第19話

「だから、はじめから言っただろ」

 棚の向こうから涼真の声が聞こえる。

「だって、鳴井のことあきらめられなかったんだもん」

 蜜は涙声だった。

「そんなの知らねえし」

 涼真はそっけない態度で、私に対する優しさとは真逆の冷たさだ。そのことに何となくほっとしている自分がいて、少なからず後ろめたい。

「とりあえず、こんなとこで騒がれるの迷惑」

 そんなに大きな声ではないものの、もめている気配に、周囲の視線が集まりつつある。レジに並んだ数人の若い客も、興味をそそられた様子でチラチラ二人を見ていた。

 服に隠れながら、少し移動して涼真の正面から顔をのぞかせた。蜜の後ろ姿の向こうで、彼は不機嫌そうに眉をひそめてそっぽを向いていた。

 私が小さく手をふると、涼真は気がついたらしく、こちらに視線を向けた。店外を指差し、それから唇に人差し指を立てて見せる。彼がかすかにうなずいたのを確認して、私は顔を引っ込めた。

「あ、待って」

 蜜の声が聞こえる。涼真は店から出て行ったようで、彼女も追いかけて外へ向かった気配だ。


 やや時間を置いて、私も店を出た。

 見渡しても近くに二人の姿はない。どこへ行ったか気になるけれど、とにかく蜜に見つかる前に、涼真の部屋に戻りたかった。

 アーケードの商店街を足早に歩きながら、どの角を曲がったのか思い出そうと左右を見ていると、急に横から腕を引かれた。

「ことちゃん!」

 蜜だった。険しい顔をしている。

 私は飛び上がるほど驚いたけれど、一言も声を発することが出来なかった。通りには姿が見えなかったのに、一体どこから現れたのだろう。

「なんでこんなとこにいるの?」

 蜜は私の腕をつかんだまま問いただした。

「伯母さん、必死に捜してるよ。捜索願まで出されてるんだから!」

 答えることが出来ない。

「パパから、ことちゃんが家出した、何か知らないかって連絡あって、ママはあんたたちの自業自得だって怒ったけど、自殺とか、変なことに巻き込まれてるんじゃって、私すごく心配したんだから!」

 体も思考もフリーズしたみたいに固まってしまう。

「何か言ってよ、どうして黙ってるの?」

 蜜が腕を揺さぶり、顔をのぞき込んでくるのを、必死でそらす。

「パパたちのことと、私たちは関係ないって、前に言ったよね?」


 蜜とは、小さい頃とても仲が良かった。一人っ子の私にとって、彼女は可愛い年下の身内で、姉妹のように付き合っていた。

 だけど私の母親が、蜜から父親を奪ったせいで、彼女の母親に「二度とうちの子に電話しないで」と取り次ぎを拒まれ、それっきり会えなくなっていたのだ。

 最後に話した時、確かに蜜はそう言った。でも、彼女の父親と暮らしている私が、こそこそ連絡を取ることは、叔母を裏切るようで後ろめたい気がして、出来なかった。

 そのまま時間が過ぎ、親たちの関係は更にこじれた。かなり強硬という叔母の様子を聞くと、蜜も私に会いたいなんて思わなくなっている気がした。

 そして、同じ高校に入ったのを私に報告しないということは、そういうことだろうと受け止め、こちらも接点がないように避けていたのだ。


「私だってママと同じく、伯母さんもパパも許せないしうらんでるよ。同じ高校入ったのに無視してたのは、本当にごめんなんだけど、ことちゃんに会っちゃダメって言われてて……でも、会いたくないわけじゃなかったんだよ? 私、ことちゃんまで憎いとは思ってないからね」

 蜜は昔から自分に正直な子だ。少し天然なところはあるけれど、頭の回転は早い方だと思う。したいことがはっきりしていて、思いをきちんと言葉に出来るのは、とても羨ましい。私なんて、自分が何を望んでいるかも、よくわからないというのに。


 彼女が、もし涼真を好きなのだとしたら、私はどうしたらいいのだろう。


 ずっと考えないようにしてきたことが、じわじわと現実となって迫ってくる。こうなるのがわかっていたから、蜜には絶対に会いたくなかったのだ。

「ごめんね」

 やっとのことで声をしぼり出し、私は蜜の手を握って、腕から外した。再び掴まれないように、さっと距離を置く。

「ごめん……ごめんなさい」

 それしか言うことがなかった。

「ことちゃん、なんで……」

 蜜はふと私が手にした紙袋に目をとめた。さっき下着を買った時にもらったもので、ショップのロゴが入っている。あわてて後ろに隠そうとしたけれど、もう手遅れだ。

「あの店にいたの? ちょっと待って、どういうこと? まさか……嘘でしょ?」

 みるみるうちに、彼女の顔色が変わっていく。

「鳴井の好きな人って、ことちゃんなの?」

 誰のことかわからないと、早くとぼけなくてはいけない。そう思いながら、絶望的な表情を浮かべた蜜に対し、不誠実に嘘を口にすることは難しかった。

「好きな先輩を追いかけて、浪人までして入学したって……同じ中学から同じ高校……ことちゃんのことだったら、つじつま合うよね……嘘、嘘、やだ、なんで気がつかなかったんだろ」

 蜜は独り言のようにブツブツつぶやき、震えながら私をにらみつける。

「まさか、家出して鳴井のうちにいたの!?」

 これ以上は耐えられない。

 私には、その場から馬鹿みたいにめちゃくちゃ走って、逃げ出すことしか出来なかった。


 

 


 



 

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