14:
換金を終えた二人は、屋台で買った肉まんを頬張りながら、通りを歩いていた。
時刻は昼を過ぎて夕方に差し掛かろうとしている。
時間帯的に人数は朝や夜と比べると少ない。といっても、二人が歩いているのは道幅の広い大通りなので、それなりには賑わっている。
「港まであとどれくらいかかるの?」
ルタは地理に疎かった。どこに何があるかなんて情報は、彼にとってどうでもいいものだった。
「そうね。今のペースだとあと三〇分ってとこかしらね」
「運賃ってどれくらいかかるんだろうね?」
「うーん……安くはないでしょうね。それに私たちが乗れる船って、身分証明とかそういうのがないやつだし、ちょっと高くなっちゃうかもしれないわね」
「足りるかな?」
不安げなルタの頬を、ロゼはむにっと引っ張った。
「よゆーよゆー」
そう言って、けらけらと笑って見せた。
「あんまぼったくるようだったら、魔法の一発でもぶちかまして脅してやりゃいいのよ」
冗談で言っているのか、本気で言っているのか。
判断に困る。
「そんな派手に魔法なんて使ったら、僕の正体がばれちゃうよ」
「冗談に決まってるでしょ」
「なんだ、冗談か……」
あはは、とルタが笑う。
「まあ、でも、脅しはなかなか有用よ」
「たしかにねえ」
もう障害はないだろう。
そんなことを思っていた二人は、いささか油断していたのかもしれない。
彼ら――というよりもルタ――に殺意を抱いている者がすぐそばまでやってきていることに、全然気づかなかったのだから。
「見つけたぞ!」
狂喜に満ちた叫び声が聞こえた。
男の声はめちゃくちゃ大きかった――というわけではない。しかし、なぜか空間を支配するほどに響き渡った。
何事だ、と人々は叫び声の主を見る。
つられて二人も見る。
そこにいた人物は――。
「パトック……」
ルタは呟いた。
「……誰?」
ロゼと同様に、人々も彼が誰だかよくわかっていないようだ。
「なんかあいつ見たことがあるような……」
「ああ、俺も。気のせいかな……?」
「あの人、賢者様よね」
「あー、ルタの前に賢者になった人か」
「名前、思い出せねえな」
「なんだっけな……?」
「パラック……?」
絶妙に名前を間違えた男を、パトックは睨みつけた。
「パトックだ!」
そう言われてようやくわかったようで、群衆が騒めいた。
パトックは愚鈍な人々に苛立ったのか舌打ちし、それからルタに話しかけた。
「数時間ぶりだな、ルタ」
「何か用?」
ルタの声は冷たかった。
二人は馬が合わないのだろう。といっても、ルタの声からは嫌悪の感情はあまり見られない。相手が自分のことを敵視するから、こちらも好意的には接しない。そんな感じだろうか。
「貴様、賢者ライリスを殺したな」
質問というより、断定するような口調だった。
「……は?」
わけがわからず混乱する。
「ど、どういうこと? 先生を殺したかって……まさか――」
目を見開くルタに、パトックは大きく頷いて見せた。
「その通り。貴様の想像通りだ、ルタ」
そう言って、パトックは周囲をぐるりと見回し、人々が自分たちの会話を聞いているか確認した。
人々は聞き入っている。まるで政治家の演説でも聞くかのように。
優越感に浸りながら、パトックは人々にもよく聞こえるように、はっきりと、ゆっくりと言葉を続ける。
「今日、賢者会議の終了後、偉大なる大賢者ライリス様が殺された。賢者ライリスは自らの研究室で何者かに刺殺されたのだ。凶器となったのはルタ、貴様の所有物であるナイフだ。そしてさらに、犯行時刻に貴様が賢者の塔から慌てて逃げ出すところを目撃した人間が何人もいる。これらのことから導き出された結論。それはすなわち、追放賢者ルタ、貴様がライリスを殺した犯人だということだ!」
パトックは名探偵のように言って、びしりとルタを指差した。残念ながら名探偵には程遠い、穴だらけの推理だったが。
「……は? 何言ってるの?」
戸惑うルタの代わりに、ロゼが怒った。
「確証もないのにルタを犯人扱いするっていうの?」
「うるさい黙れ黙れ黙れ! ルタが殺したに決まってる! こいつは追放賢者なんだぞ。大罪を犯したんだぞ。人殺しくらいするはずだ!」
まるで子供の駄々だ。
「……僕のナイフってどれ?」
ルタは混乱しつつもとりあえず質問した。
「貴様が誕生日にライリスからもらったものだ」
「よくわかったね」
「えっ?」
「凶器のナイフが先生にもらったものだとよくわかったね」
「……見覚えがあったからな」
「見覚えがあったってことは、ナイフが僕のものだと気づいたのはパトックなんだね?」
「ああ」
「よく覚えてるね、そんなこと」
「たまたま記憶に残っていただけだ」
