり文字の読み書きもできない農民が貴族の教育を受けるなど、おごがましかったのだろう。
「ヴィヴィアン! 今すぐお父様に言ってステラの教育を──げほっげほっ!」
「ほらほらお嬢様、そんなに興奮なさらないで……ステラ様の件に関しましては大丈夫ですから」
……本当に大丈夫なんだろうか?
思いっ切り立ち上がって一息に叫ぶなんて無茶をするから咳き込んじゃってるじゃないか。
テラにお願いしてセシルを癒して貰いながら僕の教育とはなんだろうかと考える……やはり客人であっても貴族の屋敷に滞在するならそれなりのものが求められたりするのだろうか。
「わ、私っ……げほっ! お友、達と……一緒、に学びっ……たい、の……!」
「……」
「今度こ、そ……上手くや、るん……だか、ら……!」
……何が彼女をそこまで駆り立てるのだろう。
まだ出会って一週間しかないし、その間にした事だって彼女に敷地内の一部を案内して貰った程度……友達らしい事も一つも出来ていないというのに……どうしてなんだろう。
僕に何を求められているのかがさっぱり分からない。
「はいはい、お嬢様のお気持ちは分かりますが一旦落ち着いてくださいませ」
「は、い……」
「はい、吸って……吐いて……」
ヴィヴィアン先生が懐から出した筒状の道具──後に吸入器という薬の様なものと教わった──をセシルの口に当て、指で上部を押してカシュッと音を立てる。
それと同時にセシルが吸い込み、五秒ほど上を向いてから吐き出す。
「さぁ、ステラ! 私と一緒にお勉強しましょ!」
「え、えっと……はい」
吸入器とやらをした途端、元気にハキハキと喋り出すセシルに目を白黒させつつも、五右衛門君にすら読める文字が読めないというのも悔しいし、セシルの勢いに呑まれたのもあって思わず首を縦に降ってしまう。
何がそんなに嬉しいのか、セシルはニヤニヤとしながら部屋の中にある別の棚から薄い冊子と白紙の紙を持って来る。
「さぁ! 簡単な文字なら私が教えてあげるわ! ヴィヴィアンがお父様にお願いに行っている間にしましょ!」
「お、おう……」
「なんなら俺も教えてやっても良いぜー!」
「五右衛門君は私の助手ね!」
その様子を見ていたヴィヴィアン先生はため息を吐いた後、微笑ましい目でセシルを見た後に音も立てずに退出していく。
『……ここの方たちは優しそうな人ばかりですね?』
「……うん」
嬉しそうに僕の耳元で囁くテラに頷きながら考える──だから嫌なんだ、と。
どれだけ優しくて、どれだけ仲良くなろうとも……今の僕にはそんな素敵な人達を守れる力なんて無いんだからと。
僕は勇者で、彼女たちは一般人……守り切れない重荷を背負ったまま、果たして戦う事が出来るのかと聞かれたら……絶対に無理だと答える。
でも、それでも──
「さぁ! お勉強の時間よ! ステラ君!」
「相棒、今日という日だけは俺はお前の相棒じゃなく……先生だぜ!」
──この居心地の良さから抜け出す事は出来そうにない。
「まずは母音と子音から覚えて貰います!」
「ます!」
いつの間に用意したのか、眼鏡とサングラスを掛けるセシルと五右衛門君を見ながらそんな事を思う。
矛盾し、納得もいかず、自分では整理し切れないモヤモヤを抱えたまま、彼女達に向き直る。
……僕はどうしたら……いや、どうしたいんだろう。
『……ステラ、先ずは目の前のお勉強に集中しましょう? 今は難しい事は忘れるんです』
「……」
忘れる事が果たして許されるのか……それさえも分からないままに、とりあえずはノリノリのセシルと五右衛門君に失礼にならない様に、目の前の文字に集中する事にした。
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