第10話

「あれ? 琴里ことりじゃね?」

 不意に声をかけられたのは、その日の塾帰り、駅に向かって歩いていた時のこと。ふり向くと、愛彩あやたちと噂したばかりの田上蓮たがみれんが、にやにやした顔で私を指さしていた。

「あれ? 蓮じゃね?」

 ふざけた返しをすると、蓮はバカ笑いして近づいてきた。彼の後ろには相変わらず人目を引くパリピ仲間がいて、男子は見知った顔ばかりだけど、女子は知らない子が多い。

「つまんねえ顔して、どうした?」

 するりと私の肩に手をまわし、顔を近づけて目を見つめる仕草が、以前よりずっとナチュラルで、思わず笑ってしまった。これほど女慣れするまで、いったいどれだけの場数を踏んできたのだろう。

「塾帰りだもん。つまんない顔にもなるでしょ」

「あの溺愛彼氏は? 一緒じゃねえの?」

「溺愛彼氏って……」

 口をきいたのは一年以上ぶりだというのに、どうしてそんな言い方するほど私のことを知っているんだろう。

「だってあいつ、俺の琴里を奪って囲い込んで、他の誰も近寄らせなくしただろ。番犬みたいににらみきせてさ」

「一対一で付き合うって、そういうことじゃない?」

 俺の琴里、というフレーズはさらっとスルーして、蓮の目を見た。くっきりした二重まぶたの下にアーモンド型の綺麗な目がきらきら光っている。ブルーグレイというのか、明るい灰色に青を溶かし込んだような、不思議な瞳の色はカラーコンタクトなんかじゃない。蓮は実父がロシア人で、絵に描いたようなハーフの美形なのだ。

「違うと思う。普通じゃねえよ。自覚しろよ」

 私の額を指ではじき、蓮は笑った。

「ストーカーと付き合ってるようなもんじゃん。別れて戻って来いよ。また一緒に楽しいことしようぜ?」

「やだよ」

 肩にまわされた手を軽くつねると、蓮は大げさに痛がって私から離れた。

「何だよ、たまに会った時ぐらい遊んでくれよ」

「受験生なのに余裕だね、蓮」

「まあ俺くらいになると受験なんか楽勝だし? 息抜き息抜き」

 蓮はその気になれば学年トップテン入りを狙えるくせに、定期テスト中に居眠りして白紙答案ということもあり、成績の乱高下が激しい。湊斗や私みたいにがっつり集中して勉強するタイプとは真逆の、羨ましいほどの天才型だ。

「蓮、何やってんの?」

「早く行こうよ」

 仲間の女子たちがしびれを切らしたように呼びかけて来る。

「先行ってていいよ。すぐ行くし」

 蓮は片手をあげて笑顔を見せると、そっちに背を向け、再び私の肩に手をまわした。さっきより近い距離まで顔を近寄せ、いたずらっぽくささやく。

「琴里、時間あるんなら今からうち来ねえ?」

 蓮の背後を見れば、不満そうにふり返りつつ仲間たちと歩き出した女子の一人と目が合った。すごい目付きで私をにらんでいる。

「あのさ……いつか刺されるよ?」

 手を伸ばし、得意げにツンと高く突き出た鼻先を、きゅっとつまんでやった。

「痛って」

「さっさと追いかけなよ。今日の約束、あの子なんでしょ?」

 私が指さしたって、蓮はふり向きもしなかった。

「んーん、琴里がいいなあ」

「彼氏がいるってわかってて、何言ってるの? バカじゃないの?」

「バカだもーん」

 蓮は笑いながら、長い腕で私を包み込むように抱きしめた。

「やめて」

 体が密着してしまわないよう、蓮の胸に両手をついて思い切り押し返す。

「冷たくすんなよ。百回ぐらいはやった仲だろ」

「そんなにしてないもん」

「いや、やったって」

 数えたこともなかったけれど、そんなに多かっただろうか。

「だいたい週四として月十六回になるだろ? 半年で九十六回……」

「他の子も含めての回数じゃん、それ」

 思わずふき出すと、蓮もアハハと大きな声を上げて笑い出した。

「でもさ、琴里とは春夏秋冬イベントフルコース経験したし、やっぱり百回は軽くしてるはずです」

「なんで敬語」

「改めて考えると、すげえなと思って」

 蓮は笑いを引っ込め、じっと私を見た。

「めんどくさいこと、ぜーんぜん言わないで、あんなに長く俺と続いたのって、琴里だけだから」

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