第12話
田上蓮の誘いをかわした後、私は帰宅しようと電車に乗った。
夏休みに入ってから、湊斗とは会うこともままならないので、帰宅の時間は早くなった。たまに愛彩や優羽子と寄り道することもあるけれど、そんなに長い時間ひまつぶしに付き合ってもらえるほどの仲じゃない。だからといって、図書館やネカフェに行く気にはならないし、一人で街をぶらつくのも退屈だ。
動き出した電車の窓から外を眺め、ため息を小さくもらす。変わりばえのしない灰色っぽい景色ばかり続き、たいして長く乗らないうちに、もう降りる駅の名がアナウンスされ、スピードが落ちはじめる。
そろそろ立ち上がらなければと思いながら、私は座席に座ったまま外に目を向け続けた。
私の家は三階建ての低層マンションの一室で、ワンフロアに二部屋しかない贅沢な構造、ルーフバルコニー付きの広い間取りが売りの分譲物件だ。
家の中にもバルコニーにも緑と花があふれんばかりで、ピカピカに磨かれた家具と床、ホコリひとつない洒落た照明器具、ふかふかの大きなソファに清潔感あるダイニングなど、本当に生活しているのか疑わしくなるような、まるでモデルルームみたいな家だった。
そこで一日中ゆったり家事をして過ごしているのは、私の母親ではない。戸籍の上では他人でしかない
昴が別れたがっているのは、
蜜と交際している涼真は、この泥沼のような親戚関係を知っているだろうか。
私が湊斗のことを大切に思うように、涼真にとっての蜜も、軽い存在ではない気がする。蜜の父親は妻とともに子も捨てて家を出ており、母親は絶対に別れないと主張して、周囲を味方に付けようと親戚を回ったり弁護士探しに奔走し、子供たちを置いて不在がちだと聞く。だから蜜は、そのことで涼真と共感する部分は大きいと思う。
彼らや蓮のように、親に捨てられた的な感覚は、私にはよくわからない。湊斗のように、健全で普通な家庭で育った感覚もわからない。
今の世の中、母親とその恋人とともに暮らす子供というのは、そう珍しくはないだろう。親がダブル不倫や略奪愛で離婚なんていうのも、まったく珍しくない。
なのに、なぜ私の身近なところには、そういう子が誰もいないんだろう。
共感し合える相手がいないというのは、やっぱり寂しい。ふだんはこんなことは考えないけれど、涼真と蜜は共感し合えるのだと思ったら、何だかみじめな気持ちになって、落ち込んできた。
湊斗は特別な存在だし、大好きで、これから先も一緒にいたいと思う。だけど、家族のことで彼と共通する点など、私には何ひとつないのだ。
降りるはずだった駅のホームを、私は車内から見ていた。ほどなくドアが閉まり、ゆっくりと走り出す。乗り過ごしてしまったなとぼんやり考えながらも、体は動かなかった。
東京方面へ向かうこの電車は、川を越えると地下にもぐる。地下鉄は好きじゃないから、その前にどこかで降りなければと思って、私は顔を上げ、ドア上の路線図に目を向けた。
「あっ……」
想定外の人物が、慌てたような顔で声をあげた。ドアの真下に立っていた彼に、私は今の今までまったく気が付かなかった。
「涼真」
思わず名を口にすると、彼はほっとしたように表情を少しゆるめた。
「お久しぶりです、先輩」
他人行儀な口ぶりでそう言うと、涼真は私の前にやってきた。昔と違って、完全に声変わりした男の声になっている。背もかなり伸びたようで、線の細い体付きは変わらないけれど、ずいぶん大人っぽくなった。
「どこか行くの?」
聞いてしまってから、挨拶もなしに突然言うセリフがこれかと自分でも思った。でも気の利いたことなんか何も言えないし、言うつもりもない。
「いや、帰るとこです。前と違うとこ住んでるんで」
涼真は切れ長の目でじっと私を見た。
「……寄っていかないですか?」
耳を疑った。
「先輩、まだ帰りたくないでしょう?」
視線を合わせたまま、私は涼真の目の中に、見慣れた熱っぽさを見付けてしまい、頭が真っ白になっていた。
「ほら、この駅だから」
スピードが落ちていく電車の中で、涼真は私の手をつかんで引き、強引に立ち上がらせた。
「行こ」
肩を抱かれ、私は涼真と一緒に駅のホームに降りて歩き出した。
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