「ふうん……」
ルタはフードを脱いだ。
人々はライリスが殺されたことに驚き、その犯人がルタだということを知って怒りに震えている。彼らは疑うことを知らない。賢者を妄信しているのだ。
賢者もただの人間だということを知らない。
賢者も嘘をつき、嫉妬し、人を殺すことを知らない。
賢者は聖人君子ではない。
ルタも、パトックも聖人君子からはほど遠い
「ルタが賢者の塔から逃げたところを見たのって誰よ? そんなのいくらでも嘘つけるし、証拠になんてならないわよ」
「黙れ」
「あ、もしかして、あんたが賢者ライリスを殺したんじゃない? それでその罪をルタになすりつけようとして――」
「黙れ!」
パトックは顔を赤くして怒鳴った。
「何をふざけたことを言ってる! そんなものは妄言だ! 証拠もないのに馬鹿げたことをぬかすな、小娘っ!」
「え、なに? 図星? 冗談のつもりで言ったのに」
馬鹿にしたように言った後、ロゼはルタに囁いた。
「ねえ、あいつ怪しくない?」
「たしかに怪しいね」
「きっとあいつがライリスを殺したのよ」
「そうかもしれない。でも、確証はない」
「まあ、それは……」
「まあ、でも、僕を犯人に仕立て上げようとしてるのはたしかだね」
そう言うと、ルタはパトックを見据えた。
「で、パトック。僕を捕まえるつもりなのかい?」
「おとなしく捕まってくれるのか?」
「まさか。なんでやってもない罪で捕まらなきゃいけないの?」
逮捕されることを拒否するルタに、なぜかパトックはにやりと笑って見せた。
「拒否するというのなら仕方ない。実力行使するしかないな。ただ、まあ、私は手加減をするのが苦手だからな。うっかり殺してしまうかもしれない」
「言うね」
「しょせんは追放賢者。殺しても何も言われないはずだ」
パトックからどす黒い殺意がにじみ出る。
人々はこれから何が起こるか、なんとなく察したのだろう。戦いに巻き込まれてたまるか、と我先に逃げ出した。
これから始まるのは、賢者同士の戦いだ。
「ルタ……」
ロゼは剣の柄に手をかける。
「いや、ロゼは下がってて」
ルタは背負っていたリュックサックを、ロゼに預けた。
「パトックは僕一人で倒す」
「大丈夫なの? あいつだって賢者なんでしょ?」
「僕だって賢者だったんだよ」
ルタは自信満々に言った。
「パトックも僕もそれを望んでいる」
ロゼは処置なし、と言わんばかりにため息をついた。
「……わかった。死なないでよ」
「うん」
「傷一つ負っちゃだめよ」
「うん」
「一分以内に倒しなさい!」
「それは無理かも」
苦笑気味に言うルタに、ロゼは微笑んでみせた。そして、戦いに巻き込まれない――しかしルタの姿が見える距離まで下がった。
意外なことに、パトックはロゼが距離をとるまで何もせずにいた。不意打ちの一つでも仕掛けてくると思っていたので、ルタは拍子抜けしてしまった。
パトックに騎士道精神のようなものがあるとは思えない。多分、正々堂々ルタと戦って勝利を収めたいのだろう。
それが、パトックがルタよりも優れていることの証明となる。
「死の準備はいいか、ルタ?」
「それはこっちの台詞だよ」
一瞬の静寂。
それは永遠のように長く感じられた。
強い風が吹く。二人の髪がなびく。
「〈大爆発
エクスプロージョン
〉!」
「〈大爆発
エクスプロージョン
〉!」
二人は同時に魔法名を叫んだ。
くしくも二人とも同じ魔法だったが、魔法の発動はルタの方が――ほんの少しだけではあるが――早かった。
魔法は威力・難易度・効果といった項目によって、通常七つのランク(上からSABCDEF)にわけられている。
ルタとパトックが無詠唱で発動させた〈大爆発
エクスプロージョン
〉はC級魔法だ。魔法陣の色は青。
両者の間で爆発が起こる。
ルタは素早く飛び退きながら、詠唱を紡いだ。
高位の魔法は詠唱しなければ、発動させるのは難しい。それに無詠唱の魔法は、詠唱したものと比べると、幾分か威力が落ちる。
二つの爆発によって地面が抉られ、土埃が宙を舞う。
(土埃でパトックが見えない……)
詠唱を中断して、土埃を消し去るための風系統の魔法を発動させようか、一瞬悩んだがやめた。
「〈超大渦巻
メイルシュトローム
〉!」
パトックの声。
〈超大渦巻
メイルシュトローム
〉は水・風系統のA級魔法だ。地面に巨大な黒色の魔法陣が展開される。
魔法陣の外へと逃れようとしたが、間に合いそうにない。
仕方ない。ルタは詠唱を中断して、防御魔法を発動させることにした。
「三重魔法
トリプル・マジック
――〈守護結界
プロテクション・エナジーバリア
〉」
(耐えられる、かな……?)
