第5話 小鳥遊 結城・参
身分登録自体は簡単なものだった。小鳥遊さんがいつのまにか用意してくれていた印鑑一式を持って受け付けに行き、出された書類に仙波と書かれた印鑑をポンと押して署名するだけ。万年筆は使ったことがないから不安だったが、なんとか見れる文字で安心した。
事前にかかれていた住所には見覚えはないから、きっと小鳥遊さんが手を回しているのだろう。正直あの人のチートには驚かなくなっていた。
「終わりました」
「よろしい……字は要練習か」
「すみません」
「良い。お前の世界では慣れないものなのだろう」
特に皮肉でもなく、事実確認のように温度のない声でダメ出ししてから、受付でもらった書類の控えを返してくれる。
それを受け取ってぎこちなく懐にしまう。ドラマや映画でしか見たことのない動作だったから上手く出来ているか解らない。
「……懐にしまうときは、もう少し奥に押し込むように。物入れを貸そう」
「あっはい」
「返事は簡潔に」
「はい」
ポーチのようなものを放り投げられた。危うく取り落としそうになったがなんとかキャッチ。こちらがなんの変哲もない男子高校生だと言うことを理解した態度をとってほしい。
肩から提げられる仕様だったので遠慮なく使わせてもらう。
「あの、これからどこに行くんですか」
「寮の下見だ」
「りょ、寮!?」
寮って、異世界学園ファンタジーものでよくある、あの寮? 多少目を輝かせていると、小鳥遊さんはことりと小首をかしげた。
「お前の世界には寮は無いのか?」
「あ、いえ、あります……」
「なら特段目新しくもあるまい。あまり反応を大きくして、噂好きのご婦人に目をつけられると言うのも面白くはないだろう」
「あっはい」
「返事は簡潔に」
「はい!」
同じ注意をされるが、そんなことももう念頭にはなかった。
寮、寮である。寮ということは同室者が居るということで……つまり、そういうことだ。
どういう事って? 察しが悪いな! こういう流れでの同室者って言うのは、大抵強気な男装美少女なんだよ!
「……」
「あっすみません今引き締めます」
「自覚があったのか」
小鳥遊さんにじっと見られていたので、だらしなく緩んだ顔を引き締める。自覚があったか無かったかで聞かれればあったが、何より小鳥遊さんが怖い。
ぱちくりと目を瞬いた小鳥遊さんはさながらエメラルドの目をもつお高いビスクドールだが、女の子ではないのでそそられることはなかった。というかそそられた結果が死を意味しそうだったので寧ろ息子はひゅんとしました。
役所からさほど離れていないところに寮はあった。小鳥遊さんの近くというのは怖くもあったが安心もする。なにしろこの世界に来てから色々と世話を焼いてくれた人だし、唯一ちゃんと話した人なのだ。
寮の設備自体もきっちりしていた。不安要素は自炊をしなければいけない事だけだが、これでも高校生。家庭科である程度は習っているし、母からも大学での独り暮らしに向けて仕込まれていたから一人で暮らすぶんに支障はない。高校生というのは大人に向けて準備しなければいけない期間でもあるのだ。
「ここだ」
「おぉ……結構、しっかりしたところですね」
「政府の管轄だからな」
「は?」
さらりと言われた真実に思わず聞き返す。そりゃ確かに小鳥遊さんは政府の人らしいけど、何で俺まで?
俺の疑問に気がついたらしい小鳥遊さんが、少し首を捻りながら説明してくれる。
その内容は信じられないものだった。
「お前はこれから、軍人になってもらう。とはいえ、士官学校生として資格を得てもらうだけだ」
「ぐっ、んじん!?」
「あぁ。決定事項のため文句は聞かない」
そんな勝手な……俺に人権はないのか!?
「俺に人殺せっていうんですか!?」
「そうとも言わないしそうとも言う。選ぶのはお前だ」
「何を……っ、勝手に兵士にさせておいて!」
今さら何を選ぶとか選ばないとかないだろう。段々腹が立ってきた。
「俺はただの高校生だぞ!?」
「みんなそうだが」
「年下の間で学べってのか!?」
「寧ろ今更お前に矜持などあるのか?」
うぐっ……そこはかとなく馬鹿にされているような。
「でもっ……!」
尚もいい募る俺に、呆れたような小鳥遊さんのため息が降ってきた。
―――遅れてやってくる、昨夜にも感じた鋭い痛みと、後頭部の鈍痛。
ビシィッ!
ゴン!
「いっっ……!!!」
なんだ、何が起こった。何でまた天井を見上げてるんだ?
「ばかものめ」
昨夜にも聞いた台詞だ。
「お前のような小僧がこれから生きていくには、多少無理矢理だろうが学校へ通わせる必要があったのだ。
いい加減浮かれていないで、冷静に状況を判断しろ」
堅苦しい言葉で締め括られる。そこはかとなくでもなく普通に馬鹿にされたし、よくよく考えてみれば事実なのだ。
これが頭ごなしに言われるのならばまだ言い訳は出来た。だが、なんにしろ昨日から世話を掛けっぱなしと言う自覚もあるし、醜態を晒しまくっているのだから言い訳も出来ない。
「……すみませんでした……」
「……まぁ、状況判断能力は悪くない。素直なのも美点だな。
明日の午前八時に、洋服箪笥に入っている制服を着て役所の受け付けに来い。身分証も入れてあるから門前払いはされないだろう。
士官学校組分け試験は運の悪いことに明後日だ。稽古をつけるので説明が終わったら部屋に来るように」
珍しく――といっても昨日と今日過ごしただけだが――長く話したあと、健闘を祈るとだけ言ってさっさと立ち去ってしまった。
小鳥遊さんがどこかに行った後、俺はしばらく天井を眺めていた。扉を閉めなければと思うが、体があともう少しと拒否をする。
今日は色々あって疲れた。
本当に異世界転移なんてしたのかとか、これから軍人にならなきゃいけないことは、暫く忘れたい。
ただ懐かしいような、大正も令和も変わらない、明るく包み込む夕焼けの光に、幼い頃を思い出した。些細なことで、公園で遊んでたとき、母さんがご飯だよって呼びに来るのが嫌だったな、なんて。
もう呼びに来ることもないし、声が聞けることもないのだから、もう少しちゃんと言うこと聞いてれば良かったと思う。
「……あれ!? 扉開いてる!? 小鳥遊隊長の言ってた同室者くんかな」
ふっと影がよぎった。
シルエットが、最近太ってきた母ちゃんにそっくりだ。
「……ううっ、ひっく」
「な、泣いてる!!?!」
少しまばたきしただけで視界が滲んだ。鼻の奥がつんとする。ぽろぽろと頬を伝う雫は情けないことに止められない。
太い指が頬をぬぐう。薫ってくるのは優しいたんぽぽのにおいで、いつも俺の好きなカレーの匂いをさせていた母ちゃんとは違う。
でも、抱き寄せてくれる太い腕は、母ちゃんにそっくりだった。
俺は声を上げて泣いた。恥も外聞ももう問わない。わんわんと大泣きするうちに疲れてきて、気絶するように意識を手放した。
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