第5話

 あの合宿で、倉庫に閉じ込められた瀧川涼真と私が助けられたのは、翌朝のことだった。

 それぞれが朝まで部屋に戻らなかったため、コーチに報告がいって捜索がはじまったようだ。それで、例のコーチ助手の大学生が、鍵を持って一人で倉庫へ来た。直感で、もしかしたらと思ったらしい。

「いつからここに?」

 扉を開け、私たちを見つけた彼の目は、不安そうな色を浮かべていた。

「そんなことより先に……」

「トイレ行かせて!」

 限界まで我慢していた私たちは走り出て、渡り廊下のすぐ先にある体育館のトイレに駆け込んだ。

「よかった……」

 倉庫の中で、もしどうしても耐えられなくなったら使おうと、見つけたバケツを陰の方に用意はしていたものの、できれば避けたいと私も涼真も必死に我慢していたのだ。

 すっきりして手を洗い、ついでに口をすすいだり髪を結び直したりしてからトイレを出ると、涼真がコーチ助手と話していた。

「お互い様じゃねえよ」

 声を荒げかけた涼真の肩に、コーチ助手はなだめるように手をかけた。

「でかい声出すなって」

「触んな」

 邪険にその手を払いのけ、涼真は私がいるのに気がついた。

「秋嶋先輩」

「どうしたの?」

「この人、俺らがやってたって言う気らしいですよ」

「やってたって何を……?」

「昨夜、この人たちがしてたようなこと」

 吐き捨てるように涼真が言い、私は絶句した。なんでそんな話になるのか、意味がわからない。

「違うだろ。よく聞けよ」

 コーチ助手は声をひそめ、私たちを交互に見て言った。

「瀧川がラケット忘れたって言うから僕がこっそり鍵を開けといて、秋嶋も忘れ物を探しに同じタイミングでここに来たとする。その後、君らがまだ中にいるの気がつかなくて鍵閉めたっていうことにすればいい。三人ともコーチに怒られるだろうけど、理由なしで閉じ込められて二人きりで一晩過ごしたなんて、どう考えたってあやしまれるだろ」

 私は涼真と顔を見合わせて戸惑った。当時それぞれ十三歳と十四歳の私たちにはまだ、夜を共に過ごすと怪しまれるなんて発想はなかった。

「昨夜のことは黙ってろよな。そしたらコーチに怒られても君らをかばってあげるよ。でも、もし見たことを誰かに言ったら、僕も君らが抱き合って寝てたって言うからな」

 今になって思えば、あれは幼稚な脅しだった。コーチ助手は、私たちが子供っぽいのを幸いと見て、丸め込もうとしたのだ。

「バレて困るのはお互い様だから黙ってようなって言ってんの。わかった?」

 私たちはうなずくしかなかった。どこがお互い様なのか全然わからなかったし、なぜこっちが脅されなければならないのか納得できなかったが、どう反論していいか見当もつかなかった。

 結局、コーチ助手と私たちは部員全員の前で三人並べて立たされ、こっぴどく叱られた。道具の管理指導はますます厳しくなり、そのことで他の部員たちに冗談混じりで文句を言われることはあったが、私と涼真が怪しいなんて噂はどこからも聞こえてこなかった。

 悔しいけれど言う通りにして良かったと思いはじめた頃、女子部員の一人が急に学校に来なくなり退部処分となった。コーチ助手と密会していたあの子だ。

「妊娠したんだって」

 そんな噂が広まり、彼女はそのまま学校からも消えてしまった。急な転校という説明があったものの、どこに行ったのか誰も知らなかった。

 コーチ助手も姿を現さなくなったので、たぶん彼が相手だとバレたのだろう。だからといって、彼らのことを誰かに話すつもりはなかったが、あんな脅しまで使って口止めしておきながら馬鹿だなと思っていた。

「秋嶋先輩……」

 青ざめた顔の涼真に呼び止められ、彼の家に連れて行かれたのは、七月中旬の雨の日だった。

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