第2話

 長谷川湊斗は共働きの両親と中学生の妹と四人家族で、駅近マンションの七階に住んでいる。

 妹はナギサというらしいが、漢字でどう書くかは知らない。公立中に通っていて、ソフトボール部のエースだと聞いた。

 彼女には夕方まで部活を頑張った後、家に帰らずそのまま塾に向かう日が週に三回ぐらいあって、湊斗が私を自宅に誘うのは大抵その日だった。だから「彼氏の妹」と顔を合わせる機会は、ほとんどない。ショートヘアで真っ黒に日焼けした女の子だけど、どんな顔立ちだったか曖昧あいまいで、外で見かけてもわからない気がする。


 誰もいない家で二人きりという状況は、それだけでドキドキして、緊張と期待の入り混じった甘い気分にさせられてしまう。

 湊斗は私にとって初めての彼氏で、真正面からちゃんと告白してくれた唯一の男の子だ。つきあって一週間でキスする仲になったものの、そこから先に進むまで半年かかった。その間、クリスマスやバレンタインなどのイベントを楽しく過ごし、同じクラスで毎日そばにいてくれる湊斗に、私はどんどん心を傾けていった。だから、自然な流れで抱き合うことが出来た。

 たぶん今の私は、湊斗なしではいられない。


「琴里は去年行ったんだろ?」

 シャワーを借りて部屋に戻ると、湊斗はパソコンで志望大学のサイトを見ていた。オープンキャンパスの相談をしたいと言ったのは本当だったらしい。

「うん。でも、今年は湊斗と一緒に行きたいな」

 去年の夏休みはまだ彼とつきあってなかったし、第何志望とかいう対象ではなく、親の勧めに従って、てきとうに名の知れた大学を見に行っただけだ。

「第一志望、A大だよね? 神奈川の」

 湊斗は成績優秀で、国公立のなかでも偏差値68以上の大学をめざしている。私もそんなに頭は悪くないつもりだけど、正直、湊斗と同じ大学を受けて合格できる自信はない。

「うん。あと、できれば東京のB大とC大も見たいかな」

「そっか。日程はどうなってるの?」

 二人でパソコンをいじりながら、あれこれスケジュールを確認する。同じ塾の夏期講習に申し込んでいるから、そっちの日程も見ながら予定を立てなければいけない。

「A大は日帰りだときついかもね」

 神奈川県は隣の隣の県で、A大は電車で片道二時間半の距離にあり、早起きすれば日帰りできなくもない。でも帰りの時間を気にして、あまりじっくり見学できなそうだ。

「じゃ泊まっちゃう?」

 湊斗はあっさり提案して、私の肩に手をまわした。

「旅行も兼ねて、大学以外も色々まわって遊んでこようよ」

「いいの?」

 受験生なのに、と言いかけた口は不意打ちのキスでふさがれた。軽く受けて離れようとしたら、追いかけるような湊斗の唇に囚われ、息苦しいほど強く、深くむさぼられた。肩を抱かれているせいで、逃げ場がない。だけど……その強引な感じが心地いい。

「琴里」

 嵐のようなキスの後、名前を呼ばれ、うっとり見上げると、湊斗の目が真剣な色を帯びて、私の目をじっとのぞきこんでいた。

「今日の帰り、駅で見てたの誰?」

 肌がゾワッとあわだった気がしたけど、ほんの一瞬のことで、すぐに薄れて消えた。

「気がついてた?」

 私はにやにや笑いを浮かべて湊斗の目を見返す。

「あの子、私のイトコなんだ」

 罪悪感はやっぱりない。

「蜜っていうの。うちの高校にきてたなんて、知らなかったからびっくりした」

 しらばっくれてそう言うと、湊斗は目をそらして私から離れた。

「ふうん、そうなんだ」

「彼氏のほうも、どっかで見たことあるなって。でも誰だか思い出せなかった」

 今度は私のほうから追いかけるように、湊斗に寄りかかって両手を首にまわす。

「湊斗」

 ぎゅっと抱きついて、耳元でささやく。

「時間、もったいないよ?」

 湊斗のごつごつした手が、私の背中をなでたと思ったら、いきなり引き寄せられ、痛いほど強く抱きしめられた。

「好きだ」

 何度も何度も、うわごとのように湊斗はつぶやく。

 いつもなら嬉しくてたまらないその言葉が、その日だけは、なぜか私の心に届かない感じがした。

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