防御魔法を三重に張る。
これで耐久力は三倍――とまではいかないものの、大幅に向上する。しかし、油断はできない。相手の魔法はA級で、こちらはD級だ。
魔法の威力はランクだけで決定されるわけではない。同じ魔法でも発動者の能力によって、威力が変化する。
賢者であるパトックの能力は当然、人並み外れて高い。そうでなければ――化け物じみた才能・能力がなければ――賢者になんてなれない。
しかし、魔導師の頂点である賢者の中にも実力差はある。
ルタの能力は、あのライリスをも超えていた。
それは最強の賢者だということに他ならない。
一般的な賢者であるパトックでは、最強の賢者だったルタには敵わない。
その現実をパトックは受け入れようとしなかった。自分はルタよりも強い、と半ば盲目的に思い込んでいるのだ。だから、こんな無謀な戦いを仕掛けたのだ。
パトックは現実を知ることになる。
理想と現実は乖離していることに気づかざるを得なくなる。
魔法陣から水流を伴った、竜巻のような巨大な渦が生まれる。渦は宙に舞っていた土埃を、防御魔法を張ったルタを飲み込んだ。
くはははっ、とパトックは哄笑した。
服は所々破け、浅くではあるが傷を負っている。それは〈大爆発
エクスプロージョン
〉の発動が少し遅れ、なおかつルタより威力が低かったからだろう。
しかし、今度は先手をとれた。それが嬉しくてたまらない。
「死んだか? もう死んだか? これしきで死ぬなよ」
「死んでないから安心してよ」
返ってきたのんきな声に、パトックは苛立った。
もっと焦燥に満ちた声が聞きたかったのだ。苦悶に満ちた声が聞こえるかも、とすら思っていた。
晴れた視界に入ったのは、土が剥き出しになって陥没した地面、ばらばらに崩れた建物、そして――防御魔法に守られたルタの姿。
ピクニックをしているかのように晴れやかな表情。体に傷一つなく、張られた防御魔法にも傷一つない。
「ば、馬鹿な……!? D級魔法ごときで、この俺の〈超大渦巻
メイルシュトローム
〉を受けきるなど……ありえない……」
「ありえるよ。僕のD級魔法がパトックのA級魔法を上回った。ただそれだけのことだよ」
ルタの平然とした言い方が、パトックの癪に障った。
「ふざけるな!」
「別にふざけてなんてないよ」
「私は……劣ってなどない。私は貴様より優れているっ!」
「この際だからはっきり言うけど……」
ルタは子供とは思えないほど冷めた表情で告げる。
「君は僕より下だよ。五段階くらいね」
あざ笑うように言ったのは、パトックを激昂させるためだ。プライドが高く、沸点の低い彼なら、これくらいで平静を失うだろう、とルタは考えた。
実際、パトックは顔を歪ませた。
(ちょろいなー)
平静を失った人間は、単調で荒っぽくて戦いやすい。
「ふざけるなよ、クソガキが……。私は……証明して見せる。貴様よりこの俺の方が上だと証明して見せる」
かかってこいよ、と言わんばかりにパトックは手招きした。
「貴様が使う魔法と同じものを俺も使う。そして、貴様を殺してやる」
「それは別に構わないんだけど……死ぬと思うよ?」
「黙れ」
ルタは少し愉快そうに笑う。
(本格的に戦うのは久しぶりだな)
戦うのは嫌いじゃない。魔法を行使するのは好きだ。
相手は賢者。
相手にとって不足なし。
「じゃあ、行くよ」
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