第14話


 涼真に言われるがまま、スマホからメッセージを二件送信した。ひとつは母親へ、ひとつは湊斗へ。

 私はそのまま帰らなかった。

 涼真と一緒に朝を迎え、翌日の塾はサボり、その次の日も、さらに次の日も、そこから一歩も外に出なかった。


「ずっとここにいればいいよ」

 涼真は一人暮らしだった。

 この1LDKの部屋は、古びた八階建てマンションの一番上にあり、どんな層が入居しているのか、いつの時間帯もひっそりしていて、他の部屋の気配はあまりしない。

「誰も来ないから安心して」

 どういう意味なのか。涼真の家族はともかく、蜜と付き合っているなら彼氏の部屋に来ないわけがないし、一人暮らしなら友達が押しかけて来ることだって普通はあるだろうに。

「うち呼んだの、先輩が初めてだから」

「……そっか」

 私は考えることを止め、震えながら涼真にすり寄った。

 エアコンの効いた部屋は寒いぐらいに冷えていて、人肌にくっついてでもいないと耐えられない。ここでの最初の夜、シャワーを浴びている間に、私の服は隠されてしまい、下着姿でいるしかなくなったからだ。

「寒い?」

 涼しい顔で聞いてくるけれど、彼は上半身裸でも寒く感じないのだろうか。

「うん」

 素直に答えても、涼真は服を返そうとはせず、シャツ一枚貸してもくれない。エアコンも消さないで、タオルケットに一緒にくるまろうとするだけだ。

 ちなみにスマホも靴もカバンも、私の持ち物はどこに隠したのか、どこにも見当たらない。つまり、物理的にしばられたりおどされたりしていないだけで、監禁同然の状態だった。


「先輩、なんで何も聞かないの?」

「だって……何から聞いたらいいか、わかんない」

「じゃ、一番気になることって何?」

「涼真のここ」

 私は人差し指で、彼の胸をつついた。心臓のあるあたりだ。

「心。気持ち。あと、ここ」

 手を上げ、同じ指で涼真のひたいをつつく。そのまま彼の顔を見て、地黒なのは変わらないなと、ふと思った。眉がくっきり長く綺麗な形をしている。流線型というのだろうか。整えているにしては自然な感じがする。皮膚の薄そうなまぶたの下の黒い瞳が、私の顔を映していた。

「俺が何考えてるか、気になるの? それが一番?」

 うなづいたら、涼真はぐいっと距離を縮めて唇を重ねてきた。


 再会した日から、涼真は数えきれないほどキスをして、片時も私から離れない。何年も会っていなかったのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 だけど何より問題なのは、私がこの状況を嫌だとか逃げなきゃとか、まったくそういう風に思わないことだ。

 もちろん頭のどこかでは、さすがにまずいことになったと感じている。なのにそれを深く考えるのを、心が拒むのだ。涼真以外の何もかもが、どうでもいい。誰のことも思いたくない。


「俺のこと、知りたいと思う気持ちがあるわけ?」

「あるよ」

「ほんと?」

 嬉しそうに、涼真はまたキスを重ねた。

「教えて欲しい? 今までのこと」

「うん。全部、教えて」

 返事に満足したのか、涼真は私をやわらかく抱きしめる。熱い肌が心地良い。

「長い話になるかもよ」

「いいよ、話して。ちゃんと聞くから」

 涼真が離れないように、腕をからめてきつく抱きしめ返すと、彼は優しく私の背中を撫で、首筋に唇をわせた。

 昔からそうだった。触れる手も指もしなやかで、どこも傷付けないように気遣ってくれる。涼真にされることで、痛いことや嫌なことなど何ひとつなかった。


 このままずっと、ここで涼真と二人でいられたら……そう願っている自分に気が付いて、がく然とする。

 現実的に、私のまわりでは少しは騒ぎになっているだろう。夏休みだから知る人は少ないとして、母とその恋人は私を捜すに違いないし、湊斗だって何とか連絡を取ろうとしているはずだ。

 涼真と私がどんなに望んだとしても、こんな状態でいつまでも一緒にはいられない。そんなことはわかりきっているのに、どうして願ってしまうのか。自分の気持ちが理解できなかった。

 私は自覚していなかっただけで、ずっと涼真を忘れられずにいたのだろうか。監禁されても嫌だと感じないほど、彼が恋しかったのだろうか。

 母親には「もう帰りません」とメッセージした。

 湊斗には「別れよう」とメッセージした。

 それに対して返信があったかどうかは、スマホを隠されてしまったから、まったくわからない。気にならなくはないけれど、返信があったとしても、今は見たくなかった。




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